二週目の明石と生きる
男の上半身が、バチンッと弾けた。まるで水風船のように破裂した真っ赤な血潮がびちゃびちゃと周囲に飛び散って、一斉に悲鳴が沸き起こる。へらへらと嘲笑を浮かべていた者たちの顔からは、一瞬にしてごっそりと血の気が抜け落ちていた。
まだ生暖かい体液が頬を滑り落ちる感覚に、俺はそうっと指先を伸ばした。名前も知らない男だったけれど、たしかに先程まで隣に立って、喋って、笑っていたのだ。それなのに、少年が発した大声でこうも簡単に人間の身体が弾け飛ぶなんて、そんなこと───。
少年は騒然とする場をぐるりと見渡して、顔面に降り掛かった血潮を気にすることなくにんまりと猫のように目を細めた。真っ赤に濡れた指先を眺めたまま、俺はただ唖然としていた。
*
その日は、不運の連続だった。セットしていたアラームが鳴らず、急いで着替えながら観たニュースの星座占いは12位だったし、朝食も食べずに走って向かった駅では電車が一時間も遅延していた。仕方なく歩いて学校に向かっている途中では、腰の折れたお婆さんが重そうな荷物を地面に置いて立ち往生していて、まあ遅刻は遅刻だしと声を掛けて家まで運んであげればお礼にと両手いっぱいに採れたてのトマトを持たされた。断りきれず、艶のあるトマトを抱えたまま学校を目指していた俺は、道中、通路に水を撒いていた女性に水をかけられ、びしゃびしゃになった制服で登校する訳にも行かず結局その日は家に帰ったのだ。
そういやあのトマトもこんな色だったなと、赤鬼のような姿をした異形から逃げながらそんなどうでもいい事が頭を巡った。地面には伏した肉片が至る所に転がり、噎せかえるような肉の焦げた臭いと痛々しい叫びが絶えず響き上がっている光景はまさしく阿鼻叫喚の地獄絵図だった。ひとり、またひとりと簡単に人が死んでいく光景にもしかして夢なんじゃ──?と脳が錯覚をおこす。
それでも脚だけは我武者羅に動かして、気付けばどこかの教室に突っ立っていた。ぽたり、と。額から滴る汗が、顎を伝って床に落ちる。それを服の袖で乱暴に拭って、俺はゆっくりと詰めていた息を吐き出した。膝は、笑えるくらい震えていたが、さすがにこの状況でおちおち座る気にはなれない。なにかあれば直ぐに移動できるよう扉に気を配りながら、俺は窓からそうっと校舎を見下ろした。
恐らく、異形の鬼は全部で四体。未だに鬼達は、外で逃げ惑う奴らを追い掛け回しているがそれも時間の問題だろう。もはやグラウンドの土は赤く染まり、赤か黒かも分からない肉片だけがごろごろと夥しい山を築いていた。
「な、⋯んだよこれ⋯──」
少年──セイン・カミは、これをオーディションだと言っていた。学校を休んだ
"ごみ箱学苑"──?卒業したら"カミの力"与えられる──?ニュースで全高校に世界的規模のテロ事件が多発したと流れていたが、それもコイツらの仕業なのだろうか。またひとり、名前も知らない青年が、灰になって崩れ落ちるのを視界に、俺はそっと窓から視線を引き剥がした。
確かに、カミの、力は本物だ。声だけで人の頭を吹き飛ばし、異形の生物まで従えてヒトを蟻の様に次々と踏み潰していく。とはいえ、そんな強大な力が欲しいかと聞かれれば答えはノーだ。長髪の男は神になりたいと言っていたが、突然、勝手に選別され、神かどうかも分からない得体の知れない生物から分け与えられる力なんて恐ろしくて俺は要らない。だからって死にたくもないけれど。
兎に角、卒業条件が"生き残る"ことなら、なにかしら突破口があるはずだった。なにかヒントになりそうな物はと、ぐるりと教室を見渡して、ふと掃除用具の棚の上に置かれていた丸い物体に目がいった。遊び忘れたかの様に、無造作に放置してあるそれを、椅子を利用して手に握る。
「──豆⋯?」
手の平サイズの丸い玉。どちらかと言えば、大きなカプセルといったほうが近いだろうか。表面にはご丁寧に、達筆な文字で「豆」と書かれている。「ホントに豆じゃん⋯」ぱかりとカプセルを開ければ、仰々しい見た目とは裏腹、中に入っていたのは小指ほどの豆だった。なにか役に立ちそうな物が入っているかもと期待していた分、落胆も大きい。拍子抜けした気分で、ひとまずカプセルごとパーカーのポケットに突っ込む。
そうこうしているうちに、いつの間にか外にいる鬼は二体に減っていた。あとの二体は校舎の中か、あるいは離れにある体育館か──。兎に角、ヒントもない以上、此処でじっとしていたって仕方ない。俺はそろりと足を動かした。怖くないと言ったら嘘になるが、他にも生存者がいるなら協力し合うのがベストだろう。正直、独りでいるのは心細い。
掃除用具から柄の長い箒を拝借して、俺は静かに廊下に出た。燃やしたり、凍らせたり、特殊な能力を前に役に立つかは分からないが、まあ無いよりはマシだろう。どうか鬼と出くわしませんように、そう内心で両手を合わせながら冷たい廊下を突き進む。悲鳴も響かない静寂が、なんだかやけに不気味だった。
*
「生きてる人居ますかァ?!!居たら聞いてくれ!!「豆」をぶつければ鬼を倒せる!!偽物カプセルに注意!!俺たちは校舎に居るゥゥ!!鬼はあと二匹ィィ!!!」
突然、校内全体に轟いた、建物を揺らすような馬鹿でかい声音に俺はハッとして顔を持ち上げた。丁度見付けたばかりの丸い玉を片手に、俺は息を潜めて耳を澄ませる。2階──?いや、3階か⋯?──現在、俺が居るのは1階だ。うろちょろと探索してみたが、人間どころ鬼にさえもまったく出会さなかったので、正直、もう生存者は居ないのかもと半ば諦め掛けていた所だった。「あっちか⋯?」"豆乳"と書かれたカプセルをポイっと投げ棄て、声のした方角へと足を速める。にしても───。
「⋯⋯声でっか」
階段を、一段飛ばしで駆け上がりながら、俺は思わず笑みを零した。彼のおかげで、今、生きている全員にちゃんと行き渡っただろう。
───つまり、これは豆撒きだ。
てっきり、ただ鬼から逃げ惑うジリ貧のお遊戯だと思っていたが、ちゃんとそれなりのルールがあったらしい。「"はらうはるはろう"」──「"払う、春、
───わっかりにくぅ。例え、冷静であっても気付くのにそれ相当の時間が掛かるだろう。ただえさえ困惑している状況でこのヒントとは、なかなかに性格が捻くれている。うげぇ、と脳内で舌を出しながら3階の廊下に出れば、もうそこには誰も居なかった。
「あれ⋯、此処だよな⋯?」
窓が開いているところを見るに、此処から叫んだのに間違い無さそうだ。ひょっこりと顔を出して覗いても、校庭は一面血の海で、そこには人も鬼も肉片以外、何も無い。「マジかー⋯」と、すれば、もう近くには居ないだろう。鬼を倒しに行ったのか、別の場所に隠れたのか。何処に向かったのか検討も付かない以上、流石に探す気にもなれず、脱力した気分のままぐったりと窓辺に寄り掛かる。
そもそもカミは、一体なにがしたいのか。訳の分からないまま二宮金次郎に連れ去られ、あれよあれよと血腥い鬼ごっこに強制的参加させられているが、正直まだ雲の上を歩いているような感覚だった。この分では、あの殺戮テロが起こったというニュースもドッキリや誤報なんかじゃ無いのだろう。たった3人の生存者を残し、教師も生徒も、あとはみんな死んでいたと言っていた。だとしたら同級生は誰も、生きていないかもしれない。あのお人好しで、意外と頑固な友人も───。
ぼんやりと校庭を見下ろしていれば、不意に、視界を赤が横切った。ぱちりとひとつ瞬いて、ハッと視点を合わせれば、赤い鬼が逃げるように校舎へと入っていく。──鬼は、左腕が無かった。それを知覚した瞬間、俺は反射的に床を蹴っていた。
*
「おいっ!待て明石!!!」
「明石くん!!」
制止の声を振り切って、明石は逸る気持ちのまま足を動かした。あと一体、鬼を倒せば、この訳の分からないゲームは終わる。原海の呼び掛けにより、他の生存者たちのおかげで鬼が手負いとなったこの状況、もはや明石には鬼を倒す事しか頭に無かった。
──そして、だからこそ、反応が遅れた。
「──ちょっ⋯そこ退いて!!!」
突然の叫声に、気付いた時には身体が床に打ち付けられていた。ようやく捉えた鬼が視界から消え、代わりにジプトーンの天井が見える。あまりにも唐突な出来事に、衝撃による痛みも、先程まで自分がなにをしようとしていたのかも完全に抜け落ちた状態のまま、明石はぱちくりと目を瞬いた。
「いっ、⋯て〜⋯」
耳許で聴こえた微かな呟きに、明石はハッとして意識を擡げた。ついで、襲い掛かる節々の痛みと、腹部に伸し掛るずっしりとした重み。なによりも、先程まで目の前に居た鬼の存在が気掛かりで、「⋯とっ、悪い!大丈夫⋯⋯って、そんな事より鬼!!」しかし、明石が身を起こすよりも先に腹部の重みがふっと無くなる。
鬼は未だ、嘲笑うようにそこに居た。ぽかんとした表情で鬼と、そして対峙する青年の背中を明石は見詰める。まるで、置いてけぼりを食らった気分だった。
「⋯って!ちょ、豆は?!持ってんの?!」
よく見れば青年の手には箒一本。ファイテングポーズで待ち構える赤鬼に対し、青年は箒を竹刀のように構えてジリジリと間合いを測っている。つい、声を張り上げながら明石は手中に持ったままの豆をぐっと握り締めた。
───いや、今なら、ヤレるか⋯?!明石はぐるりと思考した。鬼は今、目前の青年に意識を向けている。つまり現状、明石は完全に鬼の意識外にいるということだ。ならば、青年が鬼の注意を引き付けているうちにさくっと倒してしまいたい。
「──今だ!!」
明石はタイミングを見極めて、腕をおおきく振り被った。宙に放たれた豆が、一直線に鬼の頭部に向かっていく。鬼が驚愕に瞠目した──かと思えば、スポンッと軽い音を立てて頭部と首を切り離したその隙間から豆は鬼に当たることなく、綺麗にすり抜けていってしまった。
「⋯⋯は?!」
「あっぶ!3秒以上離すと死ぬとこ!」
──いやいや、そんなんありかよ⋯!!愕然とする明石に、鬼がケラケラと軽快に笑う。持っている豆は、いま投げたので最後。最大のチャンスを逃したと、一瞬で青ざめた明石の前から「──なぁ、余所見してていいの?」──突然、鬼が消えた。
いや、正確には弾けたといった方が正しいだろうか。揚々と明石を嘲笑う鬼の頭部を箒の柄で叩き付け、床に沈んだ鬼を、恐らく、持っていたであろう豆で青年が倒したのだ。
俺が、終わらせる。その一心で、豆を奪ってまで追い掛けたというのに、結局なにも出来なかった。バチンッと破裂した鬼を、呆然と眺めるだけの明石を青年が振り返る。
「いやぁ〜、さっきはぶつかってごめんな?」
あの子が襲われそうになってたからさ、助けたは良いけど、勢い止めらんなくって。いつから居たのか、残念ながら明石は全く気付かなかったが、床にへたり込んだままの女性をちらりと一瞥して、青年はそう軽く笑った。どうやら青年は、鬼に襲われそうになっていた女性を見て、鬼を持っていた箒で殴ったらしい。なるほど、だから鬼はまだ此処から離れていなかったのか。そう、頭の中で理解しながらも明石はなにも言葉にすることができなかった。
「え〜っと、もしかして、怒ってる⋯?」
瞠目したまま、だんまりを決め込む明石に青年がかくりと首を傾げて、顔を伺う。細い髪が、重力に従ってさらりと揺れた。ふわりと漂う香りと、その心配そうな面持ちに明石はどこか軽い既視感を感覚していた。初めましてのはずなのに、何故か、確かにどこかで会ったような気がするのだ。
「──俺たち、どっかで会ったことある?」
「え?いや⋯初めましてだけど⋯って、そんな泣くほど痛かった?!」
ごめんって!ギョッと目を見開き、あわあわと狼狽する青年に、明石はようやっと己が泣いていることを自覚した。鬼も倒し、なにも悲しいことなど無いはずなのに、勝手に次から次へと雫が溢れてくるのだ。──なんだ、これ。拭いても拭いても止まらない涙に、明石の方が困惑する。
「おい、明石!」
「いたぞ、こっちだ!」
「バカかお前!!なに一人で勝手に⋯!!」
そうこうしていれば、階段からぞろぞろと仲間がやって来た。勝手な行動をした明石に憤慨し、倒れている鬼を見て驚愕し、ぼろぼろと泣いている明石に瞠目する。
「なにがあった?!」
「これアカッシーがやったの?!」
「いや、これは⋯!」
「うん、そう。彼が倒した」
飄々と肯定してみせた青年に、明石は思わずギョッとした。「い?!いや、彼が⋯!」驚愕に、涙の引っ込んだ目元を乱暴に拭って、あたふたと弁明する明石に向けて青年が鷹揚に人差し指を唇に当てた。黙っとけということか。
「で。明石は何故、泣いている?コレのせいか?」
腑に落ちないながらもむぐりと口を噛んだ明石に、突如、ずいっと丑三が詰め寄った。コレ、と親指を指された青年は、丑三の背後できょとりとしている。「⋯いや、違う。なんでもないよ」こればかりは、明石もそういう他なかった。首を振った明石に、納得がいかないという顔をしながらも丑三は渋々と引き下がる。
「それで、君はだれ?」
「俺?」
涙の指摘により、再び青年に注目が戻った。そういえば名前も聞いていなかったと明石は思う。「⋯てゆーか、こんな生存者いたとか⋯」青年はぐるりと全員の顔を見渡して、それから明石に視線を止めた。ドキリ、と心臓がひとつ跳ねる。
「あー⋯自己紹介?別に良いけど、そんな暇あんの?」
「それって⋯どういう意味だよ」
「だって、鬼は全部で5体。だろ?」
そう、けろりと吐いた言葉に明石たちは愕然とした。「えっ?!鬼は全部で4匹じゃないの?!」芽依の驚愕の悲鳴に青年はゆるりと首を傾げる。
「俺も最初はそう思ってたんだけどさ。どーも鬼の能力と遺体の殺され方が合わないんだよな。お前らも見なかった?穴の空いた死体」
青年の言葉に、誰もが顔を見交わせた。全員、身に覚えがあったからだ。体育館にある、違和感のあった死体。焼死でもなく、凍死でもなく、物理的な穴の空いた死体に、青年はもう一匹の鬼の仕業だと言う。確かに、辻褄が合う。「わ、わだすも見ただ!あんのくす玉から鬼さ出てきた時、あんのでっけぇ鬼の肩に乗ったちっせぇ鬼さ!」そして追撃のような柘植の言葉に、確証した。青年が笑う。
「それじゃあ全員で鬼退治と行きますか?」