思い通り


「つまんない。」



そう言って、彼女、なまえは、ソファにごろりと寝転がり足をぱたぱた。スカートではしたない、と思いつつも、何も言わずにちらりと視線をくれてやるだけ。それがどうも、気に食わなかったらしいなまえは膨れっ面でじとっとおれを見返す。だけど、おれはそれに対して何もアクションをせずに、ただ机の上に広げられているノートにシャーペンを走らせるだけ



「ねえ、賢二郎ー。」


「……。」


「賢二郎ー賢二郎ー。」


「………。」


「けーんーじーろーおー。」


「…………。」


「けえぇえんんんじぃぃいろおぉお!」


「…………何、うるさいんだけど。」


「なんで無視すんのさ。」


「なんでうるさくすんのさ。」


「質問を質問で返さないで!」


「……はあ。」


「溜め息!だめ、絶対!!」



誰が溜め息を吐かせているのか、わかっていて言っているのだろうか。いや、わかっていないな。


ノートに走らせるシャーペンを止めずに仕方なく答えれば、少しだけ満足した顔でなんでなんでと繰り返す。壊れたラジオか。こうなったなまえは面倒だ。なんだかんだで付き合いが長いのでよく知っている。このまま無視することもできるが、そうすると、余計うるさくなるだろうし、折角実家に帰省しているのに勉強に集中できないのは困る



「大体、今日は勉強するって言ってただろ。」


「言ってたけど、言ってたけどさあ。」


「言ってたけど、何。」


「息抜きもなしに、四時間もずっと勉強とか無理だよーう。」


「じゃあ、もう帰れば。」


「ひどい!せっかくの夏休みなのに!部活休みで帰省してるのに!!」



勉強ばっかりじゃ脳味噌腐るよーなんて意味のわからないことをぶつぶつと言うなまえ。本当うるさいなあ。そもそも最初から勉強するから無理って言ったのを、わたしもするとかなんとか言って、勝手に押し掛けてきたのはなまえだというのに、何を言うのか


ぶうぶうと文句しか出ないのか、その口は。


さっきからなまえの口からは文句ばかりが垂れ流しで、そういう変な番組のラジオでも聴いている気分になってきた。勉強に集中もできない。できないが、手を止めるわけにもいかないので、手はひたすら何かを記すためだけに意味もなく動かし続けている

その間、なまえはずっと文句量産製造機。それも人様の家のソファーにごろりと寝転がり、ぱたぱたと足を動かしながら。さっきからスカートの中が見え隠れしているという事実に気付いているのだろうか、こいつは



「足ぱたぱたすんな。」


「なんで。」


「何でも。」


「じゃあ、やめない。」


「くまパン見えてる。」


「ばっ、なっ、えっち!賢二郎の変態!!」



ひどい言われようである。べつにおれが自らなまえのスカートを捲り上げて下着を拝んだわけでもないのに、なんでそこまで言われる謂れがあるのか。大体見られたくなかったら、そんな短いスカートなんて履いて来なければいいのに、頭が悪いのだろうか。そもそも、だ。人様の家でくつろぎすぎじゃないんですかね、本当



「賢二郎のばか。」


「なまえよりは頭良いけど。」


「そ、そうだけど、そうだけど…。」


「何。」


「賢二郎のばか。」


「はあ…。」



面倒だなあ、なんて思いながら溜め息を吐けば、また溜め息を吐いた!と膨れるなまえ。もうそういうところが面倒臭い。イライラするし。それにさっきからシャーペンの動きが止まってしまっている。おれの勉強が全くもって捗らない

ぶつぶつまだ文句を生産し続けるなまえ。ばれないように、小さく溜め息を吐き出して、立ち上がる。自分のところに来てくれるのか、と期待の目でこちらを見るなまえの視線はまるっと無視して、台所へ。なまえはまたぶつぶつと文句を作り始めてとてもうるさい


何だって、こんな。


食器棚からグラスを二つ取り出して、カランカランと均等に氷を入れる。冷蔵庫を開けて見れば、なまえの好きなジュース。ジュースなんて普段飲まないけど、あまりにもなまえが美味しい美味しいと言うから試しに買っていたそれを冷蔵庫から取り出してキャップを捻る。とことこと注ぎ口から音を響かせながら、グラスの7分目までそれぞれ注いだら、冷蔵庫にジュースを戻して、すっかり冷えきったジュース二つを手に装備してなまえのところへ



「なまえ。」


「何ですかー、もー。」


「ん。」


「ん?」



すっかり拗ねてしまったらしいなまえはおれが戻ってきたのにも気づかずに、また足をぱたぱたさせている。仕方ないので名前を呼んでみても、こちらには目もくれず、ただ唇を突き出して適当に返事をするだけ。思わず溜め息を吐きたくなるのをぐっと堪えながら、差し出すグラス。カラン、と氷が鳴って、それに反応したなまえがゆっくりをこちらを向く



「ほら。」



ずいっと目の前に差し出せば、なまえは一瞬、きょとんとした顔でグラスとおれを交互に見て、次いで、ぱあっとその顔に花が咲く。寝転がっていた体をゆっくり起こして、おれの手もグラスと一緒に包み込んで、「ありがとう」なんてさっきから文句しか作り出さなかった口から発して、「うへへ」なんて変な笑い声を上げる


……本当、げんきんだ。


すぐ物に釣られて。さっきまでの不機嫌はなんだったのだ。文句製造マシーンはどこへやら、にこにこと笑いながら、さっそくグラスを傾けて、ごくごく喉を鳴らしながら、「へへ、美味しい」と笑う。ああ、もう。本当、嫌だ



「それ飲んだら、勉強するよ。」


「うん!」


「次、文句ぶうぶう言ったら本当追い出すから。」


「うん!」



嬉しそうな顔で、頷いちゃって。たぶん、これを飲み干して、また勉強を再開して、しばらく経てばさっきのようになまえは「つまんない」なんて言って、ソファーを占拠しながら文句を漏らすんだろう。そうしたら追い出すなんて言っておきながら、きっとおれはそんななまえを追い出せないで


本当、むかつく。


なまえに振り回されている自分に。なんだかんだなまえに弱い自分に。どう考えても、おれの方が頭は良いし、部活だって頑張っているし、身長はちょっと低いけど、アンニュイな感じが意外と、というか、結構モテるはずのに、何だってなまえがいいのか。なまえじゃないといけないのか

ふと横を見る。おれの隣に座るなまえ。夢中で空になりかけているグラスの中のジュースを飲んでいる。もう高校二年生にもなるのに、子供みたいで。でも、その幸せそうな顔を見て、思わず口角が上がってしまうんだから、なんて重症なんだろうか



「賢二郎。」


「何。」


「大好き。」


「………はあ。」


「えっ、なんで溜め息を吐くの!もうっ。」



やってしまった。思わず吐いてしまった溜め息でなまえの文句製造工場は稼働をしてしまったようである。本当うるさいなあ、そう思いながら、肩を竦めて、自分の手に収まっているグラスをテーブルに置き、なまえの名前を呼ぶ。こちらを向いた、唇を突き出したぶうたれている顔に寄せる唇

離れた顔。なまえの顔全体が見えて、どうだ、なんて、してやったり顔をくれてやる。いい気分だ。真っ赤な頬のなまえの顔を見下ろして、優越感。



「賢二郎のえっち。」



そんな文句を漏らしながらも、にやにやと口角を上げていくなまえ。それを見て、なんだかやっぱり結局のところきみに振り回されているような気がして、どうしようもなく、おれは甘すぎる香りを放つその唇に噛みついた



思い通りにいかないきみの笑顔
いつも、おればかりが振り回されて、むかつく。


(んあ。)
(……甘い。)
(賢二郎ー。)
(何。)
(ねえ、もっと。)


ちょっとした反抗心で唇に噛みついてみせたのに、結局のところ、振り回されっぱなし。潤んだ目でこっちを見られて、どうしようもない。ああ、勉強をするはずだったのに、どうしてこうなったんだろう。なんで、こんなことに?答えなんてわかっているのに、その答えに辿り着くには、まだおれには恥ずかしすぎて目を逸らす。いつだってきみは思い通りにいかない。思い通りに動いてくれない。それに腹立たしさを感じつつも、それに満足している自分もいて、さらに腹が立つ。おれの服の裾を握り締めて甘い声を出す、その息すら、ひどく甘い。その匂いにくらくらしたおれは、まるで催眠術でも掛けられたかのように、きみの頬を掴みあげて、甘い匂いの発信源に食らい付いた。

あとがき
白布なのか微妙ですが、言い張れば白布になるはずです。



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