06


「ごめんね、仁花ちゃん。急に押し掛けちゃって。」


「ううん、大丈夫だよ。」


「ありがと…。」


「でも、真緒ちゃん、本当に大丈夫?影山くん、お家に帰ってきてるんでしょ?」


「え、あ、ああ。たまにはゆっくりしてこいって…。」


「へえ、そうなんだ。影山くんもすっかり素敵な旦那様になったんだねえ。」



真っ直ぐな仁花ちゃんの視線に耐えられず、目を逸らしながら当たり障りのない言葉を紡ぐ。嘘を吐いていることに申し訳なさを感じながら、仁花ちゃんから差し出された麦茶をごくりと嚥下した


仁花ちゃんがいてくれて助かった…。


東京で頼れる人なんてそういない。地元、宮城なら高校の友達とか泊めてくれるところは多々あれど、東京で泊めてくれるような知り合いと言えば仁花ちゃんぐらいだ。飛雄やバレー繋がりで知り合った人たちはほとんど男性だし…宮さんもその一人で、さすがに泊まるわけにはいかないし、宮さんだって勿論男性なわけで。何もないという保証もないので泊まるのは気が引けて、何とか逃げるようにお礼やら何やらを告げて宮さんの家を飛び出したものの、お金も帰る家もなく、仁花ちゃんに連絡を取ったのは今日のお昼頃のことだ

急なお願いにも二つ返事で返ってきたメールに一安心して、カフェで待ち合わせをし、仁花ちゃんの家に転がり込んだ。飛雄の話題が出るだろうなとは思っていたがやっぱり。情報源は、きっと日向だろう



「真緒ちゃんが家に来るなんてすごい久しぶりだね。」


「あ、うん。仁花ちゃんがこっちに来て、一週間後ぐらい、だからもう、2年前?」


「そうだね。清水…じゃなくて、潔子先輩と一緒に泊まりに来てくれたよね。」


「あ、そっか。潔子先輩、今はもう清水じゃないんだっけ。」


「うんうん!なんか、まだ慣れないよね。」


「うん。まさか、あの田中先輩と結婚するなんて。馴れ初め、結局聞けてないよね。」


「そう言えばそうだね。」



二人が結婚したのは飛雄とわたしが結婚してから、数年後。そもそも付き合うことになったと潔子先輩から報告された時には天変地異でも起きたのかと思った。あの田中先輩と、と言うんだから余計だ。高校の時の二人の関係といえば、しつこくアタックする田中先輩に、軽くあしらう潔子先輩の構図が定着していて、そんな雰囲気、微塵も感じさせなかったぐらいだったから


田中先輩自身は漢気もあって、いい人だけど。


少し強面で暑苦しいところはあれど、いい人だ。面倒見もいいし、大切にしてくれそう。美人で危険の多い潔子先輩をちゃんと守ってくれそうだし、何よりずっと一途に潔子先輩を想っていたし



「仁花ちゃんの方は、どうなの?」


「え、えー?わたし?」


「日向と。」


「ひ、日向とは、何も!」


「そーおー?」


「な、何もないよっ!」



ニヤニヤと笑って仁花ちゃんを見つめれば、真っ赤になって、「本当何もないから!」と首を振る。可愛いなあ、と思いつつ、その初々しい反応が少し羨ましい。そんな感じ、もうずっとない。何かにドキドキしたり、相手の一挙手一投足に心躍るような、そんなこと。飛雄とは長く一緒に居過ぎてしまったから、色々と当たり前になっていたし。それに、わたしたちは、もう



「仁花ちゃん、毎日楽しそうだね。」


「え?真緒ちゃんは、楽しくないの?」


「あ、いや、そんなことは…あ、そうそう。わたし、最近派遣で働き始めたんだ。」


「そうなんだ!影山くん、許してくれたの?」


「え、ああ、まあ…この先何があるかわからないし、ね。」


「そうだよねー。将来のこと考えるだけで胃がキリキリするよ…。」


「あはは。それは考え過ぎだよ。」



昔から仁花ちゃんは色々とネガティブな思考にどハマりして空回りしてしまう節があったけれど、それは月日が経っても健在らしい。何も変わっていない仁花ちゃんにホッとすると同時に、あの頃と変わってしまった自分を比較してちょっとだけチクリと胸が痛くなった。仁花ちゃんは昔から真っ直ぐだなあ、本当


仁花ちゃんみたいに素直になれたら、ちょっとは結末が変わっていたのかも。


今更そんなことを思ったってどうしようもないことは自分がよくわかっているのに、思わずにはいられなかった。あの時、強がって放った言葉たちはもうわたしの素直じゃない口には戻ってこない。でも、それでもと思ってしまう。寂しいと素直に言えたら、と。言ったところで飛雄が何かしてくれるわけではないけれど、もしかしたら今とは違う関係が、結末が待っていたかもしれない。バレーボールと天秤にかけるなんて馬鹿なことをしなければ



「仁花ちゃんは、将来日向と結婚したい?」


「なっ、え、ちょっ。きゅ、急に何言ってるの?!」


「いや、どうなのかなあって。あの潔子先輩だって田中先輩と結婚したぐらいだからさ。仁花ちゃんはどうかなって。」


「いや、いやいや。そんなことまだ、考えられないよ…。」


「そっか。じゃあ、日向のどこが好きなの?」


「えっ。ひ、日向の?」


「うん。日向の。」


「えっと、そうだなあ…直向きなところ、とか。日向を見ているとわたしも頑張らなくちゃって思えるんだよね。なんていうか、一緒に上を目指していきたいって。日向の背中にいつも引っ張られている自分が、いるんだよね。」


「……そっか。日向、真っ直ぐだもんね。猪突猛進すぎるところはあるけど。」


「た、確かに…。」


「置いていかれないように頑張らなきゃね。」


「そ、そうだね…!そう言えば聞いたことなかったけど、真緒ちゃんは影山くんのどこが好きなの?」


「わたし?」



どきりとした。そりゃあ、仁花ちゃんだけの話を聞いて、自分が聞かれないなんてことはない。でも、用意していなかった回答に戸惑う言葉


飛雄の、好きなところか。


当たり前過ぎて考えたことなかった。わたし、飛雄のどこが好きだったんだろう。中学の時、どこに惹かれて、好きだと思ったんだっけ。ここまで一緒に来たんだっけ。思い返してみる。中学、高校、その後のこと。

そう、中学で初めて出会ったのは部活で、だ。バレー部のマネージャーになって、初めて見たの。あんなにキラキラと楽しそうにバレーをする人を。直向きに、ただ純粋にバレーが好きだと体全身で訴える人に初めて出会った。自然と目で追っていた。飛雄の放つボールを追っていて、気付いたら好きになっていた。不器用で、バレーではあんなに色々考えているのに勉強できなくて。中学の時から厨二病みたいな発言が痛くてそれも面白かった。飛雄と一緒に見る景色はわたしにとっていつも新鮮でキラキラしていた。そんな世界へいつも手を引いて連れて行ってくれる飛雄が、好きだった。本当に、好きだったの



「…え、真緒、ちゃん?」


「ご、ごめん。仁花ちゃん。あの、ごめん。」


「え、ちょ、ちょっと真緒ちゃん?!わたし何かいけないこと言っちゃった…?!」


「ううん。ごめん、急に。あの、仁花ちゃん、に、言ってないこと、あって。」


「う、うん?」



言葉に詰まる。急に泣き出して、なんて面倒な女なんだろうか。ああ、やだやだ。飛雄と別れてから、こんな風に涙脆くなって、自分の気持ちなのに上手くコントロールできない。泣き出して、それでも仁花ちゃんに誤魔化して黙っているなんて、できないし、やっぱり言わなきゃ。まだ言葉にするのを躊躇おうとする自分を奮い立たせてごくりと唾と涙を飲み込み、なんとか言葉を紡ぐ



「わたし、飛雄と…別れ、たんだ。」


「え?別れた、って…。」


「離婚、したの。」

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紡いだ言葉はやっぱり胸に突き刺さって、ぐじゅぐじゅと嫌な音を立てて抉られる。なんてずしりと重たい言葉なんだと思った。現実の言葉。それはやはりどこかで否定したい言葉だった



現実の波に呑まれていく。救難信号はどこにも届かない。


(そ、それは衝撃的過ぎて卒倒しそう…!)
(本当、卒倒したい。)
(な、なんで!ま、まままさか影山くん浮気でもしたの?!)
(ずっと二股よ。)
(なんて悪逆非道…!!)


いや、冗談よ。そう言おうと思ったけれど、よくよく考えれば二股されていたようなものだ。バレーボールと。いや、でもそんなきみが好きだったからなあ。変な誤解をしたままの仁花ちゃんを放っておくわけにもいかないので「わたしが飛雄を怒らせちゃったんだ」と訂正。仁花ちゃんは「それはまた…」と沈鬱な表情。やっぱり言わなければ良かったかも、なんて思っても後の祭り。泣いたり、後悔したり、面倒な心だ。でも、いつの間にか引っ込んでいた涙。仁花ちゃんの方が顔面真っ青でこの世の終わりのような顔をするもんだから何だか、可笑しくなっちゃって。仁花ちゃんも、きみが連れて行ってくれた世界で手に入れたものの一つだ。そう思うと、きみと別れたからといって全てがなくなったわけではないんだと思えて、少しだけこの気持ちに折り合いをつけられそうな気がしたんだ。

あとがき


たまにはガールズトークでもと、思ったんですけどね…。



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