星夜見1

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三吉 / 女体化 / 豊臣軍

※蝶嫁御番外編。

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 膠着状態がもう五日も続いていた。

 噛みすぎた親指の爪はすでに白いところを無くしていて、半兵衛は口元に持っていった右手を仕方なく下へおろした。それを見ていた秀吉がほっとした表情を浮かべたのには、気づいていない。
「まったく、先送りしたところで結局は浅知恵にすぎないとはわからないのかなぁ。ねぇ、秀吉」
 苛立ちもあらわな半兵衛の言に、秀吉は黙って頷くしかなす術がない。しかし、そもそもが包囲戦による兵糧攻めを進言したのは半兵衛なのである。兵糧攻めは豊臣軍の得意とする戦術であり、すなわち豊臣の軍師たる半兵衛の得意の策でもあった。が、いかんせん、竹中半兵衛という人間の根本的な性格が短気なのだった。
 半兵衛の策において、計算外という言葉は存在しない。相手がどんな手を打ってこようとも、それは彼にとって既に“予想の内”なのである。思慮を巡らし罠を張ろうが、短気を起こし突撃しようが、すべては半兵衛にとって予想していた未来であり、であるからしてそれに対する策もまた準備されているのである。
 そんな恐るべき頭脳を持つ友の頭を見下ろしながら、秀吉は、だからであろうか、と思う。誰よりも先が読めるがゆえに、友は誰よりも気が短いのであろう。他人の三倍も五倍も早く、彼の思考は物事を認識しているというのに、時は誰にも平等にその頭上を過ぎていく。そう考えれば、彼の苛立ちももっともなことではあったが、けれどもその苛立ちの巻き添えを好んで食らいたいかといえば、また別のはなしであった。
「そういえば、今宵は七夕であったな」
 なんとか半兵衛の気を逸らそうと、様々に思考を巡らしていた秀吉がふと口にした言葉に、再び右手を口元に持ち上げかけていた軍師が反応する。
「七夕か……すっかり忘れていたよ」
 そうしてちらりと空を見る。まだ正午にもなっていない空に、当然、星など見える筈がない。しかしながら今宵、ゆっくりと星を眺められる保証もまたどこにもないのだ。誰であろう覇王がその軍師の機嫌に神経を使っているような、まるで戦時とは思えぬ状況であるとはいえ、今は紛れもなく戦中なのである。戦況が膠着しているというのも、今現在そうだ、というだけの話で、次の瞬間にはどう転ぶかわからない。わかっているのは半兵衛だけであろう。
 思えばまともに七夕を過ごしたのは、もう幾年も前が最後である。大坂城の山里曲輪に笹を持ち込み、半兵衛と三成とでささやかな星見をしたのだった。
 その頃はまだ佐吉と呼ばれていた三成も既に何度も実戦を経験し、この度の行軍にも参加している。実務能力の高さを買われて兵站を一任されているのだ。何分、戦闘能力は高いがともすれば戦に集中するあまり周囲が見えなくなる三成が、軍全体の兵糧から行軍の日程からをすべて把握し物の見事に差配してみせるというのは、考えてみればおかしな話である。半兵衛にいえば、僕が教えたんだから当たり前だよ、とでも言いそうだが。
「あれは何年前だったか……三人で七夕をしたんだった。確か三成が豊臣に来てすぐの頃だよ、ねぇ、みつな」
 半兵衛も同じことを思い出したのか、懐かしそうな呟きがもれ――唐突に、途切れた。息をするのも忘れたような友の様子に、不審に思った秀吉はその視線の先をたどり、やはり同じように言葉を切った。
「どうした半兵衛……なっ」

 ……視線の先では、三成が声も漏らさぬまま血色の涙を流していた。

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2011/08/12

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