百薬の長


「何その顔。面白い顔してるね。」


「……お帰りください。」


「ちょっと!」



鳴り止まないチャイム。お母さんはどこかへ出かけてしまっているらしい。だから、もうここには誰もいないということにして、布団を頭から被って居留守を決め込むわたしの耳に止めどなくチャイムが鳴り響いて寝かせてくれない。観念したわたしは、布団から這い出るように、重たい体を引きずりながら玄関へと向かった


これで勧誘とか訪問販売だったら本気でキレる自信がある…。


そんなことを思いながら玄関の鍵を開けて、扉を押し開いた先に見えた顔に信じられないものでも見てしまったかのようなわたしの顔がどうやらお気に召さなかったらしい。目の前に立ちはだかる黒くも高い壁が放った一言にむっときて思わず扉を閉めようとすれば慌ててそれを止める手に思わずちょっと笑った



「何しに来たんですか。」


「何しにって、ちょっと立ち寄っただけだけど?」


「お帰りください。」


「さっきから何なの。帰らないし。」


「不法侵入ー!」


「はいはい。熱で脳味噌沸騰してるからって意味わかんないことばっかり言わないでくれる?それに近所迷惑だから大声出さないでよね。」


「だ、誰がっ!」


「ちょっ。」



頭くらくら。揺れる視界、次いでちかちかと目の前が点滅。一気に体の力が抜けて、ぐらりとまるで地震でも起きてしまったかのような感覚に、立てなくなった。これは確実に床に頭突きをしてしまうやつだ、なんて来るであろう痛みに備えて目を瞑り、覚悟を決めたけれど、なぜかそれは一向にやってこない

恐る恐る閉じた瞼を開けてみれば、視界は黒一点。もしかして床に頭突きをして、知らぬ間に気絶でもしたのだろうか、と考えているわたしの頭上から降り注ぐ溜め息の雨。感じた温度の近さにびっくりして見上げた先には呆れた顔をする月島が一人。思わず、心臓が止まりかけた



「……気を付けなよ。」


「え、あ…うん、ごごごごめん。あ、ありがとう。」


「ふっ、どもりすぎ。よ、っと。」


「あ、え、ちょ、つつつつ月島さん?!」


「何。ていうか、さっきから耳元でうるさいんだけど。」


「うるさっ?!いや、それよりも、えっと、この体勢!」


「だからうるさいって何回言えばいいわけ?それに重い。」


「お、重いなら降ろしてくれて結構です!」


「うるさい、なまえ。」



抵抗虚しく、うるさいの一言で運ばれる体。膝と背中に当たる月島の手の感触に、頭がくらくらする。観念したわたしは、唇を一文字に引き結んで下から見上げる月島の顔を見つめた


こういうの、すごく困るんだけど。


心臓が、うるさくて敵わない。どうしたらいいのかわからないし、無言、沈黙、結構辛いし。でも、月島は飄々としているし。普段はこんなこと一切しないくせに。いや、まあ、こうやって抱き抱えられるようなシチュエーションなんてそう滅多にないんだけどさ。だからこそ、どうしたらいいかわからなくて困る。それに、細いくせに、よくそんな力あるなーとか変なこと、考えちゃうし

ぐだぐだと頭の中で考えている間に、到着したのはわたしの部屋。器用に月島が片手でドアを押し開いてわたしの部屋へと侵入。さっきまで寝ていたベッドの布団がやたらと乱れていて、それを月島に見られるのは何だか恥ずかしかった。そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、いや、むしろ無視をしているという方が正確な様子の月島は構わずに、わたしの体をそこへと横たわらせる。「はあー、重かった。少し太ったんじゃない?」なんて女子には禁句である言葉をもらいながらも反論せず、わたしは急いで乱れた布団を体に巻き付けることに精一杯で



「何今更恥ずかしがってんの。初めてなまえの部屋に来たわけじゃないのに。」


「べ、べべべつにいいでしょ。」


「はいはい。で、何度あんの。」


「え?何。」


「熱。今何度あんの。」


「……えっ、と。」


「はあ?計ってないの?ばかなの??いいから、とりあえず、これ。」


「むぐ。」



矢継ぎ早に放たれた言葉たちにかちんときたわたしは、何とか反論の一つでもしてやろうと口を開けば、おもむろに突っ込まれる体温計。文句は体温計に押し潰されて口中で霧散。最近の体温計は何と計測が早いことか。30秒もしないうちにピピピと機械音がこの部屋に響いて、月島の手によって突っ込まれた体温計は、同じようにして抜き取られ、月島の手の中



「38度6分、ね。インフルとかじゃないんでしょ?」


「検査結果は、一応。」


「なら普通の風邪だろうね。」


「そうですね。」


「薬は。」


「……うふ。」


「………それで誤魔化せたつもり?」


「すみません、飲んでません。」


「ご飯は。」


「まだ…台所に雑炊があることだけは確認した。」


「そう。とりあえずこれ飲んで、少し寝てなよ。」



ずいっと目の前に差し出されたスポーツドリンクを、半ば強制的に受け取る。はあ、なんて溜め息を吐きながら、月島の荷物とわたしを、わたしの部屋に残して、月島はばたばたとどこかへ消えていった


呆れられるし、わたしの気遣い、全部、水の泡だし…。


今日の朝に体調が悪いなって思ったら、高熱が出ていて。お母さんに休みなさいって言われて、布団へ逆戻り。すぐに月島には、熱があって学校一日休むだけだからご心配なさらずに、間違っても見舞いには来ないようにってちゃんと言っておいたのに来ちゃうし。全部がだめだめになって、何だか泣けてきた。これも全部月島のせいだ。そうだ、だって来ちゃだめだって言ったのに来た月島が悪いんだ

ぶつぶつと文句を漏らしながら布団を頭まで被って数秒。やたらと高い熱のおかげか、わたしの意識はすぐにふわりふわりと夢現。その内、その感覚すらもわからなくなるほど、夢の世界へとどっぷり。布団を頭に被っていたせいかちょっと息苦しく感じていたのに、それはいつの間にか感じなくなったまま、ブラックアウト



「……ん。」


「あ、やっと起きたんだ。」


「うえ…な、何。え、あれ、つ、月島?」


「うえって何。ていうか、ぼくだけど、何。何か文句でもあるの?」


「あ、いや、ないけど…じゃなくて、どうして。」


「熱のせいで脳味噌が完全に液状化しちゃったんだね、可哀想に。」



額に何かひんやりとしたものを当てられて、目が覚めた。ゆっくり開けた瞼。その奥にある瞳が真っ先に映したものに、目が点になる。制服の上だけを脱いだ月島がわたしを見下ろしている。状況が上手く飲み込めずに情けない声を上げるわたしをいつもの人を小馬鹿にした笑顔を浮かべて一気に色々言われちゃあ、夢の世界から帰宅したばかりの脳では処理が追い付かなくてたじたじ。そんなわたしを呆れる月島に少しイラッとしたりなんかして

むっとした表情で月島を見上げれば、なぜか少し安心したような顔をする月島。そんな表情も束の間、月島はやれやれと肩を竦めて、口を開けばお小言の嵐が降り注いでくる



「ばかのくせに風邪引くなんてどういうことなんだろうね。」


「ばっ。」


「ほら、そんなカリカリするとまた熱上がるよ。」


「誰がカリカリさせてると思ってんのよ!」


「人のせいにするのはどうかと思うけど。」


「きー!ああいえばこう言う!!大体、つき。」


「ほら。」


「むぐ。」



これから文句をしこたま言ってやろうと開いた口に押し込まれた何か。そこからとろりと口の中に何かが流れ出る。鼻孔に広がる優しい匂いと、口の中には優しい味。それがお母さんが作ってくれていた雑炊だと気付くのにそう時間は掛からなくて

何も食べていなかったわたしの胃は、その暖かさに一斉に活動を開始し、ぐう、なんておねだりを始める。病人だということに甘えて、わたしも口をぱくぱくとおねだりをしてみたりして



「間抜け面。」


「うる、うむぐ。」



憎まれ口を叩きながらも、ちゃんとわたしの口の中に雑炊を流し込んでくれる月島。うるさい、という反論は雑炊と一緒にわたしの胃の中へ流れて消化される



「これ食べたら、薬飲みなよ。」


「うん。」


「薬飲んだら、ちゃんと寝なよ。」


「うん。」


「何、にやにやしてんの。むかつくんだけど、その顔。」


「だって、月島が優しいんだもん。」


「……ぼくだって病人にぐらい優しくするけど?」


「うへへ。ありがと、月島。」


「うるさい。いいから、早く寝なよ。」


「うん。」



風邪を引いて、少し得をしてしまった気分だ。こんな月島が見れるなんて。そう思いながら、にこりと笑って月島のお小言も左から右へ聞き流していると、やれやれといったような感じで月島が肩を竦める。もう帰ると言って、床に置きっぱなしなっていた鞄を背負ってわたしに背中を向ける

なんか寂しい、なんて思いながら、ちょっと素っ気ない月島に唇を尖らせていると、部屋の扉の前で足をぴたりと止めて、月島がこっちを見ずに一言



「早く、治して学校に来なよ。山口もうるさいし。……なまえがいないと、調子が狂うから。」


「……うん!」


「じゃあね。」


「月島、ありがと!」



「病人が大きな声出すな。早く寝なよ。」なんて言いながらわたしの部屋を出ていく月島。わたしの口角が、どんどん上がっていく。熱も、もしかしたら今の瞬間に何度か上昇したに違いない。



「明日、学校行けるかな。行きたいな。」



早く治して学校に行かなくちゃ。だって月島があんなこと言ってくれちゃうんだもの。うん。じゃあ、薬を飲んで、早く寝よう。そうしよう。

思い立ったら即行動。だいぶ食べやすくなった雑炊を一口胃の中へ流し込んで、用意されている薬をごくり。布団を肩まで被ったら、深く目を瞑る。ふわりふわり。良い夢が見れそう。



「おやすみ、月島。」



ぽつりと呟いた言葉。一人の部屋に深くこだまして、ゆっくり意識がフェードアウト。素直じゃないきみの、ひねくれたお願い事だけを胸に、わたしはゆっくりと夢の世界へ



きみの言葉は百薬の長。
素直じゃないきみの言葉でこんなにもぽかぽかと胸が温かくなるから。


(おはよー!)
(あ、なまえ、元気になったんだ!)
(うん!あ、月島!)
(ばかは風邪引かないっていうのに、おかしなこともあるもんだね。)
(……月島ー!)


昨日のきみはどこへやら。今日も今日とて憎たらしい言葉を一つ。もしかしたら昨日のきみは都合の良いわたしの夢だったのかも。そんな風にちょっとだけしょぼくれたわたしの耳に、きみがぽつりと言うの。わたしのすぐ横を追い越しながら、「まあ、治って良かったね」、なんて素直じゃない、けど、胸を温める一言。その言葉に何とも言えなくなったわたしは、先を歩くきみを追い掛ける。後ろにはそんなわたしを追い掛ける山口。一回休みの後、わたしたちの目まぐるしい毎日はまた始まる。

あとがき
長くなってしまいました…最近風邪を引いて咳こんこんしていたので。まあ、看病してくれる人は当然いないので、会社に行って風邪菌を撒き散らす日々です。



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