御堂の灯12

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三吉三 / 妖怪パロ

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 それからのことはよく覚えていない。佐吉に置いていかれたことに対する恐怖がじわじわと体を支配して、それでもうなにもわからなくなってしまった。
 気づけばいつの間にか吉継の手は再び佐吉の小さな手につながれていて、法堂から漏れる明かりが足元を照らしていた。どこかで何かが甲高い叫び声をあげるのを聞いたような気もするが、すべては夢の中のようで、なにもかもが定かでなかった。ただ、再び己が手の中に戻ってきた佐吉の手を握りしめているので、精一杯だった。

「アレは、サテ、どうしたか。なァ、三成」
 さらさらとすくってはこぼれる銀糸を弄びながら、吉継は唇だけを歪ませるわかりにくい笑みを浮かべた。膝の上の三成はぴくりとも動かない。己に話しかけられたのではないことをわかっているのだ。
 どうしたわけか、三成は頭だけを吉継に預けてだらりと床に寝転がる、この体勢をことのほか好んでいるようだった。吉継が自室でくつろいでいるのを見計らったようにふらりとやって来ては、都合も機嫌も歯牙にもかけず当たり前のように膝上を陣取る。まるで年経た猫のようでもあるが、猫ならばもう少し可愛いげもあろうというもの。この吉継よりも上背のある猫は、羽織をかけてやろうが頭を撫でてやろうが、喉を鳴らすどころかうんともすんとも言わぬのだ。
 その代わりというわけではなかろうが、これほど重篤の身の吉継が、戦場で幾度も危難を逃れ得るのはひとえに三成の助けがあってこそであった。太閤に見出だされた三成と共にあの寺を出て十年余り、初めて戦場に出て以来吉継が負った傷の数は両手で足りるほどしかない。それもほとんどがまだ健康になんの支障もなかった頃に負った傷で、それさえももはやどこにおったかもわからぬような浅傷ばかりである。
 吉継に危機が迫るやいなや、どこで知ったか三成が飛んできては素っ首をぱっと切り落とす。敵は刀を、弓を持ったままばたりと倒れる。そんなだから吉継が傷を負う隙などまるでない。無論、三成の鎧を飾るのもその全てが返り血である。凄まじい腕だ。人間業とは到底思えぬ。
 その時、ふわり、ほほを被う、包帯越しの微かな感覚に吉継はぱちりと目を瞬かせた。
「刑部、なにを考えている?」
 高すぎもなく、低すぎもない、それでもあの頃と比べれば格段に低く大人びた響きを持つ声。ただ、呼ぶ名だけが変わらない。
 今でこそ吉継は従五位下、刑部少輔の役を頂くに至って、その呼び名も相応の意味を持つものとなったが、果たしてこの現在を三成は知っていたのであろうか。知らぬはずだ。知る由がない。そう思う。

 あの晩、法堂へ戻ってきた吉継達を待っていたのは、眦を吊り上げ、かんかんに怒った若い見習い坊主であった。真夜中の企みがばれた小姓共は、叩き出されるようにして法堂を追われ、慌てて各々の蒲団へと転がり込んだのだ。が、翌日戻ってきた和尚にも当然ながらこの企みは報告され、それからの十日間は罰として境内の草むしりをやらされる羽目になった。炎天下での草むしりはどんな苦行にも優るとも劣らぬものであっただろう。
 御堂であるが、翌朝、寺男が掃除に訪れた時にはもう酷い有り様であったという。扉は真っ二つに裂け、床も壁も巨大な獣が暴れまわりでもしたように幾本もの長い爪痕が走っていた。実際に、獣の仕業とされたのだ。誰も真相を知らなかった為に。小姓共はこれ以上の罰を受けぬよう、その晩何をしたかは黙っていたし、言ったところで誰も御堂の状態と肝試しとを結びつける者はいなかったろう。いや、彼らとて知らないのだ。最後に御堂を訪れた者は吉継と三成、二人だと思っている。真実を知れる者がいるとすれば、それは吉継ただ一人なのだろう。
 ――吉継が三成に、あの晩のことを尋ねたことはない。
「……ぬしのことよ」
「そうか」
 ふふ、と吉継を見上げたまま三成が笑う。こんな包帯だらけの顔を見て、なにが嬉しいのか、幼い頃の花のほころぶような笑顔そのままに笑って見せる。
 真実など、知らずともよい。暗闇のなか、目を閉じ、耳を塞ぐことで、三成を失わずにすむのならば。
「私がきっと、貴様を守ってやる」
 ゆっくりと頬を撫でる手は、必ず吉継の元に帰ってくるのだから。
 置いていかれることが怖いのだと、口にすれば一時でもこの手を離さずにすんだのだろうか。
「頼もしいことよなァ」

  繋いだ手を離したくないのは、どちらも同じだったのだと、気づいたのはもっと後のことだった。

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おわり

2012/01/01

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