02
反乱軍を止める為に、ユバへ向かう砂漠の道中。砂漠を渡るには必要不可欠な荷物を根こそぎサギに奪われ、仲間に激怒され、大トカゲに襲われ、少しばかりの休息の後、ンじゃあそろそろ行くかと高まった士気に水を差したのは「あれ、ルフィ。あんた、帽子どうしたのよ」そんなナミのひと言だった。
「なに言ってんだナミ。ちゃんと此処にあるじゃ⋯」
あれ?あれあれ?あれれ?後頭部を触り、頭頂部を摩り、服の中を引っくり返し、ズボンの中まで確認したルフィの顔からサァーッと血の気が抜けていく。「ねぇ!!」ないないないない!!バタバタと慌てだしたルフィに、ちょっとだけ回復したチョッパーまでもが大変だ!と騒ぎだしたものだから、休憩場に決めた岩場はちょっとした騒動になっていた。ルフィにとっては一大事である。
「もしかして、トカゲ倒した時じゃねェか?」ウソップがそういえばルフィは砂煙を上げて向かい、「いやいや、あのサボテンの時だろ」サンジの言葉に、ルフィはまた走りだす。あっちへそっちへ、思い当たる箇所を散々探しても、それでも見付からないトレードマークにルフィはへにゃりと砂に突っ伏した。「帽子ィ〜⋯」遂にはシクシクと泣きはじめたルフィに「あぁもう⋯」これからって時になんでこの船長はこうも問題ばかり起こすのか。頭が痛いとばかりにナミが額を抑える。これでは暴動を防ぐ所では無い。
「もしかして⋯ワルサギが持っていったのかしら⋯」
ぽつりと呟いたビビに、ルフィの耳がぴくりと動いた。「まっさかぁ⋯」そんな瞬間、あっただろうか。ルフィは肌身離さず帽子をぶら下げていたのだから、ワルサギが持っていくとは考えにくい。しかし、そうナミが主張する前に、ルフィががばりと起き上がる。
「おれ、ちょっと行ってくる!!」
「ちょっ、待ちなさいルフィ!追い掛けるったってあんたちゃんと帰って来れるんでしょうね?!!」
慌ててナミが制止を訴えたがもう遅い。脇目も振らずに駆けてく、豆粒ほどの赤い背中にナミは今度こそ頭を抱えた。だいたい、行く先々でトラブルばかり引っ提げてくる船長が、今回こそ大人しく戻ってくる保証など何処にもないのだ。とはいえ、大切な帽子を無くしたルフィに見つかりっこないなんて非情な言葉を投げつける訳にもいかず、結局は見送る選択肢しかなかったのだが。
「ナミさん」
「ビビ⋯」
「ルフィさんが戻ってくるまで、体力を回復しときましょう。まだ、道のりは長いから」
本来、一番やきもきしているだろうビビにそう言われてしまえば、ナミも気持ちを切り替えるしなかった。「そうね。ルフィだもの、まぁなんとかなるでしょ」すぐにでもユバに向かいたいだろうに、それでも気丈に振る舞うビビの肩を、ナミはポンッと軽く叩く。なんだかんだと、運だけはいいのだうちの船長は。
「んナミさ〜〜ん!ビビちゅわ〜〜ん!クソゴムを待ってる間、極上のトカゲ肉はどうだァい〜〜??」
「いいわね、サンジくん。じゃんじゃん焼いて!」
「ハァァァイ!!」
きっと暴動も、ビビの国に蔓延る悪の種も、全部まとめてぶっ飛ばしてくれる事だろう。その為には、帽子も、腹拵えも、今は、必要不可欠である。
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「とりィーーーーッッ!!!」
前に向かっているのか、後に向かっているのか。なんの代わり映えもない砂の山を、ルフィはワルサギの輪郭だけを追ってただ一直線に駆けていた。流れる景色の中に、時折それっぽい鳥が映り込むものの、目的の鳥ではないことが余計、ルフィの焦燥を急き立てる。
ルフィの麦わら帽子は、生命の恩人であるシャンクスから預かった大事な帽子だ。立派な海賊になって、再開した暁に返すと約束した生命よりも大切な帽子。傷付ける事も、容易に触れる事も赦さないソレを、まさかこんな砂漠のど真ん中で、不注意に失くすとは思わずルフィは内心、半べそ状態だった。
「帽子ィ〜〜〜ッ!!」
頭に、帽子が無いのが落ち着かない。シャンクスに合わせる顔もない。ビビの国が一大事だということはなんとなく理解していても、帽子だけは譲れない。なんとしてでも見つけ出す、そう血眼になるルフィの頭上を「ゴァ。」ふと、嘲笑うように鳥の群れが横切った。
「あっ!お前ら!おれの帽子返せっっ!!」
聞き覚えのある鳴き声に、ルフィは瞬時に反応した。目を凝らして見なくとも、荷物を背負った不格好なシルエット。ぐんっと伸ばした両手が、鳥の首を鷲掴み、そして次々と地上に叩き落としていく。
「何処だ?!おれの帽子?!」
すかさずルフィは鳥の首根っこを鷲掴み、上下にガクガクと揺さぶった。グエッと蛙が潰れた鳴き声が、ワルサギの口から漏れる。ワルサギは、突然伸びてきた腕に捕らえられ、砂に叩き付けられたことに目を白黒させていた。その上それが、先程、自分達の瀕死の演技にまんまと引っ掛かった男だったのだから驚くなという方が無理がある。
「何処だ?!言え!!」
「ゴ、ゴァ⋯」
ルフィに捕らえられたワルサギが、息も絶え絶えな表情で震える翼を持ち上げた。羽根の先には、目をまわして砂に平伏す仲間のワルサギ。「あっちだな!」ルフィは、ワルサギをぞんざいに後ろへ放った。べしゃっと、砂が舞がる。
ルフィは、目的のワルサギが背負っていた荷物を漁った。恐らくは、サンジが持っていた荷物だ。あれも違う、これも違うと、次々に中身を引っ張り出しては砂の上へと放っていく。
「ねェ⋯」
最終的に、全ての中身を引っ張り出したが、それでも帽子は出て来なかった。リュックを掴む拳がわなわなと震える。
「ねェじゃねえか⋯⋯って居ねェ!!」
憤慨したまま顔を上げれば、砂の上はもぬけの殻だった。ゴァ。と上空から聴こえた鳴き声に首を上げれば、遥か遠くに鳥のシルエット。「⋯こんのやろう!待てっ!!」勢いよく腕を伸ばしたが、とはいえさすがに届かない。べちん、と戻ってきた腕にルフィはたらりと額から汗を流した。
「待てっ!おれの帽子ィ〜〜〜!!」
ルフィは慌てて追い掛けた。が、悠々と上空を飛行する鳥と、砂丘を走るルフィとでは進む速度が明らかに違った。せめて、地面か、あるいは掴める障害物でもあれば形勢はまた違っただろうが、みるみると小さくなる輪郭にルフィの脚は自然と止まった。滴り落ちる汗を服の袖で拭いながら、膝に両手を付き、乱れた呼吸を調える。あんの鳥、ぜってぇ許さねぇ。ぶっ飛ばしてやる。ふつふつとそんな事を思いながら、ルフィは再び足を動かした。当然、鳥を追い掛ける気満々である。
「おっ!岩!」
そうしてしばらく走った所で、視界に入った大きな岩場にルフィはゆるゆると速度を落とした。勿論、休憩する為じゃなく、上から見ればワルサギの行方が分かるかもという単純な思考からだったが、「あちィっ!!!」岩に触れた瞬間、ルフィは反射的に手を引っ込めた。じゅうっと肉の焼けた音に、ルフィはふうふうと手の平に息を吹きかける。
「なんだァ〜?この岩。ものすんごくあちぃぞ!」
先程、休憩した岩場の岩で、じりじりと大トカゲの肉を焼いたというのも忘れてルフィはまるまると目を見開いた。ちょっと触れただけでも大火傷だ。これでは登ることも叶わない。ルフィは、片手を顔の前に翳して頂上を見上げた。そして、はたと気付く。
「んん?なにやってんだ、お前」
人、だ。岩の、中腹付近で降りようとしているのだろう、男の姿にルフィは首を傾げた。こんな熱ィのによく登んなァ〜と感心しながら、なんでそんな所にいんだと不思議に思いながら見上げるルフィと、そして、驚いたように振り向いた男の視線が大きな黒いレンズ越しにばちり、と交わる。
「──⋯え?」
歳は、ルフィと同じかすこし上くらいだろうか。ただえさえ瞠目していた瞳が、ルフィを視界に捉え、みるみると見開かれていく。この時ばかりは、ワルサギを追い掛けていた事も、帽子の存在もルフィの中からすっぽりと抜け落ちていた。肌を晒し、髪を靡かせ、たったひとり、岩の窪みに足を引っ掛ける男の姿をルフィは興味深げにまじまじと見つめる。
「あ。」と、その時、男が足を滑らせた。ちいさく悲鳴を上げて、真っ逆さまに落ちてくる細い身体にルフィは反射的に腕を伸ばした。当然、この程度のなら、ルフィにとっては造作もない高さである。骨を折るなんて以ての外だし、ゴムの身体だ、頭の先から落ちたってピンピンしてるだろう──だから、腕を伸ばしたのは衝動だった。
ぽすん、と腕に掛かった軽い衝撃にルフィはホッと息をこぼした。「お前、ドジだなァ〜」顔を覗けば、男はズレた眼鏡の位置をそのままに固く瞑っていた瞼を持ち上げて、それからぱちりと瞬いた。状況が飲み込めないといった表情だ。
「ん?なんだ?お前、すんげぇ怪我してるじゃねェ⋯⋯って、それ!!おれの帽子ィ!!」
「え?⋯あ、あぁ⋯これ⋯」
「それ!!それ、おれのっ!!」
よく見れば、男の四肢は血塗れだった。ぐるぐるに巻いた布からは赤い血が滲み、本来、白いのだろう肌は日を浴びたせいで赤く焼けている。そんな男の痛々しい姿にギュッと眉根を寄せたルフィだったが、男が大事そうに胸に抱えている物が視界に入った瞬間、「お前が拾ってくれたのか?!」それは一瞬にして驚愕へとすり替わった。
「おれっ、おれ⋯っ、もう駄目かと⋯⋯っ!!」
絶対に見付ける、そう思ってはいても、漠然とした不安は確かにあった。なにせ、砂漠のど真ん中だ。見付かるほうが難しい。「あ"、あ"りがどう⋯っ!」何故、男が持っているのか。そんな事よりも、見付かった、拾ってくれた、その事実だけでルフィには充分だった。
安堵から、だぁだぁと滝のような涙を流すルフィに、男は微かに目を見張った。それからゆるりと頭を振って、ぽすり。慎重に、ルフィの頭へと帽子を乗せる。
「あ"、あ"り⋯っ!あり"⋯っ!!」
待ち望んだ重みに、ぶわり。ルフィの涙腺はさらに崩壊した。えぐえぐと喉を詰まらせては何度もお礼を言うルフィの幼子のような風体に、徐々に、男の空気が困惑から気の抜けたものへと変わっていく。
そうして、「⋯⋯うん、やっぱ、似合ってる」うっすらと笑みを象ってはまるで眩しいものを見るようにそう言い放ったものだから、ルフィは虚をつかれたように固まった。だらだらと水は溢れたまま。膜の向こうで微笑む男に、ルフィはむぐりと口を噛む。───⋯んん?いまの、どっかで⋯。どこでだ?
はて、とルフィが首を斜めに傾けている間、男の意識はゆっくりと確実に降下していた。相変わらず血はぽたぽたと垂れているし、急激に重くなった身体は、もう身じろぐ体力さえ毛ほども残っていない。「まあいいや!とにかく助かった!ありがとう!これで反乱軍をぶっ飛ばしにいける!」ビビが聞いていたらぶっ飛ばさないで!と憤慨しそうな言葉も、もはや男には届いていなかった。先程まで子供のように泣いていたというのに、カラリと熱した太陽のような笑みが朦朧とした視界に映るだけ。
「うっし!無事、帽子も見付かったことだし、帰るとしますかね!⋯ん?あれ、そういやァお前、ここでなにしてたんだ?ひでェ怪我してるし⋯⋯っておいっ!お前!」
大丈夫か?!!だらりと垂れ下がった四肢に、ルフィはようやく男の状態に気が付いた。なんとか目蓋をこじ開けようとしているが、焦点はろくに合っていない。「待ってろ!いまチョッパーのとこ連れてってやるからな!!」ルフィの、その焦燥の表情を見たのが最後だった。ぐったりと脱力した男を背負い、ルフィは急いで来た道を駆け出した。
────よかったな。砂の混ざった暖かな風が、ふわりと男の頬を撫でていった。