隠した恋心


急に降り出した大降りになった雨。今日は晴れるとクラスの子が言っていたのに、どうやら外れたらしい。折り畳み傘くらい持ち歩いておくべきだったかななんて思いながら、恨めし気に雨が降る空を見上げた。憂鬱な雲の色。こんなにも暗い色をして…今にも雷様が怒って雷を落としてしまいそうな天気に自然と溜め息がこぼれ出た

このままだと家に帰れそうにないなあ…どうしよう。やっぱり走るしかないかなあ。でも、こんな土砂降りの中を走って帰ったら確実に制服が大変なことになるとかいろいろ考えて、もうちょっとここで雨宿りをすることに。どうしても弱まりそうになかったら、そのまま帰ろう。とりあえず今はもう少し様子を見ることにした



「どうかしたのか?」


「わっ。びっくりした。」



止みそうにないなあ、なんて思いながら空を見上げていると後ろから声を掛けられて跳ねる肩。心臓がどくどくと脈打つ。誰だ、と振り返った先に見慣れた顔と目があって、ああ、なんだと思った



「びっくりさせないでくださいよ、澤村先輩。」


「悪い悪い。」


「何、居残り?みょうじだけ?」


「え、あ……その、えっと。」


「あ、みょうじ、お前もしかして、傘ないのか?」


「え、あ、うん。」


「これ、止むまで相当時間かかるぞ…そうだ、おれの傘に入っていくか?」


「え、いいんですか?」


「ここで一晩過ごしたいんだったら別だけど。」


「入る!…あ、入ります!!」



「じゃあ、ちょっとそこで待ってろよ」なんて言って、澤村先輩は廊下の奥へ消えていき、また少ししたら戻ってきた。傘を片手に。澤村先輩らしい濃紺の傘。やっぱり落ち着いた色がよく似合うなあ、なんて思いながらその広げられた傘の中にお邪魔します

鞄をいつもとは反対の手で持って澤村先輩にぶつからないように。ちょっと中側に入ると、澤村先輩の腕にわたしの肩がぶつかって、あまりの近さにかあっと頬が熱くなった。慌てて「すみません」と口にすると、澤村先輩は「気にするなよ」と言って笑った。なんだかちょっと悔しさを感じつつわたしは口を噤んだ


心臓が飛び出しそうだなあ、本当。


どくどくと脈打つ心臓。まさか澤村先輩とこうやって帰ることになるとは思わなかった。たまたま武田先生の手伝いで少し残って、もう帰ろうと思ったら土砂降りの雨。そして、春休み期間中の澤村先輩に会ってこんな状況になるなんて少し運命を感じるなあ、なんて柄にもなく思った



「みょうじと帰るの、なんか久しぶりだな。」


「そうですね。」


「昔はよく、こうして帰ったな。みょうじがよく、大ちゃん大ちゃんっておれの後をついてきてさ。」


「それは小学校の時の話じゃないですかっ!」


「そうだったか?」


「そうだよ!あ、いや、そうですよ!澤村先輩は、ほら、部活、始めたから…。」



わたしが慌ててそう付け足すと、澤村先輩は「そうだったな」って言って笑う。懐かしむようなそんな澤村先輩の顔にどきりと跳ねる心臓

そう言えば、中学に上がってから一緒に帰らなくなった。澤村先輩が先に中学に上がって、バレー部に入って。部活が忙しくなったから、一緒に帰るなんてしなくなった。けど、一緒に帰らなくなった理由はそれだけじゃなくて。なんていうんだろうな、ちょっと、顔を合わすのが恥ずかしくなったんだ。うん、そうだ。恥ずかしくなったの。澤村先輩に会うだけで、わたしの心臓がドキドキと途方もなく高鳴るからだ


わたしと澤村先輩が出会ったのはわたしが2歳の頃だ。家が近所で、所謂幼馴染というやつで。澤村先輩は初めて会った時も、その後もずっと、わたしにとって優しい頼り甲斐のあるお兄ちゃん的存在だった。澤村先輩が大好きだった幼い頃のわたしはよく澤村先輩の後を追っかけて、何かと構ってもらおうとして。澤村先輩はそんなわたしをいつも受け入れてくれて、よく手を繋いで帰ったっけ。でも、澤村先輩が中学に上がってからは、自然と交流が少なくなった。変わっていたのは交流が少なくなっただけではなくて。名前の呼び方も距離感も何もかも変わっていった。それがひどく寂しくて仕方なかったのを今でもよく覚えている



「あんなに小さかったみょうじが今ではもう高校生か。」


「親戚のおじさんみたいなことを。本当に高校三年生ですか?」


「失礼だな。おじさんとか言うなよ。」


「でも、懐かしいですね、本当。」


「何がだ?」


「こうやって…澤村先輩と雨の中、一本の傘を差して帰るのが。」


「あ、ああ。前にも同じことがあったな。あの時はおれが忘れた方だったが。」


「うんうん!今と逆だった…でしたよね。」



前にも同じようなことがあったのを今の話の流れで思い出した。あの時はわたしじゃなくて、澤村先輩が傘を忘れてしまったのだけれど。今と本当逆のパターンで

あの時、わたしは5歳で、持っていた傘なんて本当に小さくて、きっと澤村先輩はびしょびしょに濡れてしまったと思う。でも、帰り際にありがとうと言って笑った澤村先輩の顔を見て、わたしはあの時すごく嬉しかったのを覚えているよ。そして、あの時からもうこんなに大きくなって、隣を並んで歩けるようになったのか



「みょうじは、変わったな。」


「え、そ、そうですか?」


「ああ。綺麗になったな、本当。」



澤村先輩が急にそんなことを言うもんだから、わたしの心臓が爆発しそうなくらいにどきどきと高鳴る。心臓に何かが住み着いていてどんどんと中からノックをしているみたい。わたしはそんな胸の鼓動なんて悟られないようになんとか平静を装って言葉を紡いだ



「澤村先輩は変わらないですよ。あの時から何も。」


「そうか?」


「優しくて、頼りになる澤村先輩のまま。」


「どうだろうなあ。おれだってちょっとは変わったぞ?」


「え、どういうところが?」


「あ、みょうじ。雨、止んだな。」



会話を途中で切られ、見事はぐらかされた。むうと口をへの字にしながら見上げる空。さっきまでの土砂降りはどこへやらといった様子でからりと晴れている。まだ、少し薄暗い雲は残っているけれど、雲間から差す陽の光と橙が目に飛び込んできて、ちかちかと目を刺激した

澤村先輩はそっと傘を閉じる。ああ、なんか少し寂しい。降っていてほしい時には降ってくれなくて、止んでほしい時には止まない意地悪な空をさっきと同様に恨めしく思いながら見上げた。憎らしいくらいの良い天気だ



「なまえ、あそこ見ろ。」


「え?」



久しぶりに名前を呼ばれたことにどきりとしながらも、澤村先輩が指差す方を見れば、雨上がりの空に架かる七色の橋。目を輝かせながら澤村先輩の服の袖を引っ張り、「虹だ」と言葉を紡ごうとした瞬間にぐいっと服の袖を掴んだ腕を引かれ視界が揺らいだ。目の前には澤村先輩の顔と空に架かる虹の橋。何度も瞬きをして、今の現状を把握しようと脳がフル回転


え?今、今、何が起こっている?


処理がまだ終わってないにもかかわらず、離れていく澤村先輩の顔。にこりと微笑みを浮かべたその顔。動揺して、昔に戻った口調で「わたし、そんな大ちゃん知らないんだけど」なんて口にすると、澤村先輩…いや、大ちゃんは、「なまえに見せなかっただけ」なんて意地悪を言う。「何それ、何それ、何それ!どういうことだ!」なんて問いただせば、大人の余裕たっぷりといったような表情で「まだまだ子供だったな」なんて言うんだ。ひどいよ、大ちゃん!



「ちょっとは変わった、だろ?」


「なっ、えっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」



その一言だけを残して歩き出してしまう大ちゃん。



「何それ、何それ、ちょっと待ってよ!大ちゃんってば!!」



大ちゃん大ちゃん!とあの頃と何も変わらない気持ちでわたしは急いで先を歩く大ちゃんを追い掛けた



あの日の傘に隠した恋心
ぱっと開いてまた、きみに恋をした。


(なまえ、真っ赤だな。)
(大ちゃんだって!)
(夕陽のせいだ。)
(雲で夕陽なんてほとんど見えないよ!)
(うるさい、ちょっと黙ってろ。)


昔と何も変わらない呼び方にやり取りが嬉しくて、わたしの舌がよく回ることに困った顔をしたきみの手がわたしの口を塞いで、ふごふご言いながらわたしは言葉にならぬ言葉で反論してみる。もう。はっきりしない。馬鹿。聞きたいこと、言いたいことがたくさんあるのに、これでは何も言えないじゃないか。押し黙るわたしを見て、思案顔をしながらそっと離れたきみの手。静かにするから、今は何も聞かないから、だから。そう言ってわたしはきみの離れていく手を急いで握り締めて、ギョッとするきみの顔を見ながら、「何それ面白い顔だね」なんて微笑んで見せる。サイズの違う手の平の感触を確かめながら、最後のチャンスだからとあの日の傘に隠していた気持ちを口にしてみる。「ずっと大ちゃんが好きだったの」なんて

あとがき
昔書いたものをリメイクしました。お互い好きなのにもどかしい人たちが近づく瞬間、的な。大地さんが近所のお兄ちゃんなら絶対惚れてまうわ!



back to list or top