勝ち


「のっちー!」



テレビの前で叫んでいる男が一人。そんな男を横目に溜め息を吐いている女が一人。本当、わたしは何をやっているんだろうか。頬杖をついてしばらく考えてみたものの答えは出ない。本当、何しにここに来たんだろうか


いや、べつに引くまではいかない…いや、やっぱりちょっと引くわー。


あなたのそののっちへの愛はどんだけなの!なんて思いながら、どうにかしてその手製の団扇を振り回しながらテレビに向かって声援を投げるのを止めて頂く方法を考える。ていうか、愛しの彼女がせっかくお家に来ているというのに、なぜ彼氏のお気に入りのアイドルが出ているライブ映像を永遠と見させられなくちゃいけないのだ。しかも、彼氏から引くくらいのっちへの熱烈ラブコール付きで



「おーい、衛輔ー。」


「のっちー!ふぉー!」


「おーい。衛輔くーん。聞こえてますかー。」


「おおおお!」



聞こえてませんね。


何度呼び掛けたかわからないけれど、衛輔にはわたしの声は届いてない模様。その行為を何度か続けている内に空しくなっていくこの心をどうしてくれようか。ていうか、テレビに向かって、「のっちー!」って叫ぶのとりあえずやめてほしい

こんなところ、後輩であるリエーフくんや芝山くんたちに見られたら先輩としての威厳がなくなると思うんだよね。黒尾はなぜかいつの間にか仲間になっちゃってるし、海くんに縋っても、目を伏せるだけで何も役に立たなかった。あの菩薩顔のマルコメ野郎。おっと、つい本音が。いけないいけない。



「衛輔ー。おーい、衛輔くーん。やーい、このちびっこ女顔!」


「おい、なまえてめえ、今なんて言った?」



やっと振り返った顔に青筋。なんだ、聞こえているんじゃないか。ていうか、なんでわたしの呼び掛けは耳に入らないのに、悪口は耳にすんなり入るんだろうね。本当どうかしてるぜ!



「なんて言ったも、何もずっと呼び掛けていたんですけど。」


「いや、その前にちびっこ女顔って言ったこと謝れ。」


「ごめんご。」


「おい、こら。」


「じゃ、なくてだね、衛輔くんや。」


「…おう、何だよ。」



何だよって改めて言われると困るんだけど。いや、ていうか、さ、そもそもこの状況に疑問を抱かないの?と聞きたいんだけど。なんだ、この状況。愛しの彼女がさ、お家に遊びに来ているんですよ。その状況でアイドルのDVDって。ないだろ、普通に。え、ないよね?


あれ、ていうか、わたし衛輔にちゃんと愛されてんのか、これ。


そこに疑問を感じるくらいだよ。本当。この気持ちどうしてくれるんだ。ていうか、これ、わたし負けてんのか。この薄っぺらい液晶画面の中で何万にも人に笑顔振り向いている子に負けてんのか。衛輔一人に笑顔を向けているこの、わたしが

そう思ったらなんかやるせなくなってきた。一人でぐるぐる考え始めて、衛輔の問い掛けは無視。ていうか、さっきからわたしの事無視してたし、おあいこだ



「おい、こら、なまえ。聞いてんのか。」


「知らないもん、衛輔なんか、衛輔なんか。」


「だから、なんだよ。」


「……何でもない。」


「途中でやめんなよ、気になんだろ!」



言おうとして口を噤んだ。だって、口から出てきてくれなかったんだもん、その先の言葉が。衛輔のばかとか、衛輔のあほとか、衛輔なんか大っ嫌いとか言ってやろうかと思ったのに、全然言葉にならなかったんだもん。喉につっかえて少し苦しいし


誰のせいで、こんな。


後ろでずっと流れ続けているライブ映像。のっちが笑顔でこっちに手を振っている。それに騒ぐファンの声。この中に衛輔の声も混ざっているのだろうか。なんかすんごく複雑なんだけど。なんかすんごくやるせなくなるんだけど



「なまえ。」


「何。」


「悪かったって。」


「……自分が何に対して謝ってるかわかってないのに、謝ったでしょ。」


「うっ。」


「いいんだけどさあ、べつに。」



でも、ちゃんと悪かったって顔してたから。何に対してわたしがつんけんどんしているかもわからないけど、とりあえず謝っておけみたいな感じだったけど、ちゃんと悪かったって顔してたから許してあげよう

大体わたしは怒っているというか、なんというか、拗ねている?のかな。悔しかった、とかそういう気持ちの方が正しい気がするし。これ以上衛輔の貴重なお休みの時間をこんな風に使うのはわたしも嫌だし。うん、許してあげよう。仕方ないな



「なあ、なまえ。」


「ん?」


「もう怒ってねえ?」


「べつに怒っていたわけじゃないもん。」


「いや、絶対怒ってただろ…何そんなに不機嫌になってたんだよ。」


「そこ聞く?」


「気になるだろ。」



なんて説明したものか。どう説明したら、すんなりなかったことにできるかな…いや、できないな。


まさか、アイドルに嫉妬しちゃいました、なんてちょっと恥ずかしいじゃん。


ちょっとどころじゃない恥ずかしさだ。いや、でも、これは結構重大な問題だったんだよ、わたしの中で。いっそ、この際はっきりさせる?そうは言っても、やっぱりどう説明したらいいかわからないし、わたしの胸の内に秘めたどろどろとした感情を衛輔に晒すのは、なんていうか、嫌だ



「わたしは、欲張りなのかも。」


「は?」


「それと、負けず嫌い。」


「何だよ、急に。」


「わたしは衛輔以外に好きだなんて言わないし、そんなにたくさんの人に笑顔なんてあげないもん。」


「なまえ…。」


「わたしは、衛輔だけのもの、だもん。」



唇を尖らせて、結局口から出ちゃった気持ち。だって後ろでさっきから流れているライブの音が耳に残って。たくさんの人が「のっちー!」って声を掛けて、それにのっちが答えている。でも、わたしはそうじゃないもん。わたしは衛輔だけだもん。わたしには、衛輔だけだもん


それなのに、ずるいじゃん。


のっちにはのっちを大好きな人がたくさんいるんだから、一人くらい、衛輔くらい、わたしがもらっても、いいじゃん。なんて、やっぱりそんなことを思う自分が嫌だ。アイドルと自分。いる場所も、立場も何もかも、全然違うのに比べてしまうのは、嫉妬してしまうのはもう仕方ないことなんだよ、きっと



「……なまえ、お前本当ばかだな。」


「ば、ばかって!それは衛輔の方でしょ!」



確かにわたしは衛輔よりずっと頭はよろしくないけど!だけど、ばかは衛輔もじゃないか!わたしをこんな気持ちにさせて!!


文句を言おうとしたわたしの腕をぐいっと引っ張って、むぎゅうと抱き締められる体。それでも反論しようとしたわたしの口をいとも簡単に塞いでしまうんだから、悔しいと思えなくて、敵わない



「なまえがのっちに敵うわけないだろ。」


「なっ。」


「おれのこと、こんなに好きなの、なまえぐらいなのに。な?」


「も、もり、もり衛輔!」


「うおっ。」



内蔵が飛び出しそうなぐらい衛輔のことを抱き締めてみる。どうしよう、この高ぶった気持ち。どうしよう、こんなにも胸が熱くなって、言葉にも表せないよ

後ろで流れているライブの映像。のっちがこっちに向かって手を振った。えへん、今日はわたしの勝ちなんだから!衛輔を抱き締めながら、どや顔。だってわたしはこんなにも衛輔一人だけを好きでいるんだから、ね!



結局今日もわたしの勝ち!
きみへの想いだけでわたしの圧勝なんだから!


(あ、やべ、今日のっちがテレビに出るんだった!)
(いや、ちょ、ちょっと衛輔?!)
(録画しねえと!)
(衛輔くーん!聞こえてますかー!!)
(待ってろ、のっちー!)


駆け出していくきみの背中に投げ掛けた声はこの部屋にこだましただけで、振り返りもしない。いや、届きもしなかった。また負けた…勝ったと思ったのに!でも、まあ、いいか。きみの好きなアイドルみたいにわたしは可愛くないし、スタイルも良くない。だけど、きみを想う気持ちはあのアイドルよりもずっと上なのだとちゃんときみがわかってくれているから。それでも、きみが戻ってくるのはわたしの腕の中だけだから。そう思ったら、やっぱりこれはわたしの大勝利なのでは?…いや、やっぱり引き分けといこう。とりあえず目の前で手作り団扇芸をご披露頂くのを止めに行かなければ!

あとがき
アイドルオタクにしてごめん、やっくん…のっちが好きだったというだけで…



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