日曜日


髪を切った。この間までばらばらだった毛先は切り揃えられて、前髪だって作ってもらった。新たな気持ちで美容室の外へ一歩踏み出せば、目の前に広がるきらきらした世界



「ふふん、ふん、ふんふん。」



鼻歌も弾む。スキップ気味に歩を進めて、さあ急がねば。携帯を開いて時間を確認。やばいやばい、美容師さんとおしゃべりが過ぎてしまったらしい。約束の時間までもう少しだ


なんて、反応するかな。


きみがどんな顔をするか想像するだけで胸が高鳴る。お世辞120%かもしれないけれど美容師さんは可愛いと言ってくれたこの髪型をきみはどんな風に受け止めて、どんな言葉をかけてくれるんだろうか。早く会いたい。会ってお披露目したい。だから、今日約束して、今日髪を切りに行ったんだもん



「おっとっと。」



目の前を通り過ぎていく車。急かしすぎた足が赤信号を渡ろうとしていて慌てて急ブレーキ。気を付けなければ。気持ちばかりが急いて事故になんて遭ったら大変だ

逸る気持ちを抑えて、再度動き始める足。けれど少しだけ駆け足で。信号待ちで止めた先に見えたウィンドウの中のわたし。毛先を一摘みいじってみたりなんかして。ああ、早く会いたいなあ



「わわ、もうこんな時間!」



やっぱり急がないとだめらしい。本格的に遅刻になってしまう時間に近付いている。信号が青になったらスタートの合図。走り出して、次の角を右に曲がったら大きな駅前に。人で溢れ返っている、その中にわたしの体を紛れ込ませて待ち合わせ場所へと向かっていく



「飛雄ー!」


「おー。なまえ、てめえ十分も遅刻してんじゃねえか。」


「ごめん、ごめんってば!」



人混みの中。たくさんの人で溢れているはずなのに、その姿はすぐに見つけられる。それはどうやら飛雄も一緒らしい。すぐにわたしの姿を認めて、わたしが手を振れば、少し照れたように唇を尖らせながらも小さく手を振る


飛雄は、どんな言葉を掛けてくれるかな。


どきどきしながら、飛雄の元へと駆け寄って、少し高い位置にある顔を見つめながらにこりと笑ってみる。毛先なんていじっちゃってさりげないアピールも忘れずに



「ん?なんだよ。……あ、もしかして、さっき食ったたこ焼きの青海苔付いてんのか?」


「………いや、付いてないよ。」


「おう、なら良い。行くぞ。」


「あ、うん。」



さらっとスルー。ちょっと待ってよ!なんて心の中では大いに突っ込みを入れているところだけれど、その突っ込みを口にする前にくるりと踵を翻して人混みの中へと入っていってしまう飛雄の背中を慌てて追いかける


何もなしって…まさか気付いてない?!


どんなにばかでも、空気読めなくても、がさつでも、鈍感でも、さすがにこれはない。だってだって切り揃えられた毛先。前髪だって作って、サービスねと美容師さんに巻いてもらった髪。それらを全部スルーってどういうことだ!もう、ばかばか

少し、というか、かなり膨れ面で飛雄の背中を追いかける。唇を突き出して、不満顔。前ばかり見ている飛雄は後ろのわたしには気付かない。久しぶりのデートも、会いたくて仕方なかった5分前、はしゃいでいた自分がなんだかばかみたいだ。わたし、こんな男のどこがいいんだなんて考えちゃう始末



「どこ行くよ。」


「………。」


「そういやなまえ、行きたいところあるとか言ってなかったか。」


「言ってない、知らない。」


「あっそ…じゃあ、どこ行く?そんな遊べるとこもねえけど。」


「どこでもいい。」


「……ふーん。」



何さ、何さ。そうやって。べつに行きたいところなんて口実でしかない。ばか


可愛くないわたし。今のわたし全然可愛くない。楽しくないデート。ばか、ばかお。わたしも、飛雄も。何度も心の中で罵倒。でも、全然もやもやは晴れてくれない。どうして何も言ってくれないのさ、なんて言ってせっかくの二人休みの日に喧嘩する勇気もない

じわり、と視界が歪む。せっかく頑張った化粧が崩れるから少し上を向いて唇を噛み締めたら堪える涙。それに追い打ちを掛けるかのように飛雄が一言



「じゃあ、帰るか。」


「なんでっ。」



震えた声で言った。気付いてくれないし、先に歩いて行っちゃうし、振り向いてもくれないし、おまけに、帰るなんて言う。何それ。そんなにわたしをいじめて楽しいのか!なんて睨み付けても飛雄の背中に突き刺さってそれで終わり



「なんか知らねえけど、なまえ機嫌悪いみたいだし。」


「それは飛雄がっ。」


「おれが、何?」



おれが何とか!やっぱり自覚なしか!このばかお!!


それは、と口ごもるわたしに答えを催促。それでも、もごもごと言えずにいたわたしに、堪忍袋の緒が切れたのかくるりとやっとこっちを向いた飛雄。どすどすという効果音が似合う足音を響かせながらわたしと飛雄の間の距離を詰めてわたしの肩をがっしり掴んで



「さっきから何なんだよ。」


「そ、それはこっちの台詞だよ!」


「何が不満なんだよ。ちゃんと言えって言ってんだろ。」


「何で気付いてくれないの、この鈍感!あほ!ばか!おたんこなす!!」


「なっ。」


「か、帰るなんて言わないでよ!ばかお!!帰る!!」


「ちょ、おい、どっちだよ、待てって!」



知るか、ばか!と捨て台詞を残して踵をくるりと返す。さっきまで進んだ道を後戻り。化粧なんてもうどうでもいい、と言わんばかりに力任せに拭った目元がひりひりと痛い。はしゃいでいた気持ちも、頑張った化粧も全部ぼろぼろなのに、ケープで固めた髪だけがそのまま残って、何だか複雑な気分


どうしてこうなったのかな。


一度吐き出した言葉も歩き出した足も取り返しはつかない。何度そんな風に思っても、時間は戻ってくれないし、戻ったところで結局同じことを繰り返しそう、なんて思いながら走る帰路。無我夢中で走っていたせいで、赤信号に気付かずに突っ込んだ道路。けたたましく警鐘を鳴らすクラクション。ハッとした時には手遅れ。目の前に迫る車に体は硬直してぴくりとも動いてくれない



「なまえっ!」



目を瞑ってそらした現実。次いで、響いたわたしの名前を呼ぶ声と、腕を引かれる感触。ものすごい風がわたしの目の前を通り過ぎていって、来るはずだった痛みはどっかへと吹き飛んでいったらしい

恐る恐る閉じた目を開ける。開けたはずの視界が暗い。首を傾げれば、頭上から降り注いだ怒声がわたしの耳をつんざいた



「何やってんだ、ばか野郎!気を付けろよ!!」


「飛雄……ごめん。ごめんねえ。」



罰が当たったんだと思ったんだ、あの時。意固地になって、おへそを曲げちゃって、少ない丸一日の休みの日の時間を割いてくれた飛雄にひどいことを言って罰が当たったんだと思ったの

拙い言葉で、嗚咽にまみれて聞き取れているのか不明な言葉で、飛雄にそんなことを言えば、不器用にも優しくわたしの頭を撫でる飛雄の手のせいで余計に涙は溢れてくる



「あー…もういいって。なまえが無事なら良い。な、だからもう泣き止めって。」


「でも、飛雄。」


「いいっつーの。」


「……ありがと。」


「まあ、おれも悪かったし。」



唇を尖らせてそんなことを言う。喧嘩していたのに、それももうどうでもよくなって。追い掛けてくれたし、助けてくれたし、心配してくれて、それだけでわたし飛雄にちゃんと想われてたんだって嬉しくなったから、これでおあいこ仲直り



「帰るか。」


「う、うん。わたしひどい顔、してるし。」


「そうじゃなくて。」


「どういうこと?」


「その、なんだ、そういう可愛い感じの時は、なんていうか、誰にも見せたくねえっていうか。」


「え?」


「あーっ、くそっ!一回しか言わねえからな!!……髪、似合ってる。」


「飛雄……!」


「帰るぞ!」


「ちょ、ちょっと待ってよ飛雄!もう一回!よく聞こえなかったから!!」


「一回しか言わねえって言っただろ!だから言うの嫌だったんだよ!!」



真っ赤な耳。足早に道を歩いて行ってしまう背中。急いで追い掛けて、その腕に飛び付いて笑ってみせる



「飛雄大好き!」


「なっ。外で大声出してんじゃねえ!恥ずかしいだろうが、ボケェ!!」



最悪、一転、きみに会いたい日曜日
その一言が聞きたかったの。


(ていうかなまえ、本当すげえ顔だな。)
(うっ。)
(まあ、おれはいいけど。)
(いいの?)
(ちょっともったいないけどな。)


「せっかく可愛かったのにな」なんて!「どうしたの、今日のきみはやけに素直だね!」とどきどきと高鳴る心臓を誤魔化すように茶化してみせる。「うるせえ」なんて真っ赤になりながら唇を尖らせるきみに愛しさが速度を増して。随分と高いところにある顔を見上げては、にしし、なんて漏れる笑み。それを見てきみがぐぐぐっと眉間に皺を寄せてわたしの手を引きながら大股で歩き出す。ああ、もう。やっぱり好きだなあ。現金だなあ、わたしってば。結局お出かけはなしで帰宅、お家デート。でもきみを独り占めしちゃう日曜日。

あとがき
きっと可愛いも満足に言えないんでしょうなあ…そんな飛雄が可愛い…



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