王馬小吉に殺されたい

それは突然だった。気が付けば知らない場所にいて、同じ年頃の知らない人たちとのコロシアイを強要されて、次々と殺し合いを仕向ける動機を持ち込むモノクマのせいで、ひとりまたひとりと死んでいった。結局、生き残ったのは誰なのか。それすらも把握できないほどに彼がいなくなったことが受け入れられなくて、彼が死んだあとの記憶は頭からぽっかり抜け落ちている。

───「みょうじちゃんは泣き虫だし寂しがりだしひとりじゃなーんにもできないくらい鈍臭いじゃん。そんなんで本気で生き残れるって思ってるんだから凄いよね!オレがみょうじちゃんだったらおちおち眠ることもできないよ!あ、言っとくけど褒めてないよ?そういうみょうじちゃんの人をすぐ信じるところとかなに言われてもヘラヘラ笑ってるとことか別に好きじゃないけどさ、まあみょうじちゃんがどうしてもっていうならオレが一緒にいてあげてもいいけどね!」───

突然、個室を尋ねてそう言ったのは彼なのに、結局、ふらりと行方を晦ます彼のそばにいることは叶わなかったし、なにより彼の思考も彼の真意もなにひとつわたしは分からないまま。不器用な優しさを振り撒いて、一緒に居たいと思わせたくせに、頼ることもしてくれず、わたしはひとり置いていかれたのだ。彼はやっぱり嘘つきだった。プレス機に潰された彼を呆然と眺めていたわたしの手を引いたのも、校舎をぐるりと囲う檻を潜って外の世界に引き摺ったのも彼じゃない誰かの暖かな手のひらで、それを拒みながらも彼のいない窮屈な世界でわたしは確かに息をしていた。

なんども死にたいと願った。真っ暗な世界で瞼の裏に彼の面影を手繰り寄せては一時的な幸福感に浸り、目が覚めたら彼のいない現実にぐるりと暗転する吐き気にのたうつ。絨毯もなにもない、丸い折りたたみのテーブルが置かれただけのフローリングに散らばった刃物の数がわたしの弱さを物語っていた。なんども殺してほしいと願った。彼のいう通り、わたしは彼がいなければなにも出来ないちっぽけで臆病な弱虫で、自分で死ぬことすらできないくせに涙だけは枯れることを知らず、他人の死を踏み台にしてのうのうと呼吸だけはしていた。
だから、今度こそ死ねると思ったのだ。


「ねぇ、入るの?入んないの?そこに突っ立ってられると邪魔なんだけど」

見覚えのある自分の背丈よりも遥かに大きな両引き戸を前に、茫然と立ち尽くしていたわたしに掛けられただろう、夢の中でなんどもなんども反復していた声質にわたしは振り返ることが出来なかった。「ねぇ、ちょっと聞いてる?」呼吸が圧迫されて、手足が震えて、床に足裏を貼り付けていたわたしの顔を、横から覗き込んできたその人の造り込まれたパーツひとつひとつを凡庸な脳みそはしっかりと刻んでいて、歪にゆがむ整った眉毛も、への字に曲がった薄いくちびるも、訝しげに細められたおおきな瞳も、確かにわたしが記憶している王馬小吉の姿だったのに、わたしの馬鹿な涙腺が直視することを阻む。ぼんやりとした歪な視界で、王馬小吉が露骨に醸し出していた不機嫌さを払拭させて瞠目したのがなんとなくわかった。彼のその素直な反応に珍しいなと思ったけれど、あまりにも突飛な出来事にわたしはぴくりとも返すことなくただ静かに息を止める。

「な、なに、オレなんも酷いこと言ってないじゃん。あー、邪魔だって言ったこと?そんなの嘘だよ!キミみたいな小さくて凹凸もなんにもない平凡なブスなんて邪魔どころか視界に留めるのも難しいしさ、だから泣く必要ないんだって!や、やめてよ、オレが泣かしたみたいじゃん。オ、オレだって急にこんなとこ連れてこられて泣きたいんだから...うわぁぁあんかえりたいよぉぉぉぉお」

一歩、後退した王馬小吉があからさまな狼狽えを震える抑揚で捻り出し、ふるふると揺れる睫毛の下からわたしが零す数滴の水とは比較するのも無意味な量をぼろぼろと垂らす。首元に巻かれた白と黒の市松模様のストールが湿るほどの涙腺を操ることなんて、王馬小吉にとっては赤子の手をひねるより簡単で、嘘か誠か、フォローも何もない辛辣で適当な言葉を並べたてるのが王馬小吉で、彼はそういう人だったとわたしは改めて痛感する。高校生にしては低い身長と童顔だけど整った顔付き、真っ白な肌は血に濡れてもいなく胴体は潰れてもいない。わたしが会いたくて会いたくてそのために死にたいと願って、脳内でなんども再生させて恋焦がれていた王馬小吉の姿を前にわたしは頼りなく震える腕を伸ばす。ようやく、逢えた。これがわたしの妄想か空想か、たとえ幽霊であってもどうでもよかった。けれど、彼の滝のように流れ続ける涙で濡れた頬に触れたとき、自然とわたしはこれが現実だと胸に落ちた。びちゃびちゃな頬に震える指先を滑らせたわたしを、ぴたりと泣き止んだ王馬小吉は濡れる目の奥で警戒を顕に動向を探る。「な、なに、いきなり」気弱な少年を演じながらもその不躾な視線が愛おしくてわたしは彼の純白な胸元に縋り付く。薄い、けれど硬い胸板に額を擦り付けて、彼の温もりも彼の匂いも全て吸い尽くしてこのまま死ねたらなんて幸せだろうか。王馬小吉がいなければわたしの世界は酷く狭くて窮屈で退屈で、息をするのも辛かった。なのに王馬小吉を前にしても息を吸う辛さは変わらない。追いかけられなくてごめんなさい、のうのうと生きててごめんなさい。吐きそうなほどの罪悪感を頻りに心内で唱えながらも、王馬小吉の存在に心根では歓喜している自分が酷く浅ましく思えた。「なに、なんなの怖いよ、キミさ。あ、もしかして実は生き別れた兄妹だったりする?そう言えばオレ、妹がいたんだっけ!...嘘だけど」呼吸をするのも困難なほど嗚咽を漏らすわたしの胸中なんて知らない優しい彼は、迷惑そうな深いため息をつきつつも無理矢理わたしを剥がそうとはしなかった。


王馬小吉に引っ張られ体育館に入ったわたしはどこか宙に浮きながらも、これから起こるだろう現実をしっかりと理解していた。真っ赤に濡れそぼった瞼を拵えたわたしとわたしの手首を握りしめた王馬小吉の登場に、先に体育館にいた超高校級の生徒たちがぎょっとした視線を向けたが「きぇぇぇぇい!女の子を無理矢理引っ張ってきた挙句、泣かすなんて言語道断!万死に値します!」血走った双眼で茶柱転子が左右に束ねた長い髪を散らしてわたしと王馬小吉を引き剥がす。彼女の背中に守られるように隠されたわたしは、離れた温もりが恋しくて未練がましく追い縋るように腕を伸ばそうとして、なんとか堪えた。

「あーあ、せーっかく無駄に長い廊下で迷子になってびーびー泣いて鼻水撒き散らしてた迷惑なヤツを連れてきてやったっていうのにこれじゃあオレが悪者みたいじゃん!あーそっか、じゃあ置いてくれば良かったんだね!へぇ、キミたちって善人そうな顔して迷子の子供を見捨てる上に困ってる人に手を差し伸べられない冷たい人間の集まりってわけかー。うんうん、全然つまんなくないよ!これで第一印象はばっちりだね!まあひとり人間じゃないヤツも混じってるみたいだけど!」
「僕のことを言っているのならそれはロボット差別です!」
「ゴン太もね、困ってる人にはちゃんと手を差し伸べれる紳士だよ」
「えーもうそんなのどっちだっていいじゃんどうでもいいよ。この話はおわりおわり」

後頭部で両手を組んだ王馬小吉は横目でわたしを見据えた後、距離を置くために背を向けた。よくまわる舌がぺらぺらと流れるような嘘を連ねるのを耳が捉えても、もう関わるなと突き放されたようで背筋が凍って泣きたくなる。煩わしげにキーボと獄原ゴン太をあしらう姿を目で追っていても決して交わることの無い視線が暗に告げているようだった。「なんかちょっと変わった人だね。あ、私は赤松楓、超高校級のピアニストだよ」「転子は茶柱転子です!あんな男死のことなんて気にする必要、金輪際ありません!」楓ちゃん、転子ちゃん。労るように背を撫でる温もりが、彼の胸で散々泣き尽くした筈なのにじんわりと目頭を熱くさせた。ぱちりと瞬きした際のこぼれ落ちた一雫に、動揺するふたりを置いてわたしは雑草が生い茂った懐かしい体育館を一望する。王馬くん、キーボくん、ゴン太くん、楓ちゃん、転子ちゃん、夢野ちゃん、入間ちゃん、天海くん、星くん、真姫ちゃん、百田くん、アンジーちゃん、東条さん、真宮寺くん、最原くん、...つむぎ、ちゃん。16人の超高校級のみんなの姿を目に焼き付けてわたしは静かに喜びを噛み締める。誰も死なないでほしい、誰も殺さないでほしい、誰ひとり掛けることなく生きてここから脱出して欲しい。それが叶うかはきっと真実を知るわたしにかかっている、それが過言でも過信でもないことはわたしが一番理解していた。だから、どうか今だけはこの抱えるのもやっとな幸運に浸らせて。

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