04




「北くん、見てみて!これはどうや!!」


「……はあ。」



えっへん、と腰に手を当てて得意げに言った南川さん。おれは目の前に出されたトリュフチョコらしきものを見て、溜め息を一つ。そんなおれを見て、南川さんはいつものように慌てて「そんなにあかん?見た目はええ感じやと思うんやけど!」なんて言い始める


なんと、言ってええのやら。


トリュフチョコらしきものは異様な光を放っておれを威嚇した。食べられるものなら食べてみろやなんて言われているようだ。まあ、トリュフチョコは喋らないからこれはおれの想像でしかないが。それはさておき、食べようにも食べられないのだから、これは目の前のトリュフチョコらしき何かの勝ちだな、なんて自分自身わけのわからないことを思いながらそれを指差して首を振った



「今回もあかんのかあー。なんでこうなっちゃうんやろなぁ。」


「こうなるも何も、なんやこれは。」


「え?トリュフチョコやけど。」


「よう見てみ。南川さんのトリュフチョコ。レシピ本のトリュフチョコ。」


「うっ……は、歯が、鍛えられるやんか!美味しく食べられて、且つ、健康にええて最高やん!!」


「包丁が通らへんのに?鍛える前に折れるで、歯が。」



突き刺さっている包丁。抜こうにも抜けないとはなかなか防御力が高いトリュフチョコ。この間のトリュフチョコも固くて、甘い石でも食べているようなものだったが、今回のは石と言うよりは岩と言う方が正しい気がする。強固すぎて歯が折れそうだ

フォークすら、と言うかもはや包丁すらも刺さらないトリュフチョコ、もとい、チョコレートの岩を前にうなだれる南川さん。少し言い過ぎたか、と思いながら、なんて声を掛けるのが良いか考えたが、どうにもいい言葉が思い付かない。ああ、こういう時、南川さんの好きな侑ならなんて言うのだろうか。調子の良いことを言って元気づけるんだろうか…いや、でも、侑のことだから、包丁の刺さらないトリュフチョコを前に大笑いするのだろうな。そうして笑ってくれるだけでもきっと違うんだろう


何を考えているんやろ、おれは。


最近、おかしい。よく比較するようになった。それも、侑、と。侑を比較対象になんてしたところで、何もない。そもそも学年も、性格も、生まれ持ったものも何もかも違う侑と比べて何になると言うのだろうか。不毛すぎる



「あれ?北くんもう行くん?」


「せやね。」


「そっか、残念やなぁ。まあ、次来た時にはめっちゃ美味しいトリュフチョコ食べさせたるから!」


「期待せんで待っとくわ。」


「何やて!……北くん、ほな、また!」


「ん、また。」



何でやろ。なんか…安心するんよなぁ。


南川さんに倣い、軽く手を上げて、小さく左右に振ったりなんかして、柄にもないなとちょっと気恥ずかしく思いながら化学科教室を後にする。廊下に出て向かうはバレー部が占拠する体育館。今日も今日とて、バレー部に顔を出すと練が勝手に約束してしまったのだ。もう高校でバレーは辞めると決めたから、本当はずるずるとこうして顔を出すのは良くないことだとわかっている。わかってはいるが、練もおれも、まだ熱が残ったまま、胸に燻っていて離れ難いのだろうなとも思うから

先日みたいに遅くなったら、南川さんを待たせてしまうかもと思い、今日は練たちに先に体育館へ行ってもらい、おれは一人化学科教室に寄ってから行くことにした。練がニヤつきながらやたらと何かあるのか聞いてきたが、探られるのが何となく嫌で「ジャージを忘れたんや」なんてもっともらしい言い訳を吐いた。いや、実際にジャージを持ってきてなかったから、あながち間違いではないのだが



「あ、北さん。」


「…角名、どしたん。練習中やろ。」


「今休憩中ですよ。双子が喧嘩して近くにいたもんで巻き添え食らいましたわ。水ぶっかけられたんで、着替えに来たんですけど、北さんは、何や、遅かったですね。」


「ああ。これ、取りに行っててん。」


「ああ、ジャージ。ほんまは今日来る予定なかったんちゃいます?」


「そないなことあらへんよ。それより、びっしゃびしゃやんか、自分。風邪ひかんようにしいや。」


「あ、ありがとございます。」



どうやったら双子の喧嘩の末に近くにいたらしい角名がそんなびしょびしょになるのか不思議で仕方ないが部活で必要な物を詰め込んだエナメルバッグの中にあった大判のタオルを手渡すと、きょとんとした顔でおれを見返し、次いで少し戸惑い気味にお礼を言う角名。なんだその反応は、と思いつつも、ジャージに着替えるためにブレザーのジャケットに手をかけた時、角名が「あ」と一言声を漏らす。何だ?と思いながら角名を見遣れば何とも言えない表情の角名とばちりと目が合った



「北さん、何や、珍しい匂いしますね。」


「珍しいって何や、それは。」


「なんて言うたらええんやろ…甘い?匂いですかね。」


「甘い匂い…?ほんま?おれにはわからへんけど。」


「ああ、あれや、チョコレート、の匂い、がしますわ。」


「……ああ、チョコレート。」


「心当たりでもあるんですか。」


「まあ、ちょっとな。」


「……珍し。」



南川さんとあそこに居過ぎたから、やろか。全然気付かへんかった。


いつの間にか化学科教室に充満していた、あの、甘い匂いが移ってしまっていたらしい。角名に指摘されるまで気付かなかったことに驚きつつも、何というのだろうか、この何とも言えない気持ちは。勝手に緩んでしまう口元を押さえて袖口の匂いを嗅いでも、やっぱりおれには感知できなかったけれど、あの、甘い匂いがするというのは何だか良いなと思った

そんなおれを見てか、タオルで濡れた体を拭きながら角名が驚いた顔をしたけれど、それには気付かなかった振りをして、どこか名残惜しさを感じながらジャージに着替えるためにジャケットを脱ぐ。脱いだジャケットをハンガーに掛けたら、次いでスラックスを脱いでジャケットと一緒にハンガーへ。服を脱ぐ順番、それらを掛ける順番に掛け方、全ていつも通り。ずっと繰り返ししてきた動作の中に、ふと、淡く香った匂い。やっと正常に戻った鼻が感知したそれにやっぱりどこか胸がおかしくなるのはなぜだろうか



「おー、信介、遅かったな。」


「すまん。」


「また、あそこに行ってたん?」


「あそこ?北さんどっか寄ってきよったんすか?」


「練、余計なこと言うなや。」


「はは、堪忍してや。」


「えー!なんすか、それぇ!気になるやないですか!!」


「侑、うるさい。」


「その内わかるんちゃう?もうすぐそういう時期やもんなー。」


「ああ、だから北さんさっきチョコレートの匂いしてはったんや。」


「チョコっ?!」



一同どよめく中、練だけは驚く様子もなく「青春してんなや」と大口を開けて笑ってる。おれからチョコレートの匂いがしたらそんなにおかしいのか?と少し疑問に思ったが、よく考えれば別にチョコレートがすごく好きなわけでもないし、ましてや、お菓子作りが趣味というわけでもない。そんな男からチョコレートの匂いがしていたら、確かにおかしいか、と妙に納得


別に、おれ宛ちゃうけどな。


この匂いの発信源はおれ宛のチョコレートではない。自分でそう突っ込んで、なぜか少しちくりと痛む胸。不思議な痛みに、胸をそっと押さえてみてもよくわからなくて首を傾げる。そんなおれは他所に、連中はバレンタインデーの話で何やら盛り上がっている。やれ角名が意外ともらってるとか、アランは何故か男からもらうことが多いとか。それから、双子の話



「どうせ今年も一番もらうんは侑やろー?」


「いやいや、治も負けてへんで。」


「何で銀が張り合ってんねん!で、いつもどっちが一番もろてんの?」


「おれに決まってるやろ!」


「そりゃツムやろ。おれは興味あらへん。食い切れんほどもろてもな。」


「とか言うて悔しいくせにー!このこのっ。」


「茶化すなや!やめろや!!」


「でも、気をつけなあかんで、侑ー。自分去年変なもんもろたやんか。」


「あー…髪の毛入りとか…血を混ぜたとか…び、媚薬入りとか…。」


「は、こっわ。」


「今年は月刊バリボーの効果でもっと増えるかもしれんな。」


「……おれは今年チョコもらわへん!」


「あかん。」


「え?」


「どうした、信介。」


「あ、いや…何でもあらへん。ほら、そろそろ練習再開すんで。」


「北さん、キャプテンおれなんすけど!?」



思わず口から出た一言。さっきまで盛り上がっていたみんなの目が一斉にこちらを向いて、訝し気な顔をする。やってしまった、と話を逸らすために練習をするように促せば、新キャプテンに就任している侑がやいやい後ろで言っているがスルーをする


もし、侑が誰からももらわへんかったら、南川さんのチョコレートはどうなるんやろ。


化学科教室でずっと作り続けている南川さんのトリュフチョコは、想いは。あの真っ直ぐな南川さんの想いは受け取ってすらもらえないのか。それはなんと寂しいことか。苦しいことか。侑に拒絶されたその瞬間、南川さんは何を思うのだろう。どんな顔をするのだろう。受け取ってすらくれない南川さんのトリュフチョコはどこへ行くのだろうか。



「おれまで、苦しい。」



そう考えたら、勝手に口から零れ落ちていた言葉。何故かおれまで苦しい。南川さんのそんな姿を見たくはない。この気持ちは何と言うのだろうか。何なのだろうか。おれには、よく、わからないけれど、ただ、胸が痛くて仕方なかった



生まれた矢印は一方通行
あの想いも、何もかも。


(おーい、信介。)
(あ、ああ。)
(どうしたん?なんや今日はようぼーっとしとるね。)
(何でもあらへん。)
(そうか?そやったらええんやけど。)


どうやら気付かない内に練習をするためにと向けていた足を止めていたらしい。背中をぽんと叩かれて振り返った先にアランの顔。心配げにおれの顔を覗き込んで、声を掛けてくれる。それに大丈夫だと小さく頷き、止めた足を動かす。本当は大丈夫じゃなかった。自分でも、何がどうなっているのかわからなくて、もやもやとするこの胸の内。考えたきみのこと。鼻腔にこびりついた甘い、匂い。わからないことばかりでぐらぐらとする脳内で一つだけわかったのは、きみの想いは侑に受け取ってもらえない。ただ、それだけ。


角名のしゃべり方わかんねええええ。名古屋の人のしゃべり方わからん…行こみゃあぐらしか知らんのやが…角名が行こみゃあって行ったら絶対可愛い…



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