滲むネオン街を尻目に歩みを進めていく。小雨が朝からさあさあと降っていたある日、昼頃、真島さんから連絡が来た。『今夜8:00バッティングセンターな』懐かしい文字に笑みが溢れた。遠い昔、私と貴方が仲を深めた、思い出の場所。
あの、久しく出会ったあの朝から私たちは想い合う仲となった。関係は順調だった。しかし、それでも空白の十年というものは長すぎた。ふと、私の知らない真島さんを見つけると、それは当然のことだろうのに、二人が遠いところにいるような心地になるのだ。私はもっと貴方を知りたい。
程なくしてバッティングセンターに訪れた。十年ぶり思い出の場所は懐かしいような、そうでないような気がして、私は少し鼻をすすった。そこには誰もいなかった。姦しいはずの都会の喧騒も遠いものに思えた。
「きたか」真島さんは先に来ていたようだった。
「来ました」私は言った。「懐かしいですね」
「そうか。なまえちゃんはここきたんは久しぶりやな」
――なまえちゃんは。と真島さんは言った。貴方は度々来ていたんですね。思っても口に出すことはできずに、「…はい。ここにきたのは十年ぶりです」少し目線を反らした。
ボールを打ち返す音が小気味よい。私と真島さんは並んでボールを打つ。一心不乱にバットを振りボールを打ち返していく。思ったよりも、うまく打てて、私は内心ほくそ笑む。
「なまえちゃんは、」バッティングのさなか、真島さんが口を開く。
「はい?」打ち返しながら返事をする。
「打てるようになったんやなぁ。 …ほれ!ホームランや!」
「あ、すごい。さすがですね」
「ゴロちゃんにかかればこんなもんやで!」
嬉しそうにはしゃぐ真島さんは、こういっては失礼だが少し可愛い。そんな姿を見ると愛おしく感じる。
「ほら、またボール来ますよ」
「ほんまや、やったるでぇ」
またバッティングをする音だけが聞こえる。私も打ちながら、「打てるようになったんやなぁ」真島さんの声を思い出す。一瞬だったが何かを噛みしめるような声だった。
私は確かに、十年前、全くボールを打つことはできなかった。「難しいなぁ」「ゴロちゃんが教えたるから」というやり取りを思い出す。
できるようになったのは地方に進学してから暫くたってからだった。私は地元のバッティングセンターに足繁く通い腕を磨いていった。他に大した娯楽がなかったから――というのも否定はしない。でも、真島さんとの思い出に浸っていたかったのが本音だ。自らその関係に歩むことなどできもしなかったのに。
「はぁ。疲れたわぁ。ちょっと休むわ」
気付いたら真島さんが近くにいた。私は思いの外集中していたようだ。
「少し休みましょ」
「水いるか?」
「あ、持ってるんで大丈夫です」
並んでベンチに座って水を飲んでいた。冷たい水が火照った身体に丁度よかった。身体を動かすと心地よい気持ちになることを思い出す。真島さんを横目で見ると同じように寛いでいた。
「よー打ったなあ」
「ついていくのが大変でしたよ」
「せや」真島さんは言った。
「いつのまに、そないなことできるようになったんや?」
隻眼が私を覗き込む。ああ、それは。
「俺の知らんうちに」
それ以上はきっと、
「妬いてまうわ」
妬いてまうわと貴方はいった。貴方も私の十年に妬いていたと?私も、私も同じ想いで。だから、私も。
「私も、妬いてました。あなたの十年に」
聞かれないようにぼそりと呟いたつもりだった。けれど、貴方は私の声をしっかり聞いていたみたいで、「なまえもやったんか…」貴方の声が耳に届く。
私は話した。真島さんのことがずっと忘れられずに離れてからも一人で練習をしていたこと。時折見せる真島さんは知ってるのに知らない真島さんであること。知らない真島さんを妬いていたこと。
思うよりすらすら喋れた。貴方がずっと聞いてくれていたからかもしれない。
「これは私だけだと思ってだと思ってました。でも真島さんも」
「せや。小さかったなまえちゃんが大きくなってそれは喜ばしいことや。しかしやな。戸惑っとるのかもしれんな。なまえちゃんの十年に憧れとる。側におれたら、ってな」
「なんか、それ聞いて安心しました。私たちって同じだった」私は真島さんの肩に頭を預けた。
「せやな。お互いずっと好いとったんも同じ、こうして十年に焦がれてるのも同じ。全部おんなじや」貴方は私の頭を緩く撫でた。
「真島さん」肩に頭を預けたまま視線だけを真島さんに寄越した。
「なんや」
「少しずつ、知っていきましょう。私達の十年を。そして未来を」
私も真島さんも笑っていた。
身体を預けたままにしていたら、突然私のお腹がぐぅと鳴る。
「真面目な話をしたらお腹空いたなぁ」
「お、ゴロちゃんも同じや。腹が減ってしょうがないわぁ」
「じゃあ食べに行きましょ、焼き肉屋。ゴロちゃんの奢りで」
「なんやて!…今ゴロちゃんって呼んでくれたんか?」
「あ…」
「『真島さん』なんて他人行儀やなぁ。ええでぇ。これから俺のことゴロちゃんって呼んでくれたら、奢ったる!」
さっきは勢いで言ってしまったが、実際言おうとすると恥ずかしく、顔に熱が集まっていく。隻眼は私を射止める。こうなったら私に勝ち目は、ない。
「ご、ゴロちゃん…」
「ええで〜もう一回!」
「ゴロちゃん!ほら!焼き肉行くよ」
「ええのぅ」ニヤケ顔のゴロちゃんを尻目に私は席を立つ。お互いの気持ちを知ることができた。その嬉しさを隠せずに私も私でにやける。
これから、お互い知らないことをもっと知っていこう。私達ならきっと、難しくないはずだ。
「そうして心臓は愛しさに還る」のその後のお話
匿名様リクありがとうございました!
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