ハケンの女+βその2

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三孫 / 吉 / 現代パロ

※「ハケンの女」+β1のつづき。

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 大谷のベッドは、6人部屋の一番奥、窓際の右側にあった。まだまだ寝るには早い時間だというのに、ベッドの周りにはぐるりとカーテンがたらされて、他者が己に興味を持つことさえ、拒絶しているように孫市には見えた。
 けれども、カーテン一枚程度で作られた壁など、石田にとっては壁でもなんでもないようで、一声、開けるぞ、と言っただけで、返事も聞かぬうちにシャッとレールを擦る音が聞こえる。
「吉継、具合はどうだ」
「ヒヒッ、悪うなったと言えば、ぬしはどうする」
「……医者はどこだ。斬滅してくる」
 物騒な物言いに続いて、ケラケラと、一際高く笑い声が響いた。
「冗談よ、ジョウダン。すこぶる良いわ。でなくば、手術までした甲斐がない」
 趣味の悪い冗談だ、と孫市は思った。石田もそう思ったのだろう、明らかにむっとしたような声で唸り返す。
「私は冗談を好まない」
「ヒヒ、さようか。それはすまなんだ。許せ、ユルセ。ぬしの顔を見て、ちと浮かれすぎたわ」
 まるで子どもをあやすようにぞんざいな、それでいて優しい声音に、思わず気をとられた、次の瞬間である。
「で、ぬしは誰を連れてきやった」
 カーテンの向こうから、どろりとした視線が孫市を捉えた。今の今まで石田は同行者がいるとは一言も言っていないし、孫市も何かしらの物音を立てたということもない。けれども、確かに大谷はこちらを見ていた。見て、誰だと言ったのだ。
 孫市の背中を冷たいものが伝った。
「孫市だ。貴様には話してあっただろう」
「アァ、雑賀孫市な。われの代わりにぬしにつくことになったという、アレか」
「そうだ」
 孫市ィ!と石田が呼ぶ。病院だからか、いつもよりは少し小さめに、それでもきっちり叫ぶあたり、本当に面白いカラスである。
「貴様、いつまでそこにいるつもりだ! 吉継に会いたいと言ったのは嘘だったのか!?」
「少し落ちつけ。嘘は言っていない」
 一人暴走しがちな石田をなだめつつ、孫市は一歩を踏み出した。窓側の一面だけ、そちらに回らなければけして中はうかがえないよう器用に開けられているカーテンの中へ、静かに身を滑り込ませる。
「雑賀孫市だ。よろしく頼む」
 よろしくと言いながらも手は差し出さない。一度顔は見ておかねば、とは思っていたが、よろしく出来る気もするつもりももはやなかった。向こうも同じように感じているのか、ヒヒヒ、と笑ったっきり、
「大谷吉継よ」
 名前を言っただけで、口を閉じる。
 見つめあったまま黙りこくる二人に違和感を感じこそすれ、その正体がわかるほど賢しくはない石田は、こくりと小首を傾げると、思い直したように口を開いた。
「何か変わったことはなかったか」
「ない、ナイ。退屈で堪らぬくらいよ」
「そうか。ならば……」
 あれは要るか、これは要るか、と石田がたずねる。それに呆れたような嬉しそうな顔をして、要らぬイラヌと大谷が答える。
 そうして大谷が会社での事をたずね、石田は病院での事をたずねる。ともに表情のわかりにくい二人の男が、互いの話にふっと柔らかい顔をする。
 これが何度も繰り返された光景であるだろうことを、孫市は疑わなかった。孫市にとって大谷は、信用のならぬ男に思えるが、少なくともこうして石田と話している分には、ただの無害な男に見える。
「きちんと食事はとっておるか、三成」
「食事か」
 そこで初めて石田がちらりとこちらを見やる。今まで孫市の存在などなかったように会話をしていたくせに、一応忘れずにはいたらしい。
「孫市がうるさいからな。貴様や半兵衛さまよりも喧しい」
 補助食品ばかり食うなと言うのだ。そう憮然とした表情で言う三成へ、楽しげに大谷が笑いかける。
「ヒヒッ、左様か。可哀想に」
 にやり、とわざとらしく大谷が孫市へ笑顔を見せる。
「ぬしにも苦労をかけたなァ。あい済まぬ。三成はヒトの言うことを聞かぬゆえ」
「仕事だからな。お前に礼を言われる筋合いはない」
「ヒヒヒ、マァ、われもあと一月あれば退院出来るゆえな、それまでちと耐えてくれぬか」
 まるで一月後には用済みよとでも言いたげな口調である。事実、孫市の雇用契約は大谷が戻ってくれば切れるのだろう。これは孫市にはどうしようもないことであり、そもそもそのような契約であった。が、このまま退くには惜しい程、石田は面白い男であるし、大谷の言葉に頷くのも癪である。どう返すかと口を開きかけたところで、先に石田がずいと前に出た。
「孫市は、吉継が戻ったら辞めるのか?」
 何も知らない子どもの顔を、何も考えずに浮かべられる、この男はズルい。
「そういう契約だからな」
「私は許可しない!」
 ことさらなんでもないように言った孫市の言葉を仕舞いまで聞かないうちに、石田が叫んだ。いきなりの剣幕に、孫市はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「貴様、私を裏切るつもりか!」
 更に怒気を強め始めた三成相手に、孫市も、大谷でさえも理由がわからず呆然とするばかりだ。
「……よくわからないが、落ちつけ、石田。私はお前を裏切らない」
「落ち着きやれ、三成。雑賀のことはわれが半兵衛さまに申し上げておくゆえ、な?」
 口々になだめる言葉を口にする孫市と大谷を、三成はぎろりと睨み付け、本当だな、と低い声を出す。本当だと頷けば、ならば良い、とけろりと機嫌を直す石田は、一体何がしたかったのか。
 首をひねりながら、ちらりと盗み見た大谷は、なぜか悔しそうな顔をしていた。
「……向後、よろしゅう頼む、雑賀」
「ん、ああ」

 社長、社長秘書に呼び出され、ぜひ正社員契約をと求められた孫市が、正式に豊臣商事で働くことになったのはその後すぐのことである。

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2011/04/17

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