ビールの泡


きみの視線の先には、いつだってあいつがいた。あいつが好きだってこと、知っていた。だっていつも、きみはおれに相談をしてくるから。



「ねえ、やっぱり、だめだった。」



だから、どれだけきみがあいつのことを好きで、好きで、どんなに頑張っていたのか、おれはよく知っている。落ち込んだきみが掛けてほしい言葉も、全部知っている



「仕方ないだろ、今はバレーしか頭にないからあいつは。」


「そう、だけど。でもでも。」


「コーチ業が少し落ち着いたら、なまえのこと、わかってくれるから。」


「そう、かな。」


「そうだよ。」



まつ毛が上下に揺れる。その後に、ほっとしたような笑顔。その顔を見て、ひどく胸が痛くなると同時に高鳴る心臓

ああ、ひどい矛盾。

不誠実だと言われればそこまでだろう。他人から見たらおれのことを馬鹿と指を差して笑うだろうか。わかってほしいとも思わないが、それはそれで癪だなあ、とも思う。ああ、また矛盾。おれの心はいつからか矛盾だらけ

なまえとこうして夜に会って、飲みに行くのはいつからだっけ?そうだ、去年の、同窓会から。そういえばあの日から、何となく連絡を取り合って、いつの間にか恋愛相談できるイイオトモダチをやってるな、なんて自分への皮肉を心の中でぼやいて空になりかけのジョッキを仰いだ



「嶋田は優しいね。」


「そんなこと、ねえよ、べつに。」


「それこそそんなことないよ。いつもありがとう。」


「べつに…すいませーん。生二つください。」


「あ、ありがとっ。」



居たたまれなくなった状況を打開するために放ったおれの一言ですっかり汗のかいたジョッキを空にするなまえ。半分くらい残っていた小麦色の液体をきれいに飲み干す。その飲みっぷりはいいもんだった



「なまえは、なんであいつのことを好きなの?」


「え?」



ほろ酔い気分で放った言葉。ずっと気になっていたこと。唐突過ぎた質問になまえの目が点になる。その顔に慌てて訂正、というか言い訳を一言



「いや、聞いたことなかったな、なんて。」


「そういえば、そうだね。」


「おう。」


「ギャップ、ってやつかな。」


「ギャップ?」


「見てくれはすごいいかついけど、昔から面倒見が良くて優しくて…烏養くんにいつも助けてもらって。」



おれと何が違うんだろう。


なんて嫌な感想。確かに見てくれはあいつの方が大分いかつい。おれはまあ、割と普通だし。金髪じゃねえし。そのギャップがいいなんて言われたら何とも言えない気持ちになる

もしも、なんて考えた。もしも、おれが金髪で強面だったら。繋心みたいだったら。おれがどんなに優しくしても、なまえは繋心ばかりだけど、繋心みたいになったら、なまえはおればかりになるのかな。いや、ならないか。だって繋心はこんなこと、考えるような奴じゃないしな



「そういえば、嶋田は?」


「え?」


「わたしばかり話してて恥ずかしいもん。次は嶋田の番だよ。」



なまえの無邪気な提案に店で培った営業スマイルも凍りつく。何を言いたいかなんてわからないふりで、とぼけてやろうかと思ったけど、凍りついた笑顔で意図していることが伝わっていることは悟られてしまっただろう



「おれの話なんてつまらないし、そもそも特に何もないから。」


「そうなの?でも、彼女とか好きな子とか、いないの?」


「そんな子いたらなまえとこうして飲んでないだろ。」


「確かに!そりゃそうだ。失礼しました。」



そう言ってすっかり冷めてしまった唐揚げを頬張ってにんまり笑うなまえ。溜息を吐きたくなる


それが自分だなんて、微塵も思ってもいないんだろうなあ。


この想いをぶつけてみたら、なまえはどんな顔をするのだろうか。今までのことを謝ってきそうだ、すごい勢いで。でも、それだけ。好きだと言えたら、言っただけで何も進展しないってわかっている。だってなまえはあいつが、繋心が好きなのだから

進展するとしたらきっともうこうして呑むことはなくなるんだろうと思う。きっと。そもそもそれは進展ではなく、後退では?



「なあ。」



ジョッキを傾けて空にするなまえを呼ぶ。「何?」とこちらを振り返ってにこりと笑うその顔に少しだけ意地悪したくなって



「繋心に振られ続けたら、なまえはどうするんだ?」


「え、か、考えたこと、ないよ。そんなこと!考えたくないし…。」


「そりゃそうだな。確かにそうだよな。」



おれも考えたくない。


それなのになまえが繋心に振られ続ければいいのに、なんて思っている自分がいて。だっておればかり振られ続けるなんて不公平じゃないかなんてひどい言い草だとは思うけど、でも



「でもさ、違う人のこと好きになろうとか、思わない?振られ続ける繋心じゃない他の誰かを、さ。」


「他の人?考えたこと、ないなあ。」


「一回も?」


「うん。烏養くん以外考えられないんだ。それに、烏養くんを好きなまま他の人と付き合うなんて、その人に失礼だなあって。」


「……よく、わかるよ。」



本当に、よくわかるよ、その気持ち。だっておれも、そう思うから。


おれたちは似た者同士なんだ、きっと。


ベクトルが一方通行なのは似た者同士だから仕方ないんだ。向き合うことはない。それはおれが一番よくわかっている。だっておれも同じだから。繋心を好きななまえを何度諦めようとしてもだめだった。他の人と付き合おうと思っても、なまえと比べて結局付き合う前にさようなら

でも、いつまでもおれはなまえの良いお友達から抜け出せないのだろうか?それは、とっても苦しいなあ



「なあ。」


「ん?」


「もし。」


「うん。」


「もし、おれがなまえのことを好きだって言ったら、どうする?」


「え?」



呼吸困難になりそうで、どうにか藁にもすがる思いで吐き出した言葉。呼気に含まれるアルコールの匂いだけで、おれはだいぶ酔っていると自覚はできているのに、堰き止められなかった言葉たち

驚いた顔でなまえがおれを見る。言葉の真意を探るように瞳の奥を覗かれて、どきりと心臓が跳ねた



「そんな、だって、嶋田、今までそんなこと。」


「今、言いたくなった。」


「そんな素振り一回も。」


「おれ、演技派だから。」


「訳わかんないって。」


「おれもそう思う。で、どうなの?」


「ど、どうって。」


「おれがなまえのこと、好きって言ったら。」


「わかんないよっ。」


「いいから、答えて。」



ちょっと、追い詰めてみる。頭を抱えてしまったなまえ。答えを急かしてみれば頭を抱えるだけではなく、わしゃわしゃと頭を掻きむしって爆発する頭



「もう、会えなくなっちゃうよ。こんな風に。わたし、嶋田とこうして呑む時間、好きだった。」


「うん。」


「でも、それでもやっぱりわたし。」


「冗談だよ。」


「え?何?」


「冗談。なまえがどんな反応するかなーって意地悪した。ごめんな。」


「も、もう!やめてよね!!」



なまえの言葉を遮って白旗をあげる。それ以上聞きたくなかった。元に戻れなくても良いからと放った言葉なのに、やっぱり今のままでもいいから繋ぎ止めておきたくて、なんてずるいんだろうか



「今みたいに冗談めかして繋心に言ってみたら?お前のこと諦めちゃうぞー、みたいな。」


「え?うん。」


「繋心、すぐ近くで呑んでるって。」


「本当?」


「応援してる。」


「嶋田、ありがとう!」



お会計はおれに任せろと言ってなまえの背中を押す。慌てて駆け出すなまえの姿が見えなくなるまで笑顔をキープ。にかやかに手を振って送り出してやれば、おれの好きななまえのきらきらした笑顔


敵わないよなぁ。


姿が見えなくなったところで突っ伏す。「大丈夫か」と店のオヤジが声を掛けてくれて、手を挙げて降参ポーズ。「…驕りだ」と言ってビールとブリ大根が目の前に置かれる。一口、口にしてぼやけてくる視界



「あー、しんど。」



目頭を押さえてキープ。溢れ出しそうになる想いをビールで流し込んで一息。結局、好きだったなんて言えない。



溜め息色の想いはビールの泡で。
しゅわしゅわと消え入ってくれたらいいのに。


(まただめだった。)
(そっか。)
(なんでわたしじゃだめなのかな。)
(あいつは今バレーに夢中だから。)
(本当はそんな烏養くんをわたしが支えたいのに。)


今日も二人、カウンターに並んで小麦色の液体をごくりごくりと嚥下する。結局、おれはきみを突き放すことも、この想いを告げることもできずにただイイオトモダチを続けて。どこかで淡い期待をしているんだ。心の奥底で。いつか、もしかしたらって。起きるわけのない奇跡を柄にもなく信じて、今日も溜め息を一つ。見かねたオヤジがブリ大根をおまけで一皿。目を輝かせたきみの笑顔。これだから、嫌になるんだよ。やけくそのようにビールを飲み干して、どうかこの恋ができる限り続きますようになんて願ってみた。

あとがき
人間矛盾だらけの生き物です。後ろで何やらびりびり、がっしゃーん!という不穏な音がしておりますが見ないふりを今日も決め込んでいるところです。



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