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「……ん。」



頭がズキズキする。まだ、熱が高いんやろか。


瞼を閉じながら、眉間に皺を寄せ、熱でぼーっとする頭で思案する。おれは本当に阿保だった、と。まさか、風邪を引くとは。しかも、自ら引いたようなもんだ。数分とは言え、冷水シャワーを浴びて、風呂で暖まることもせず、そのままやけ酒のようにビール飲んで。スポーツマンとしてあるまじき失態だな、と自嘲した

風邪なんてとんと引かなかったし、引かないように気をつけていた。だからまさか自分が風邪を引くとは思っておらず、家にそういう備えがない。体温計ぐらいは一応持っているけど。これは明日も休む必要あるか、と思いながら、目を開けて、真っ暗な部屋。少しずつ目が慣れてぼやける視界の端で捉えたものにギョッとした



「あー…え?」


「……ふ。」



おれの腕の中で、何かが蠢く。なんだ、これは。どういう状況だ?もぞもぞと動くその物体を恐る恐る見て、呼吸が止まりそうになった



「あれ、えっと、え、何、なんで、真緒ちゃん?!」


「ん………。」



なぜ彼女がおれの腕の中で、おれのベッドの上で寝ている?状況が掴めない。記憶がないのだ、昨夜から。いや、まあ、ところどころ、切れ切れではあるがあるにはある。けど、どこを辿っても真緒ちゃんとの記憶はないし、こうなった経緯もさっぱりだ。最後に覚えているのは、会社に欠席の連絡を入れたところまで。そこからの記憶が完全に欠落している



「真緒ちゃん…。」



まだ、腕の中で眠る真緒ちゃんの体を抱き締めてみる。夢かと思ったけれど、感触は本物で。肩に顔を埋めてみれば、鼻腔を擽る甘い、匂い。ふと、首筋を見れば、おれが付けたはずのキスマークが消えている。そんなすぐ消えるわけないのに、と思って、首筋を軽く擦れば、現れるキスマーク。どうやらファンデーションで隠していたらしい。なぜかそれにムッとしている自分がいた


そんな濃く隠すほどになかったことにしたかったんか…。


当たり前だろ。何せ無理矢理あんなことをして、決して欲しくないなんてどんだけ自己中心なのか。そう頭ではわかってはいるが、心がついていかない。だって知っているのだ。飛雄くんが同じ所につけた痕を愛しそうに撫でていたのを。絆創膏を貼って隠してはいたが、なかったことにはしていなかった。それなのに、自分のはどうだろうか?まるで何事もなかったかのように、ファンデーションで埋められて、彼女の目に晒されることもない。それがひどく妬ましく、寂しかった。真緒ちゃんの飛雄くんの気持ちと、自分との差を思い知らされるようで



「気、許すな言うたのに。」



自分の腕の中で眠る真緒ちゃんは無防備そのものだ。気を許したらダメだぞと警告したのに、全然ダメじゃないか。それなのに、なぜだか今、この状況に満足しているおれもいて。なんて不安定な心なんだと思った



「あかんで。そんな顔してたら。」



頬に手を這わし、一撫で。おれの手のひらにすっぽりと収まるその頬の柔らかさに、どきりとした。抵抗されないのは、初めてだ。寝ているのだから当たり前なのだが



「真緒ちゃん。」



名前を呼んで起きないことを確かめる。少しだけ、と思いながら無防備に少し開いているその唇に自分の唇を寄せた。軽く触れて、次いで、啄むようにキスをする。これ以上したら、起きてしまうだろうか。逡巡して、やっぱりやめておこうと顔を離そうとした瞬間、がしっとおれの両頬を掴む手。ぐいっと引き寄せられて、より深く重なる唇に、ギョッとした



「んっ、あ、ちょ、真緒ちゃ…。」



何やこれ、え、おれなんか試されてるん?


寝ているのか、起きているのか、わからず扱いに困る。でもよくよく考えて、きっと起きていたら彼女からキスするなんてことはない。ということは、彼女は寝呆けておれにキスしているのだ。これは一体どうしたものか、戸惑いの声を上げたところの隙間を縫い、真緒ちゃんの舌が入ってきて、おれの舌を捉える。いつもおれがしている一方で、真緒ちゃんから攻められるなんて思いもしなかった。そして、それがいやに興奮する。熱のせいもあってか、酸欠になるのも早く、頭がぼーっとしてきた。これ以上は本当にまずい。いや、自分としては願ってもないチャンスだし、自分からしておいてなんだが、おれのこと、見ていないのにこのまま済し崩しでヤるのは何となく嫌で



「ちょ、んんっ、真緒ちゃん、あっ。」



力強っ!何、なんでこんな力強いん?!ほんまに寝てるんか!?しかも上手か!


寝ているのに執拗に攻め立ててくる真緒ちゃん。何とか起こさないように引き離そうにも、熱で上手く力が入らない。それでも、このままじゃいけないと、真緒ちゃんの頬を掴んで、起きてしまうのも構わずに無理矢理引き離し、がたがたとベッドを鳴らしながら後退り。この狭いベッドで距離を取ろうとして、後ろに下がりすぎたために壁に勢い良く背中をぶつけて涙目。息が止まるかと思った



「ん……、あ、宮さん起きたんですか…?」


「あ、ああ、うん。えと、真緒ちゃん、あの。」



感じてしまった自分が恥ずかしく、手の甲を口に当てて、瞬きをしながら寝ぼけ眼を擦る真緒ちゃんを見つめた。そんなおれを見て、真緒ちゃんが可笑しそうに笑う。次いで、何やら体を見回して、ベッドからサッと降り、伸びを一つ。伸びをする真緒ちゃんの体からボキッと音が聞こえたが聞かなかったことにした



「お粥食べれますか?」


「え、あ、はい。」



一瞬何を言っているのかわからず、返答に戸惑ったが、どうやらお粥を作って持ってきてくれたらしく、丁度お腹が鳴ったのもあって、こくりと頷く。それを見た真緒ちゃんが「何も覚えてないんですか?」と肩を竦めたもんだから、起きた時の体勢を思い出しハッとして、「あの、ヤってしまいました?」と聞けば、真緒ちゃんは諦めにも似た悩まし気な顔で「やっぱり熱で脳味噌が溶けちゃったんですね、可哀想に」とだけ言った。


え、どういうことや、それは。おれ、まさか何かしたんか。


混乱するおれを尻目に「お粥温めてきますね」と言い残して寝室を後にする始末。確かにちょっと悪戯はしたけれど、真緒ちゃんは寝ていたし、その前の話っぽい。あれ、本当にヤってしまった?いや、でも服着ているし。いやいや、そうじゃなかったら真緒ちゃんがおれの腕の中で寝てくれるのだろうか。いやしかし…と答えのない迷路に迷い込み頭を抱える



「ていうか、あの、コレ、どうしたら…。」



熱に侵された怠いこの体とは裏腹に、馬鹿みたいにまた元気になっている。昨夜同様に修行僧の如く冷水シャワーを浴びるわけにもいかず、抜くわけにもいかない。どうにか真緒ちゃんが帰ってくるまでに鎮まれ!と念じた午前2時8分



悪戯の代償
これならグーパン食らった方が良かったな、と反省したところで後の祭り


(お粥温めましたよ…って、何してるんですか。)
(自分を鍛え直してんねん。)
(だからって何で熱ある今、筋トレ?阿呆ですか。)
(真緒ちゃんにはわからへんよ!おれの気持ちは!!)
(は?)


とりあえずお粥を食べろとお盆を差し出される。思わず「あーん、してくれへんの?」なんて聞いて、「そこまでする義理ないです」とか言われちゃって軽く傷つく。自分からキスまでしてきたのに、あーんしてくれないって、しかもその断り方に義理ないってどういうことだ。「ちゅーしてくれたのに…」と口を突いて出た言葉に真緒ちゃんは首を傾げながら「は?してくれたんじゃなくて、宮さんが無理矢理したんじゃないですか」と馬鹿を見るような目で言われちゃって涙目。何だよ、やっぱり覚えてないのかよ、ていうか無理矢理したって何だ?え?とまた混乱し始めたおれに、はあ、と深い溜め息を一つ吐いて掬うお粥。「今日だけですよ」と言って差し出されたレンゲにツンデレかよと思いながら、欲望のままに大口開けて齧り付いた。

あとがき


ヒロインが起きるまでのアレコレ。

 


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