治部殿狐1

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※泉鏡花「天守物語」パロ。とはいえ好き勝手改変済み。ご了承くださいませ。

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三吉三 / 人外 / 文学パロ

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 いつの話かとんとわからぬ。封建の頃ではあったろうが、とにかく晩秋の話である。
 摂州大坂は錦城の天守、第五重。人っ子一人いないその場所で、今確かにひそり、ひそり。
「何をしているのだ、左近」
「兵庫か。なぁに、秋草を釣っているのだ。主が芸州より帰りくる前に、幾つか釣って生けて置こうと思ってな」
「草を釣るなど聞いたことがない」
「それはそうだ。新発明だもの」
「餌には何を使っている」
「おや、喜内。貴君もやるか」
「興味が湧いただけのことよ。大きな戦もとんと無いしな」
 板張りの一室である。柱が幾つかあるだけで、間仕切る為の壁はない。ぐるり見渡せばそれで天守のすべてであるのに、声の主らは影も形も見当たらぬ。一面に高麗べりの畳が高く敷いてあるだけで、足音も息遣いも、なにもない。ただ、声がするだけである。
「芸州はようやっと秋に入ったばかりと聞いたが」
「それはそれは。では、紅葉狩りでもしてらっしゃるのか」
「主のことだ、そう長くは城を空けまいが」
 そう言う間に、見えぬ糸の先へするするすると萩が釣れる、木槿が釣れる、撫子に藤袴が釣れる。
「上手いものだな」
「こう暇では、刀の腕は鈍りもしようが」
 カラカラと壮年の男の声が高く笑った。
 ふと空に黒雲が差す。一雨来そうな気配である。釣糸はすでに垂れてはおらず、秋草はいつの間にやら天守のそこかしこにきちんと飾って生けてあった。
 空を一筋の閃光が走る。するとそれから少しも経たぬうちに天の階をするすると、紫苑の色した打ち掛けが降りてくる。銀鼠の袴に淡い藤の上衣を着けたその人の顔はこの世の人ではないように白い。
「留守中、変わりはなかったか」
 雨を避けるということをしなかったのか、銀の髪が露を含んでますます輝く。打ち掛けの肩はしとどに濡れて色を濃くする。
「いいえ、何にも」
 クスクスと花に興味のない主を笑う声だけが返る。実際、この主は視界に入っているだろう秋草には目も止めず、笑った手下をちらと睨むだけである。とてもでないが、風流にも紅葉狩りに興ずるようなところがあるとは思えない。
「陸奥守殿は如何なさっておいででした」
 兵庫、と呼ばれていた声が聞けば、とたんに主は眉間に皺を刻んだ。
「陸奥守か」
 芸州広島鯉城が天守の主に会いに行く度に浮かべる、あの苦々しい顔である。そんな風な顔をするくらいならば行かねば良いのだが、そこが主の生真面目なところで、主にとっては大恩ある、さる御仁から、陸奥守に己を頼んである、と言われれば、それだけでもう無下に扱うわけにはいかぬらしい。向こうもそれを知って呼びつけるのであるから、主がますます陸奥守を苦手とするのも無理のないことであった。
「そのご様子では、また難題でも吹っ掛けられてござったか」
 喜内の問いに、主の顔が一層に渋さを増した。
「紅葉が五月蝿いゆえ、雪の白さが恋しいと」
「やあ」
 驚いた、兵庫の声。
「芸州の秋は来たばかりと聞きましたが」
「そうだ。雪が降るまで少なくとももう三月は待たねばならん」
 一体どうしろと言うのだと、怒気さえ含ませ八つ当たる主の姿に、姿の見えない臣下共は互いに顔を見合わせる。さてどうする、良案は、とそういえば、声を上げたのは左近である。
「ここの城主は鷹狩りが趣味だ。供の者共を引き連れて行くのをよぅく見るが、彼が今一番可愛がっている鷹というのがな、それは見事な白鷹よ」
「ああ、確かにあの白鷹ならば、陸奥守も納得されよう。それはそれは、雪をも欺く白さとはあれのこと」
「左様、あれ程の鷹ならば具合がようございます」
「そんなに白いか」
 期待に満ちた主の声に、臣下共は一斉に首を縦に振った。

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2011/04/30


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