胸焼け


「おいしー!」


「そっか、それは良かったな。」


「うん!はい、五色、あーん。」



輝かしいなまえの笑顔。おお、いい笑顔だな。うん、それはいいんだ。おれもなまえの笑顔が見れて嬉しいよ。本当に嬉しいんだけど、何これ。ていうかおれにこれを強要しないでほしい。やめてくれ、スプーンをこっちに向けないで!



「はい、あーん。」


「……………………あーん。」



葛藤の末、口を開く。スプーンの上には真っ白な生クリーム。押し込まれたそれが口の中に広がって軽く吐き気を覚えた。おれが口を開いた事に後悔している間にどんどんとそのスプーンで真っ白なそれを掬っては口の中に放り込んでいく目の前のなまえ。ああ、もう見ているだけで胸焼けがする


おれの彼女が化け物になっていく……


目の前に色とりどりのスイーツたち。女子たちが好きそうな見た目が小さくて可愛いやつ。それを少しずつ食べるなまえ。それだけならおれは微笑ましく見ていられたんだ。でも、目の前の光景はそんな微笑ましいものではない。その色とりどりのスイーツたちがところ狭しと並んでいるお皿の数がおかしい。テーブルの上がどこを見渡してもスイーツスイーツスイーツ…スイーツが乗った皿で埋め尽くされてるってどう考えてもおかしいだろ

まさか自分の彼女を化け物呼ばわりする日が来ようとは、と何度目かわからない溜め息をこぼした。女子怖い、本当に怖い。どうやったらそんな甘いものばかりをひたすら食べられるんだ。普段はおれより食べないくせに。ちなみにおれは三個でギブアップした。自慢じゃないけどこれでも結構食べた方だと思う



「よくそんなに食べられるな…。」


「うん、だってここのケーキすごく有名なんだよ!こんなに食べられる日なんてもう来ないかもしれないから、一生分食べておこうと思って!」



もう一生分食べているような気がするのはおれだけだろうか?



「そんなに急いで食べると喉に詰まるぞ。」


「急いで食べないと時間が来ちゃうじゃんかあ。まだ食べてないのあるのに!」


「ああ、そう。」



もうこれ以上何も言うまいと、おれは手元にあるオレンジジュースで口の中の甘さを洗い流す。何かを言ったところでスイーツたちをひらすら口に運ぶその手は止まらないんだから。言っている側からドライフルーツ入りのパウンドケーキを食べているし



「んーっ!これおいしい!!」


「それは良かったな。」


「うんっ。はい、五色。」


「…………。」


「はい。」


「むぐっ。」



フォークに刺さったパウンドケーキを笑顔でおれの口に押し付ける彼女が悪魔に見えました。

小さく開いた口の中に入ってくるしっとりとしたパウンドケーキ。ドライフルーツのおかげか割とさっぱりとした甘さで、さっきの生クリームパラダイスよりはだいぶましだ。「おいしいよね!」と同意を求めるなまえから目を逸らして、「早く食べろ」と促す。おれは一刻も早くこの胸焼け地獄から抜け出したい



「でも、まさか五色が本当に一緒に来てくれるなんて思わなかった!」



ああ、うん。おれもまさかこんなことになるなんて思わなかった。



「不可抗力だけどな。」


「不可抗力?はんれ?」


「口にものを入れたまましゃべるなよ。行儀悪いぞ。」


「んぐぐ…ごめんごめん。で、なんで?」


「……なまえのせいだろ。」


「え?何?」


「何でもない。早く食べろよ。」


「わたしばっかりに食べろって促すー。」


「ば、ばかっ!おれも食べてるっつーのっ!!」


「それ、穴だらけだけど。」


「あ。」



手元を刺されて、なまえの指が差した先にはすっかり穴だらけで無惨な姿になってしまったパフェ。アイスがどろどろに溶けてジュース状になっている。スプーンでぶすぶすと穴を開けて掬っては何度チャレンジしてもおれの胃へ続く門は堅く閉ざされたまま開かなかった

それを見て、「嫌ならついてこなければよかったのに」と口を尖らせるなまえ。おれがここに来たのはなまえのせいだから、本当に


なまえが天童さんとホテルに行くなんて言うからじゃんかよ…


心臓が止まりそうになったし。でもまさかホテルのケーキバイキングとは思わなかった。天童さんも天童さんで「なまえちゃんとホテルかー!ヒャホー!」なんてはしゃいじゃってるし。天童さんめ、知っててあえてケーキバイキングを省略して自慢してきたに違いない。ちゃんとなまえの話を聞いていなかった自分を棚に上げてはいるけど、少なからず天童さんのせいでもあるはずだ、なんて正当化してみる

大体、天童さんって意外と女子にだらしないところがあるんだぞ。そんであわよくばなんて考えてんだからな。なまえは知らないだろうけどさ。でも、なまえはおれの彼女じゃん。それなのに、そんな人……ってチームメイトのことを言うのもなんだが。まあ、いいか。そんな天童さんとホテルに行くなんて言ったら疑うし、嫉妬するし、良からぬことは考えちゃうし、やっぱりどう足掻いても結果は変わらずこうなるに違いない



「五色。」


「なんだよ。」


「不可抗力とかなんだとかよくわからないけどさ。」


「ん。」


「わたし、五色とお出掛けできて嬉しいよ?」


「……うるさいな、もう。」



黙ってこれでも食ってろ、と溶けたアイスでべちゃべちゃになったスポンジを掬ってなまえの口に押し込んだ。それでももぐもぐしてしばらく黙っててくれ、本当

べつにおれだって嬉しくないなんてことはない。だって休みの日に一緒に出掛けるなんてなかなかないことだ。いつもはなまえの家でまったりとするのが常だし。おれは寮だからいつもなまえの家ばかりで。でも、それはなまえがおれの休息を第一に考えて疲れないようにと休みはあまり出掛けないように気遣ってくれているから。だから、久しぶりに二人で一緒に街に出て大きいホテルでちょっと緊張しながらもケーキを食べて、それは楽しいし、素直に嬉しい。ただ、一つだけわがままを許してもらえるならその量をどうにかしてほしい


まあ、珍しいなまえが見れたってだけで、いいってことにするか。


そうでもしないとやってらんない。そんでもって、もう絶対にこんなところに来ない。立ち込める甘い匂いだけで胸焼けがしてくるし。大体こんなところでは天童さんも何もできまい。というか、逆にどん引きだよ、こんななまえを見たら。おれも若干引いてるから、うん



「でも。」


「なあに、五色?」


「……何でもねえよ。」



口元に生クリームを付けながら顔をこちらに向けたなまえを見て、思わず口からもれそうになった言葉を飲み込んだ。ケーキバイキングには二度と来ないからな、と言おうと思ったんだけど、なまえの顔を見た時にその言葉は霧散してしまって。代わりに溜め息が一つ口からこぼれ出す

どれだけ自分がなまえに甘くて弱いかを思い知っただけ。ああ、もう。仕方ない。だって、そんなに幸せそうな顔見たらもうケーキバイキングなんかに来ないとか言えなくなるだろ。反則だ、反則



「ねえねえ。」


「何だよ?」


「また、ここに二人で来ようね。五色と二人で。」


「……そうだな。」



思わず頷いた、とてつもなくばかなおれ。きっとまたここに来ては同じ思いをするんだろう。どうしてここに来たんだ…なんてなまえに生クリームを口に突っ込まれながら後悔して、その後、もうここには来ないなんて言おうと思ったらなまえの幸せそうな顔に何も言えなくなって、それから、とどめを刺されるんだ。「また来ようね」って言うなまえの笑顔で


まあ、それもいいか。胸焼け覚悟でまたここに来よう。その時は胃薬を持って来なくては。


やれやれ、と思いながら何とも言えない甘い空気がやってくる予感がして、おれは飲み物を取りに行ってくる、と席を立つ。おれのグラスと、なまえのカップを手に。何を飲む?と聞けば元気良く「ココア!」なんて言うから、呆れるのを通り越して感心すら覚えるよ、本当。「了解」と微笑んで席を立った。やっぱりおれの彼女は化け物だった



胸焼けがするほどの愛をくれてやる
そんなに甘いものが好きすぎるなら


(そんな風にたくさん食べるなまえも可愛いな。)
(えっ。)
(生クリーム付いてんぞ。)
(ちょ、五色。た、食べ、食べた?!)
(甘え。)


とは言ったものの、ココアをきみのカップにメーカーから注ぎながらそんな変な想像をして身震いがした。おれには無理だ、そんな愛なんてやれる気がしない。ていうか柄じゃないな。オレンジジュースをグラスに注ぎながら、ぶんぶんと首を振って先程の想像を打ち消す。おかげでオレンジジュースが少し飛び散ってしまった。さっと溢したオレンジジュースを拭き、自分のオレンジジュースときみのココアを手に持ちながら席に戻ると、未だに手を休めることなくケーキを頬張っているきみの目の前にカップを置く。「ありがとう!」なんて満面の笑みで言っているきみの頬に生クリーム。やってやる、想像を現実にする絶好のチャンス、タイミングだ!今しかない!!なんて口を開いたおれにすかさず突っ込まれる甘い甘いチョコレートケーキ。胸焼けがするほどの愛をもらったのはおれの方だった

あとがき
昔作ったもののリメイク。
ケーキ食べたい…。妊娠糖尿病での豆腐生活を思い出し写真で我慢する日々です。



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