「やっぱりわたしは篠山先輩が嫌いです。」



面と向かって人にそんなことを言われたのは初めてだわ、とか頭の中は意外と冷静だ。

まあまあの人数を抱えているバレー部のマネージャーの仕事は山盛りで、舞ちゃんと手分けをしてやって何とか回せている現状。今日はわたしがドリンク作りなどの水回りを担当することになり、給湯室に向かえばばったり出くわした倉田さん。なぜここで会うのか不思議に思っているわたしに冒頭の言葉をぶつけたのである



「わたしのことは嫌いでもべつにいいよー。」


「……っ。」



なんて返そうか迷って、結局そう返した。べつに嫌いでもいい。それは本心だ。出来るなら人には好かれたいが倉田さんに好かれることなんて一生ないように思えた

悔しそうな倉田さんの顔。ああ、この言葉は逆効果だったかなあ、なんて思いながら抱えたボトルをシンクの中へと放り込んでスポンジに洗剤を付ける。水で軽く中をすすいで、次いで、丁寧に中をスポンジで洗っていく。わたしのその様を倉田さんは唇を噛みしめながらただじっと見つめていた。沈黙が占拠した。ただわたしがボトルを洗う音だけがここに響く。その均衡を破ったのは倉田さんの一言



「篠山先輩は二口先輩が好きじゃないんでしょ。」



しんと静まり返ったここによく響く倉田さんの声。思わず手を止めて、倉田さんを見た。わたしを睨み付けながらただ一方的にぶつけられる言葉たち。ひんやりとした水がわたしの手を刺激し続ける



「二口先輩のことを好きじゃない篠山先輩が二口先輩の隣を独占しているから、二口先輩のことを好きな女の子がどれだけ泣いているか、篠山先輩は知らないんでしょうね。」


「……べつに独占なんてしていないよ。」


「じゃあ、二口先輩の隣をわたしに譲ってくださいよ。」



こだまして、反響して、大きくなって返ってきた、その、倉田さんの言葉。わたしの胸を抉るには十分な威力を持って倉田さんから、給湯室の壁へとぶつかって、それからわたしの胸に突き刺さった



「わたしが二口の隣を譲るも何も、それは、二口が決めることだよ。」



最もらしいことを言った。最善の言葉で塗り固めた胸の穴を倉田さんはいとも簡単に貫いて、元の穴よりもさらに大きな穴を開けて



「そう言って、篠山先輩は二口先輩の隣にいたいだけじゃないんですか?」


「そんなこと。」


「じゃあ、篠山先輩の方から二口先輩の隣を離れてくださいよ。」


「………。」


「好きじゃないなら、離れてください。」


「だから、それは。」


「篠山先輩がいるから、二口先輩はいつまで経っても隣に好きな子を置けないんじゃないんですか?」



二口の隣に女の子。フラッシュバックする前に見た廊下の先の光景。二口の隣を歩く倉田さんの姿。わたしが見たことのない二口の顔。ちくり、ちくり。また、胸が痛くなってきた


二口があんな顔を見せる女の子が二口の隣を。


それは倉田さんだろうか。わからないけれど、わたしよりはずっと似合うその隣。みんなも言っていたっけ。お似合いだって。あんな可愛い子に好かれて二口が羨ましいって。もし、二口がそんな倉田さんを好きだったら。それはどう見ても明らかにわたしは邪魔者以外の何者でもない。誰がどう、見ても

わたしは何で二口の隣にしがみついているんだろう。いや、べつにしがみついているつもりはない。ただ二口の隣にいる、それを当たり前のように思っていただけ。当たり前のはずがないのに。でも、幼い時から二口はわたしの隣にいてくれたから、そう錯覚してしまったんだ。だから、わたしの居場所は二口の隣だって、勝手に思い込んで



「……いいよ、べつに。」



ぽつりと落とした呟きのようなわたしの答え。水の流れる音に掻き消されそうなほど小さな呟きでも、狭いこの空間にはやけに大きく響いて、しっかり倉田さんの耳に届いたらしい。倉田さんが心底嬉しそうな顔でわたしに「ありがとうございます」と笑って駆け出していく。その顔が、わたしの胸を抉った



「ありがとうございます、か。」



水で流されていく泡を見ながら、さっきの倉田さんの言葉を繰り返してみた。そして、考えるんだ


わたしの、方だ。


二口が決めることだ、二口がわたしの隣にいるから、わたしが二口の隣にいるのだと思っていた。けれど、逆なんだ、本当は。きっと二口の隣にわたしがいるから、二口はわたしの隣にいてくれるんだ。だって、そうじゃなかったら、わたしは知っていたはずだもん。あの、二口の顔を。わたしは、見て、知っていたはずだもん

でも、わたしは知らなかったから。二口がわたしの隣にいたいからいてくれたんじゃなくて、わたしを、二口の隣に居させてくれたから。それなら、離れなきゃ。倉田さんの言う通りだ。二口はいつまで経っても、その顔を見せられる子と一緒にいられない



「二口は。」


「おれが、何?」


「ぎゃっ。」


「ぎゃって篠山、お前なあ。」



「もうちょっと女の子らしい悲鳴上げろよ」なんて言って呆れたように肩を竦める二口が戸口に背中を預けてわたしを見る。心臓が止まるかと思った。ばくばくと激しく、それでいて大きく脈打つ心臓を押さえて戸口に立つ二口をキッと睨み付けた



「びびびっくりさせないでよ!ばか!!」


「はあ?何だよばかって。篠山が勝手にびっくりしたんだろうが、ふざけんな。」


「うううううるさい!」


「で、おれが何?」


「あ、いや、それは……。」



つかつかとわたしの方へと歩み寄ってくる二口。「早く言えよ、気になんだろうが」と催促の声が掛かる。びくりと肩が跳ねて、手に泡を付けたまま、わたしは後退する。追い詰められると逃げたくなるのは本能なのだろうか、なんて思いながらじりじり後退するわたしに「なんで逃げんだよ」とさらに追い詰めてくる二口。何なんだ、こいつは!

回らない頭でなんとか良い言い訳を探すけれど、何も思い浮かばない。「二口は、」の後にわたしはなんて言おうとしたんだっけ。自分でもわからなくなってる。それなのに、どうして二口に説明ができると言うんだ。そんなの無理に決まっている。ていうか、どうしてこんなにも追い詰められないといけないんだ!


いつも、わたしにはそういう顔ばっかり。


とん、と背中に壁の冷たい感触。逃げ場をなくして見上げた先にいつもの二口の顔。また蘇るあの光景。ひどく胸が痛くなった、倉田さんに向けた、あの、二口の顔。今の二口の顔と重なって、噛み締めていた唇の隙間から、声が漏れていった



「……二口は。」


「何だよ。」


「二口は倉田さんが、好きなの?」



黄色信号は出ていた。気を付けて進め、できるなら止まれ。なのに、わたしはそれを進んだ。気を付けずに進み、そして、衝突事故。この二口の顔だ。時が止まったかのように、停止するわたしと、ひどく眉間に皺を寄せた顔をする二口だけのこの空間。流れていく水の音。跳ね返ってきた自分の言葉に、なぜかわたしがひどく傷付いた



それでも進んだわたしの末路。
自分の胸を抉っただけ、それだけ。


(………。)
(…………。)
(……急に、何だよ。)
(や、やっぱり、何でもない。)
(おい、こら。)


ここまで言って何言ってんだとか言われちゃって結局また追い詰められる。「何でもない」とおへそを曲げた口。喉まで出掛かった言葉。でも、言ってしまったら、なんだか全て壊れてしまいそうな気がして。それに、今それを二口から聞いてどうするんだと思う自分もいて。意味なんてない。だけど、それはわかっているけれど、それでもその言葉を口にするだけ、二口の答えを耳にするだけで、きっと「何か」が変わってしまいそうな気がして、その先を聞くだけの勇気がわたしは出せなかったんだ。


少女漫画的なライバル…


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