入学許可証
──「親愛なるシンシア・スノウベル殿このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします
新学期は9月1日に始まります。7月31日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております
副校長 ミネルバ・マクゴナガル」──
コツコツ、硝子窓を叩く軽快な音にシンシアはもぞりと布団から顔を上げた。催促する様に断続的に鳴らされる音にふわあと欠伸をひとつ、ぐちゃぐちゃの髪の毛のままぼんやりとした思考で毛足の長い絨毯にぺたりと素足をおろす。「はいはい、いま行くわ」そう声を掛ければ、カッカッカッと徐々に大きく響いていた音がピタリと止んだ。のそりとした足取りで窓際に寄り、締め切ったままのカーテンをシャッと開けば眩しさにすこし目が眩む。細めた視界に映った姿にシンシアはゆるりと笑みを浮かべ「暑かったでしょう。おいで」突然の訪問者に驚きもせず笑顔で室内へと招き入れた。
窓を叩いて居たのは羽根が黄褐色のワシミミズクだった。黒色の鋭い嘴をするりと撫でたシンシアは彼に水とハムを与え、ベットサイドテーブルに置きっぱなしだった黄色みがかった羊皮紙の封筒を開けてサッと内容に目を通す。封筒は真ん中に"H"と書かれた紋章入りの蝋で封をしてあった。手紙の上部にはダンブルドア校長の名が記載されており、紛れもないシンシア宛のホグワーツ魔法魔術学校の入学許可証である。1週間ほど前にも同じものが届いていたのだが、シンシアは返事を書くのをすっかり忘れていた。
「───謹んでお受け致します。…っと」
引き出しから取り出した羊皮紙に、たっぷりとインクを含ませた羽根ペンを滑らせる。7月31日。今日付の必着に痺れを切らして飛ばされたのだろうフクロウを優しく撫でて、足にしっかりと括り付ける。「お願いね。」ごわごわとした硬い翼を労わるように撫でれば、静かに水を飲んでいた彼の瞳が瞬いて応えるようにひとつ鳴いた。
バサバサと羽根を広げて飛び立って行った小さな背中を見送り、手早く着替えたシンシアは手櫛で髪を整えながらようやっと階下へと下りた。リビングへと近付くにつれて、むわりと悪臭が鼻をつく。素早く鼻を摘んだシンシアはリビングに着くや否や、真っ先に窓という窓を全開にした。「ああもう!ほんっと最高の朝ね!」ツンッと鼻腔に刺さる臭いが風に撒かれて落ち着いた頃、漸く鼻から手を外した。すんと鳴らした鼻を通るのは、入手困難な薬草や気持ち悪い虫、ネズミヘビ、トカゲの尻尾をグツグツ煮詰めた臭いではなく、太陽を浴びてキラキラと光る柔らかな新緑の匂いだった。
トーストと卵とベーコン、簡単な朝食と紅茶のポットをテーブルに置いて席に着く。もそもそと片手でトーストを齧りながらシンシアがもう片方の手に持つのは同封された教材リストだ。杖にローブ、1年生で使う教科書に大鍋──。新入生だからか、用意する物が多いなとぬるくなった紅茶をひと口啜る。
幸い、スノウベル家からダイアゴン横丁までは目と鼻の先。とはいえ、早めに用意するに越したことはないだろう。去年のクリスマスプレゼントに貰った"検知不可能拡大呪文"の施されたポシェットを思い浮かべてシンシアはすこし高揚した。一欠片になったトーストを口内に放り込み、紅茶を飲み干した所でガチャリと扉の開く音と同時に流れ込んできた臭いにシンシアはうっと顔を顰める。ワクワクとした気分も一気に醒めるくらいのキツイ臭いだ。
「おはよう、お父さん」
「…嗚呼、おはようシンシア」
扉からぬうっと現れたのは、所々焦げ後のついた真っ黒のローブを纏った血色の悪い男性。シンシアの父親である。緩慢にシンシアの前に座った彼にすこし冷めてしまった紅茶を差し出して、両手で頬杖を付いたシンシアは父親の顔をじっと眺める。父の姿を見たのは、約1週間ぶりだった。
「お父さん、酷い顔色よ。それに酷い臭い」
「ん?ああ、そうだろうね」
眉を顰めて文句を零すシンシアにも、そうだろうともと頷いてカップに口付けた彼は、脇に置いてあった日刊予言者新聞を無造作に広げる。娘と目も合わせない父親に息を吐いて、シンシアは席を立った。マッドサイエンティストはみんなこうなんだろうか。べったりと髪の毛の張り付いた後頭部を胡乱に見ながら、お湯を火にかける。食事も、お風呂も、時間も忘れて大鍋を掻き混ぜる父親を変わり者だと思っているが、彼を訪ねてくる客は多い。定期的に訪れる客の中で、雨にでも塗れたのかと思うほどねっとりとした黒髪と、嫌でも目につく鉤鼻の、父親と同じ臭いを纏う男性を思い浮かべてシンシアは渋い顔をする。
「朝食置いておくから、お風呂入ってきたら?」
入れ直した紅茶のポットをテーブルに置いて、もう一度席に着いたシンシアはふたつのカップを手元に引き寄せ、紅茶を注ぎながらチラリと青白い顔に視線を投げる。緩慢に新聞から顔を上げた父親と、漸く目が合った。
「あと、私、ホグワーツの教材を買いに行ってくるわね」
続けて伝えれば、彼はパチパチと目を瞬かせた。それから考えるようにすうっと天井を見上げて、ひとつ頷く。娘の年齢を漸く思い出したらしい。もしかしたら、家に帰ってくる事が少ない多忙な母もこんな調子かもしれない。
「そうか、気をつけて行っておいで」
「ありがとう。それで、朝食は?」
「貰うよ」
「わかった」
シンシアが頷けば、彼は読んでいた新聞を閉じて、テーブルの端に置くと静かに席を立った。もう少し娘への関心も覚えて欲しいものだと、気だるげに動く不健康な猫背をじとりとした視線で見送る。
「ああ、そうだ。ちゃんと持ってるね?」
「ええ、もちろん。持ってるわ」
廊下へと消える直前、首を捻って振り向いた父に一瞬ギクリとしたが、彼の言わんとする事を瞬時に察したシンシアは多少うんざりしながら首に下げていた掌サイズの小さな鍵を振って見せる。チャラチャラと揺れる銀色に深く頷いて、煤けたローブは今度こそ廊下の奥へと消えていった。
銀色の鍵をしっかりと服の中に仕舞い、ぐいっと紅茶を飲み干して席を立つ。一体なんの鍵なのか、聞いても明確な応えが返ってきたことは無いが、大鍋以外無関心な父が顔を合わせる度こうして確認を取るほど、大事な物なんだろう。物心着いた時には首からぶら下がっていたので、今ではすっかりシンシアにとって
「ご飯くらいちゃんと食べたらいいのに」
野菜たっぷりのサンドウィッチと消化の良いスープのレシピを頭の中でなぞりつつ、空のカップと自分の使ったお皿を持ってキッチンへと向かいながら不摂生な父に独りごちる。それでも久々の父との会話にシンシアの頬は自然と緩んでいた。
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