01
燦々と降り注ぐ灼熱が、じわじわと水分を抜き取っていく。壊れた蛇口のように次から次へと湧き出る汗が草臥れた薄いスエットに染み込んでは一層、その足取りを重くさせていた。べったりとへばりつく前髪も、汗でずり落ちる眼鏡も、時折口腔に入る砂の感触もなにもかもが煩わしく、なのに思考だけが急激に遠のいていく。
まるで、内側から干からびていくようだとナマエは思った。このままじゃ死ぬ。遥か地平線まで拡がる灼熱の砂丘に、朦朧とした思考の端でもそれだけはしっかりと理解できた。海もないし、川もない。おまけに人気も一切なく、あるのはいっそ清々しいまでの砂の山。じりじりと皮膚が焼ける痛みに飛び起きてそうそう飛び込んだ光景にナマエがフリーズしたのはつい、先程のことである。
「⋯ほんっと⋯どこだよ⋯ここ⋯」
起きたら知らない場所でした───そんなことってありえる?疲れて眠った記憶はあるし、昨夜の晩ごはんだって思い出せるのに、けれど、ハサミで切り取られたようにその後の記憶が一切なかった。
まさか、誘拐?可能性としては有り得なくもないが、それにしては随分とお粗末だった。ナマエはお世辞にも裕福な家庭とは言えないし、なによりナマエ自身、なんの凹凸もない平坦な大学生である。唯一非凡な所といえば、神社の息子であるということだが、それだけでリスクを犯すとは思えず、それならまだ手の込んだ悪戯と言われたほうがずっと納得できた。
とはいえ、現状が深刻であることに変わりはなかった。いや、生死の度合いで量るなら確実に天秤はこちらに傾いているに違いない。間違えたにしろなんにしろ、ぽんっと砂漠のド真ん中に放り出されるとはどういう了見だろうか。ナマエは頭を抱えた。近くに転がっているのは飲料ではなく、セールで購入した薄手のブランケットいちまい。もうちょっとこう、なんか⋯。なんとも心もとない置き土産に、ナマエはどっぷりとした溜息を吐き出すしか無かった。
容赦ない日照りと、立ち上るむわりとした熱気。ぽたりぽたりと滝のような汗が顎に伝い落ちるのを拭うことすら諦め、あっつい。死ぬ。ぐだぐだと零しながらナマエはひたすらに砂の山をだらだらと歩いていた。時折、名前も知らない植物や変わった形のサボテンがぽつねんと生えているだけで、街どころか水場ひとつ見当たらない。ナマエの体力はとっくに底をついていたし、熱したフライパンのような砂地にもはや足裏の感覚もなかった。現地の人でも、布一枚の装備で砂漠を横断する猛者はいないだろう。そのうえ土地勘もないとくれば、正気を保てているだけ奇跡といえる。
どのくらい歩いたのか。ゴァ。朦朧とした思考に、ふと、鳥の鳴き声が滑り込んだ。のろのろと重い瞼を持ち上げれば、長い嘴に白い羽根。背中に背負った、身の丈よりもおおきな荷物は遠目でもぱんぱんに膨らんでいることが伺えた。えらく重装備。それもそうか───⋯え、鳥が荷物?
いやいやいや。あまりの衝撃な光景にナマエは思わず二度見した。ふらりと傾いた重心を、慌てて立て直す。そんな、まさか──。しかし、どれだけ目を擦っても、間違いなく鳥が荷物を背負っていた。それどころか数十羽に及ぶ鳥の群れが、どでかい岩場の影に集まり、手頃な岩にどっぷりと腰を休めているではないか。互いの首にぶら下がった樽を打ち鳴らし、ぐびぐびと飲み下す姿はまるで祝杯を挙げているかのようで、その異様な光景に開いた口も塞がらない。
いや、そんなことよりも──。心地良さそうな日陰に、樽いっぱいの冷たい水。鼻先にぶら下がったオアシスに、ナマエの脚が吸い寄せられるように動いた。やけに美味しそうに飲むせいで、カラカラに干上がった喉が思い出したようにごくり、と鳴く。
ふらりふらり。慣れない砂地に足を取られながらも、ナマエは慎重に足を進めた。どうか気付きませんように。天にも祈るような気持ちでゆっくりと距離を詰めていくナマエに対し、鳥たちはまるで此処が己の領地だとでも言わんばかりに、人目を気にするでもなく豪快に樽を煽っている───不意に、一羽の鳥と目が合った。
バチリ、と合わさったつぶらな瞳にナマエはびくりと身体を強ばらせた。ぐるりと一斉に向いた嘴に、逃げられる──ヒヤリとした焦燥が背中を伝う。しかし、そんな硬直するナマエを視界に収めながら彼らは飛び立つでもなく──ゴクリ。ニヤニヤとまるで見せ付けるように喉を下したのだ。
───⋯⋯は???
ナマエは一瞬、自分の頭を疑った。もしかして幻覚でも見ているのだろうか。そう思ったが、盛大に吹き鳴らしたゲップは幻聴でもなければ空耳でもなく、揃いも揃ってニタニタと嫌らしく笑う鳥の群衆に思わず目が点になる。もはや人慣れしているというレベルじゃない。ぽかんと呆けるナマエを翼で指し、酒のつまみのように愉しげに樽を傾ける姿はもはや人のそれだった。「ゴァゴァ。」まるで余興を鑑賞しているような盛大な大合唱と調子を合わせた手拍子が、ナマエの固まった思考を徐々に鮮明にさせていく。どうやら完全にバカにされているらしい。と、そう悟った瞬間、カチン、と頭のどこかで音が鳴った。
───アイツら、ぜってぇ焼鳥にしてやる⋯!
暑さも、身体の気だるさも、痛みさえも忘れてナマエは瞬時に砂を蹴った。突如、走り出したナマエに鳥たちがギョッとして羽根をばたつかせる。巻き上がる砂に目を眇めながら、慌ただしく逃げる素振りを見せる鳥達にナマエは足のギアを速めた。カラカラに干上がった喉も、肺も、熱した鉄の塊を飲んだように痛んだが、今だけはそれを気にする余裕はすこしもなかった。
あとちょっと。ようやく、白い輪郭をハッキリと捉えれる距離まで詰めた時、しかし、鳥たちが一斉に羽根を広げた。「あっ!こら待て逃げんな!!」荷物をしっかりと背に背負い、いっせーのーで飛び立つ姿にナマエは声を張上げる。
「ゴァゴァ。」鳥は、すこしも可愛げのない表情で煽るようにただナマエの頭上を旋回していた。
「こんの⋯⋯っ!!」
ぐるぐると頭上を旋回するだけの鳥の群れに、ナマエは足元に落ちていた手頃な石を鷲掴んだ。「ゴァゴァ!」ざまあみろ、と言わんばかりの大合唱にナマエは大きく腕を振りかぶる。が、「ぅ、わ」勢いよく宙へと放ったと同時に、ナマエはべしゃりとろくに受け身も取れないまま、顔面から砂に突っ込んだ。全力疾走をした脚が子鹿のように震えている。
思いっきり吸い込んだ砂を口腔から吐き出しながら、ナマエはなんとか身体を捻って仰向けになった。どっと押し寄せる疲弊に、もはや指の先さえ動かす気力もない。
鳥は未だ、ナマエの頭上を旋回していた。太陽光を背に浴びながら、楔型に連携の取れたそのシルエットは、遠目から眺める分にはさぞや美しい光景だった。そう、遠目から眺める分には。
不意に、そんな鳥の陣形が崩れたのに、ナマエは大きく目を見張った。ふらりふらりと、まるで酔っ払いのように不規則に揺れる一羽の鳥が陣形を外れて降下する。もしかして、石が当たったのだろうか。生憎、決定的な場面は見ていないがもうこの際、どうだっていい。ナマエは、震える身体に鞭打って身を起こした。鳥の様子を伺いながら、しっかりと砂に足をつける。
鳥は、不安定に空を彷徨いながら結局は陣形に戻っていった。体調の優れない仲間を囲うようにして、捨て台詞のようにひとつ鳴くと、鳥たちは悠々と飛び去っていく。その際、荷物が空いていたのか、ひらひらと何かが落ちてくるのが目に入った。羽根、にしては大きいし、色が黄色い。ソレは、風に流されて巨大な岩の頂上に落ちた。
ナマエははぁぁとその場に蹲った。もしかしたら水が飲めるかもと期待した分、疲弊が一気に増したような気がする。もし、このまま水が飲めなければ確実に死んでしまうだろう。こんな知らない土地で死ぬのだけはごめんだった。
ナマエは頭を振って腰を上げた。兎に角、あの落し物を確認しよう。もしかしたら食べ物かもしれないと、ちょっとした淡い期待を抱いてナマエはのろのろと重い脚を引き摺る。
岩はナマエの背丈の五倍ぐらいの大きさはあった。遠目から見た限りでは、それほど大きくは感じなかったというのに、近づけば近づくほど、首が痛くなるほどの強大さにナマエはあんぐりと圧倒した。──え、これ登んの⋯?見えない頂上の先にナマエの口端がひくりと引き攣る。
自慢ではないが、ナマエは木登りは得意な方だった。昔は良く、友人と御神木に登って遊んでいたし、どちらが早く頂上に着くかを競争して、枝を折って、祖父にしこたま怒られることだって茶飯事だった。さすがにロッククライミングをしたことは無いが、要領は似たようなもんだろう。そんな軽い気持ちで岩に触れ、じゅうと肉の焼ける音にナマエは弾けたように腕を上げた。
「あっっっつ!!え?!なにこれ?!熱すぎるんですけど?!!」
慌てて手の甲をひっくり返せば、ブランケットがちょっとだけ焦げて縮んでいた。布の上からでさえ、これ程までの熱を感じるのだ、素手で触れれば火傷じゃ済まないだろう。こんなの気合いと根性でどうにかなるレベルじゃない。
「こんなの、俺にどうしろと⋯??」
太陽の光をサンサンと浴びて、嫌味ったらしく光るどデカい岩を見上げながらナマエはちょっぴり泣きそうになった。流石にもう、広大な砂漠を練り歩くほどの体力は残っていなかった。きっと、数メートル先の砂の山がナマエの墓となるだろう。で、あるなら、やはり、多少火傷を負ってでも、この鉄板を登るしかない。
「いや、でもこんなん無理だろ⋯」
「無理?ならば、手を貸してやろう」
「──え?」
生温い風に紛れて、不意に、知らない誰かの低い声が呆然とするナマエの鼓膜を攫っていった。