見つめるのはあなただけ
「はぁ……かっこいい……」

 昨日購入したばかりの音楽雑誌の表紙を飾っているのは、今を時めく男性アーティスト。音楽雑誌を購入することはほとんどないのだけれど今月は特別。というのも、最近の私はこの男性アーティストに熱を上げている。いわゆる推し≠ニいうやつだ。巻頭特集が組まれた記事は写真、インタビュー共に彼の魅力で溢れている。

「随分と熱心だな」
「わっ!」

 ソファーに座って雑誌のページをめくる私に背後から声をかけたのは、同棲中の恋人である秀一さんだ。多忙な秀一さんとは一週間以上顔を合わせないことも多い。昨晩も秀一さんに会うことはなかったのだけれど、朝目が覚めると隣にはぐっすりと眠る恋人の姿。どうやら私の就寝後に帰宅したようだ。

 隣で寝息を立てる秀一さんの顔は最後に見たときよりも少し痩せていて、目の下に出来た隈が疲れを表していた。身体が資本の仕事なのだから、休めるときにゆっくり休んでほしい。秀一さんの寝顔をしばらく眺めてから起こさないよう静かに寝室を抜け出してきたのだけれど、どうやら起こしてしまったようだ。

「おはよう」
「おはようございます。すみません、起こしちゃって。今日はお休みですか?」
「あぁ。久しぶりに名前とゆっくり過ごすことができそうだ。それで、何を熱心に読んでいたんだ?」
「えっと……」

 私の手元をじっと見つめながら秀一さんは問いかける。熟睡しているようだったのでこれを読んでいる間は起きてこないと踏んでいたのだけれど、どうやら読みが甘かったらしい。やましいものではないので見られて困ることはない。それでも、なんとなく気恥ずかしいのは事実。

「雑誌か?」
「……はい、音楽雑誌です。最近この人がちょっと気になってて……」
「ホォー……」

 雑誌の表紙を見せながら白状すると、僅かに秀一さんの目つきが鋭くなったような気がした。なんだか雲行きが怪しい。

「先程、この男を見ながら『かっこいい』と言っていたな。君はこういう男が好みだったのか?」
「え、あ、いや……」

 しまった、なんて思っても後の祭り。怒っているわけではないようだけれど、いつもより不機嫌なのは明らかだ。視線に耐えきれなくなって雑誌で顔を隠してみたけれど、秀一さんは私の手からサッと雑誌を抜き取った。

「こら」
「あっ!」

 顔を隠す盾を奪われ、思わず声を上げた。秀一さんが手にした雑誌はゆっくりと彼の手から離れて今はソファーの上。表紙に印刷された推しが笑顔のまま私を見つめている。魅力的な笑顔であるはずなのに、つい口を滑らせてしまった今の私には同情の笑顔にしか見えなかった。
 すると突然、秀一さんは雑誌に視線を移したままの私の両頬を包み込み、少し強引に私の顔を自身の方へと向けた。

「堂々と浮気をするとはいただけないな」
「浮気というわけでは……」

 至近距離で視線が交わる。今にもお互いの吐息がかかりそうな距離に、どくんと鼓動が高鳴る。

「君は俺だけを見ていればいい」
「……っ!」

 熱のこもった眼差しと、本気であることが伝わる声。推しという存在にうつつを抜かす私を一瞬で現実へと引き戻す言葉に、自分でも分かるほど体温は急上昇。速く、大きくなった鼓動が落ち着くことはなくて、秀一さんにまで心臓の音が聞こえているかもしれない。

「それとも、俺では不満かな?」

 甘い低音が私の耳元でそっと囁く。不満なんてあるはずがない。あのミュージシャンを好きになったきっかけも、実は秀一さんなのだから。

「い、いえ……そんな、滅相もないです……」
「他の男によそ見できないほど夢中になってもらわないといけないな」

 再び至近距離で見つめ合うと、秀一さんは何かを企んでいるような楽しげな笑みを浮かべていた。最初からよそ見する隙さえ与えられたことがないのに。何度も落とされた甘い口づけは、私の頭の中を秀一さんでいっぱいにさせるもの。満足気に微笑む秀一さんを前にして、やっぱりこの人には敵わないのだと悟った。

 でもやっぱり悔しいから、あのアーティストの声が秀一さんに似ているから好きになった、というのは私だけの秘密。


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