「そうか、刀々斎は逃げたか」
辺り一面がむせ返るような熱気に包まれている。こんな所に住むなんてどう言う奴だと思っていたらどうやらもうここにはいないらしい。そうと分かればもう用はないのだろう、殺生丸は踵を返し元来た道を戻ろうとしていた。
「置いていかれるわ、邪見」
「分かっとるわい!!」
少し早足で追いつけば彼はちらりと横目で私たちを見てまた進みだした。ぶつぶつとまだ話し続ける足元の邪見から不意に私の方へと視線を向けられれ、なんだと思っているとつうっと目が細められる。
「大体わしはお前のような奴が殺生丸さまと共にする事にまだ賛成しておらんのだぞ」
「…用が済めば何処かへいく。それまで辛抱して」
「そうは言っても…」
「邪見」
前を向いたままの殺生丸が一言そう言うとぴしっと邪見の背筋が伸びた。すぐに小言を止め慌てた様子で前に出るとすぐに畏まって要件を聞いた。
「阿吽を連れてこい」
「はは、すぐに連れてまいります!」
言葉通りにすぐさま何処かへ向かうその後を、阿吽と言う聞きなれない言葉が気になり付いて行こうとしたがそれは叶わなかった。菖蒲、と確かに呼ばれたのだ。あの日以来滅多に呼ばれる事の無かった己の名に少なからず動揺し何となく上擦った声で返事を返してしまう。
「……邪見だけで充分だ」
「…そ、そう」
あの金眼と視線が交わるのはどうにも苦手で直ぐにそらしてしまうようになっていた。今日もまた顔を背けた私に彼は眉間に皺を刻みまた前を向く。なにが気にくわないのだと思うがそれを聞くほど愚かでは無い。着いて行くと決めたものの時折、本当にこれで良かったのかと思う事がないと言えば嘘になる。
「くだらんことを考えているな」
「!」
射抜くような視線が注がれて、こうなると私は動きを止めざるを得ないのだ。何かが分かるかもしれない、50年間分からなかったそれを目前にし、もしかしたら私は怯えているのかもしれない。目を瞑って来たが薄々勘付いていた真実を明らかにされることを何よりも。
「…ついて来ると決めたのだろう」
「…………」
「なら、それ以上考えるのは無駄だ」
以前彼は慰めなど言わないと言ったが、欲しい時に欲しい言葉をくれるのは無意識なのだろうか。彼越しに景色を見るのをやめ今度こそちゃんと視線を合わせた。一体何を考えているのか皆目見当が付かないがそれでいいと思った。
「そう、ね」
上がりかけた呼吸が元のペースを取り戻す。それから口をもう一度開こうとしたがそれより早くずっと遠くの方から彼を呼ぶもう聴きなれた声がしたので一旦やめた。嬉々として邪見は殺生丸に話しかける。
「殺生丸さま!阿吽めを連れてまいりました」
軽く地面からの衝撃を感じ振り返れば大きな双頭の生き物がそこに。これが阿吽と思っていると既に殺生丸は歩を進めていた。
「行くぞ」
踏み出した足取りは何時もより軽い。
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