山姥切が無事だった卓袱台を他の部屋から持ってきて、歌仙が無事だった湯呑みを人数分持ってきて、私達は卓袱台をひとまず囲んでいる。湯呑みの中身は水だ。

「…山姥切。そういえば握手がまだだったよね?」

私は水で喉を潤すと、ふと思い出して、山姥切を呼んだ。
『握手は後程でも宜しいでしょうか』
私は初めて出会った時、そう言ったのだった。
彼はマントのフードを深く被ると、視線を逸らした。
私は包帯の巻かれた左手を差し出すが、彼のその様子を見て「ん?」と首を傾げた。
そして考えが行き着くのは、私が差し出していたのが左手だと言うこと。

「…あ。左手でごめん。物理的に左手しか無くて、つい…」
「…いや、そうじゃない。あんたが左手しか無いのは知っている」
「じゃあどうして?」
「…山姥切は、直してくれたとは言え、自分がその左手を傷付けてしまった事を悔いているのさ」

歌仙は笑いながら言うと、隣に居る剣勢の頭を撫でながらこの様子を笑顔で見ていた。
剣勢は目を細めて胡座を組んだ足に両手を乗せ、隣に座る歌仙のされるがままになっている。この短時間で私以外によく懐いたものだ。まるで猫のようだと思う。

「私は別に気にしてないって……。こんなのすぐ治る。名誉の負傷だって。ね、じゃあ仲直りの握手にしよう。ほら」
「いや、だが…」
「仲直りという事なら、握手したらどうだい?主は握手を求めているよ」
「主の命令なら従う…だが、痛く無いのか?」

おずおずと言った感じで山姥切はフードを少し上げ窺ってきた。
私は正座をしていた太腿を左手で強くパンと叩くと、もう一度山姥切の前に手を突き出した。
山姥切は私の太腿を叩いた音にビクッと体を震わせた。

「…痛くない」
「嘘を吐くな。涙目だぞ」
「…涙目じゃない」

私は更に山姥切の前に手を近付ける。
確かに、今ちょっと痛かったが、こんな事で握手が出来ないのは悔しい。握手を言い出したのは自分だ。
ほんの少し差し出してきた山姥切の左手を、私は見逃さなかった。ガシリと無理矢理掴んで数回上下に振る。

「ね、これで仲直り」

私は笑顔でそう言った。

「アンタは、ずるい」
「……なんか言った?」
「何でもない。そろそろ手を離さないと傷が開いて血が滲むぞ」
「あ、本当だ。滲んできた。歌仙!血が滲んできた、包帯変えないとだ」
「やれやれ、今度の主は賑やかな人だ。今、薬箱を取ってくるから待っていてくれ」

歌仙はそう言って立ち上がると、薬箱の入っている棚の扉を開けた。

「この主だって、前の主のように…すぐ何処かに行ってしまうんだろう?何をやってるんだ、僕は…。尽くしても…無駄だと言うのに…」

紫の雅人は私から離れた棚の陰で薬箱を抱えてボソリと言ったのを、私は聞き逃さなかった。
血が滲んだ包帯巻きの左手を右肩に持って行き、フウ、と溜息をついた。
聞かなかった事にして何もないよう振る舞うことも出来たろうに、つい思っている事が口から出てしまった。

「だから、どこにも行かないって…行く所が無いって。最初に言ったでしょう、歌仙。前の審神者が何者か知らないし、知る必要も無いと思っているけど、私達は何処にも行けない。…私達は貴方達にお世話になるしか無いんだよ。今まで、政府に良いように使われ、必要が無くなったから工房ごと処分された。それだけでは飽き足らず、私から剣勢まで取り上げられそうだった。きっと剣勢が政府に残ったら実験鼠のように使われた後は、折られて捨てられる。……私達は引導を渡された。でもね、政府以外の所なら、剣勢と一緒なら、住めば都だと思ってる。どんな所も、どんな環境も。……こんな体になっても、まだ生きたいって思うから」

…そう、分かっていた。
時間遡行軍の手が届かない筈の、霊力の強まる夜の霊山に時間遡行軍が来た。それは政府に手引きをされての事で、私を暗殺するためにだったと言う事も。
養父が自分の刀を作らなかったから、次代の私に賭け、私はまんまと自分の腕を試すために剣勢を作った。名刀達を実験研究する事は出来ないから、私の様な霊力の持った無名の鍛治職人が作った刀剣を取り上げ、実験しようとしていた事も。
工房が焼かれた日、それは確信に変わった。
新たに謎になったのは…何故、私が審神者になる条件に剣勢を連れて行く事を許可したのか、だが。
チラリと剣勢に目をやると、湯呑みに口をつけながら卓袱台を見つめていた。彼なりに考えているのだろう。
私の長い話を聞き、動くことが出来なかった歌仙は顔を上げ、ゆっくり私を見た。

「何処にも行く所が無い、と言うのは……本当だったのかい」

困った様に眉尻を下げた歌仙は、薬箱を持って私の前に座った。

「本当だよ。嘘ついてどうするの」

はい。と、私は血の滲んだ左手を差し出した。

「僕達に取り入る為だと思っていたよ。でも、山姥切を直したのを見て…少し気が変わったんだ。でも不安が無いわけじゃなかった」
「前の主は、直さなかったの?」
「普通、審神者には直せないよ。折れたものに対しては見て見ぬ振り……前の主は片足で端に寄せたよ。でも、折れてなかった僕達には優しかった」

そう言いながら、汚れた包帯を解いて、新しい物を巻いて行く。
クルクルと手際良く白い包帯が傷の開いた掌を覆っていく。

「……酷い話」
「酷い話だろう。でもね、僕達の主だった。審神者の代替わりに失敗し、打ち捨てられたこの本丸を立て直してくれる小さな希望だった…」
「でも、此処を捨てた」
「…そう。元々、霊力のあまり強くない審神者だったから、主がいなくなった途端、直ぐに僕らは刀に戻った。主が居たのは…そう、1週間持たなかったかな」
「それじゃ、ここの刀剣全部を顕現する事も出来なかった?」
「そうだね。全部を顕現するんじゃなくて、選りすぐって、側に欲しい刀だけを顕現していたよ。後は放置さ」
「…酷い話」

私の前にそんな審神者が居たのか、と溜息が出た。最悪の審神者に当たってしまったんだな、この本丸は…と思った。
私が此処の刀剣男子だったら、次の審神者に期待しないだろう。
包帯はもうすぐ巻き終わろうとしていたが、話を進める歌仙の包帯を巻くペースは、どんどん下がる。

「でもさ…、そんな短期間の審神者だったのに刀剣達の希望だなんてさ……刀剣男士にとって審神者って、凄いんだね。……私は皆の思う様な審神者になれるのかな」
「もう、僕らの希望さ。あの人と違って、山姥切を直してくれたろう?片手しか無い、この手で」

やっと歌仙は包帯留めを手首で留めると、私の手の甲を返して「はい出来た」と左手に自分の手を重ねた。
包帯からほんのり温もりが伝わってくる。

「僕とも、握手をしてくれないか」
「仲直りの印?」
「そうなるね」
「喜んで」

憂いを帯びていた紫の雅人は、触れていた手を滑らせ、私の手を握ると、固く握手を交わした。
それを見て、ずっと黙っていた山姥切が口を開いた。

「俺は……知らなかった、その主の事。折れてる間の記憶が無かったからな」

そう言って湯呑みの水を一口飲むと、山姥切は私を見つめた。

「だから、あんたが…俺の主だ」
「ありがとう。2人共、これからもよろしく。私達、すんごい長生きで死ぬまで此処に居座る気だから、覚悟してね」
「僕達だって、何年生きてると思ってるんだい?」
「そうだった。失礼しました、大先輩」

私は、目を細めて笑った。
剣勢も、此方を見て安心した顔をしていた。
出会ったばかりの刀剣二振りと腹を割って話しが出来た事で、互いの心の支えが取れて良かった。
剣勢の前で私の思いを吐露したのは初めてだったが、狼狽えず聞いてくれた事にも感謝した。
大事な時間だったと思う。
来た時は昼過ぎだったのに、今では綺麗な橙色の夕焼け空が広がっていた。

…夕焼け空が広がって、いる。

「忘れてた!結界張らないと…!」

私は歌仙の手を離し、ガタン、と卓袱台を揺らして立ち上がる。

「…忙しい主だよ、全く……結界を張るなら、社だね」

歌仙は呆れたようにそう言うと、立ち上がって縁側に出た。

「どうしたんだい?張りに行くんだろう、結界を」
「行くけど…。社って、あの竹林の?」
「そうさ。そこの社にある転送装置から来たんだろう?」

歌仙のその言葉に、私は頭を抱えた。

「ああもう!最初に張っておけば良かった……社が結界張ってるなんて知ってたら、来た時にさっさと張ってたって。行ったり来たり七面倒臭い…!」
「まだ夕刻だ。今からでも間に合うさ」
「俺達も付いて行く。さっさと張らないと夜になる」
「もう嫌だ……明日張ろうよ…今日はもう疲れたよ」
「グズグズしてると仮結界が解けてしまうよ」
「らい…」
「分かってるってば……」

皆に言われ、私は溜息をついて縁側に出た。
歌仙を先頭に私、剣勢、山姥切と順番に庭に出る。

「行こうか、社へ」

私達は歌仙の号令で一列になって社への道を進んだ。
本当に短い距離だった。剣勢と二人で通った時よりもずっと短い距離。物理的な距離は変わっていない筈なのに、仲間が増えたからだろうか。

「さて、到着だ。どうやるのか、分かるのかい?」
「ええと、多分だけど…うん」

私は社の祭壇にある水晶に近付くと、左手を玉に触れるか触れないかの所まで近づけた。
力を込める。力を送る様に。
頭の中でカチリと鍵の様な何かがハマる感覚がしたと同時に、ゴウ、と旋風が吹き、左手は伸ばしたまま、肘から下が無い右の腕で顔を庇う様にして目を細めた。
風は直ぐ吹き止むと、割れていた社の屋根が綺麗な状態に戻っていた。朽ちかけだった転送装置の石畳も綺麗に舗装されていて、祭壇に掲げられている水晶は淡く光を放っている。
空を見上げると、オレンジと濃紺のグラデーションの空に薄くシャボン玉の膜の様なものがかかっていた。

「成功、した……かも」
「やれば出来るじゃないか、主」
「夜に間に合ったな、ギリギリだったが」
「煩いな山姥切。間に合ったんだから万事解決でしょ」

私は左手を腰に当てると、頬を膨らませた。
私達は社を出て元来た道を戻って行く。
獣道の如く草がボウボウとなっていた石畳の道も、結界の力なのか、綺麗になっていた。
母屋が見えてくると、外観が来た時より見違える程綺麗に直っている。
池の水も澄んでおり、抉れていた芝生も元通りになっていて、思わず感嘆の声をあげた。

「……わぁ、見違えたね」
「これが本来あるべき本丸さ」
「懐かしいな」

歌仙は自慢気にそう言った。
山姥切も本丸を見上げ、懐かしさに声をあげた。

「さて後は明日にして、夕飯にしよう。食材が殆ど腐ってると思うから、大したものは出せないけれど。僕が作ってくるから、さっきまで居た部屋で待っていてくれ」

玄関を潜ると、歌仙はそう言って廊下の先へ消えて行った。
そして、歌仙の次に山姥切も玄関で靴を脱いで上がると、先程まで卓袱台を囲んでいた部屋までの道順を教えた。「2人で辿り着けるだろう?」と聞かれて、「自信は無いが、頑張る」と伝えると彼は更に口を開く。

「俺は他の部屋を見てくる。仲間が何処にいるか分からないからな」

そう言って違う部屋の障子を開けて入ろうとする。
私は「あ、」と言って引き止めた。

「折れてたら触らないでね、全部揃ってないと直せないから」
「分かった」

そう言い残し、部屋へ入っていってしまった。
私は草履を脱いで上がろうとした時、剣勢が私の着物の裾を引っ張った。

「……らい…、本当の事…」

唐突に剣勢が口を開いた。

「うん。分かってる……今はまだ、人と同じ生活をしたい。人として生きて、人として死にたい。だから、今はまだ、黙っていて欲しい。……いつか、ちゃんと皆に話す、から」
「……分かった。オレからは何も言わない。いつか…らいが話すなら」
「ありがとう。お前は良い相棒だよ」

剣勢の頭をぐりぐりと撫でて離すと、赤毛の彼は手櫛で髪を整えて私を見上げた。少し恥ずかしそうにしながら。

「オレは、らいの刀だから…」
「…頼んだよ」

剣勢は草履を脱ぐと、私の着物の裾を握ってきた。
その手を私は左手で掴むと、二人で手を繋ぎながら部屋へ向かった。

……まだ話せないことがある。
でも、離せないものもある。

離さないから。絶対に。



…………………………
(20190702)
はい。新刀剣一本も出てきませんでした。
すみません。
でも、新たな一歩ですね。