初春5

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三吉 / 女体化 / 豊臣軍

※蝶嫁御番外編。

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 そういえば、初詣とは年の始めに神に願いを叶えてくれとゆする行事であったか。今更ながらに思い出して、吉継はふむと考え込む。それしかせなんだと思われるほどに、神にすがった時期があった。泣いて、拝み、恨み、媚びて、最後には疲れ、諦めた。結局それ以来、吉継は神を頼まなくなった。
 今、三成に言うたところでどうにもならぬことなのだが。
「願い、なァ。ぬしはどうする」
「私は勿論、ひでよ……」
 はっと慌てたように言葉を切って、三成が叫ぶ。
「初詣の願いは口に出すと叶わん! 吉継、貴様も気をつけろ!」
「はあ」
 あまりに真面目な三成に、茶化すこともできずに吉継は気の抜けたいらえを返す。他ならぬ太閤自身を、神とも崇めている癖に、その彼を頼むのに神に願うのは少しおかしいような気がした。
 だのに、他の相手になら即座に口を突いて出る皮肉が、三成相手には鳴りをひそめているのには、自分でもどうかしていると思う。子どもだからと、加減しているのか。今までは、宗麟を除いて子どもが傍にいたことなどなかったから。
「まさか、何も考えていなかったのか」
「そうよなァ、ぬしのことでも願おうか」
 呆れたように、三成が言う。この純粋すぎる子どもは、きっと吉継がそれはおかしいと言えば、何も反論もせずにそれもそうだと言って帰ってしまうかもしれない。だからだ。だから、自分は口に出さない。
「だから、言うなと言っただろう!」
「ぬしの何をとまでは言うておらぬから、無効よ、ムコウ」
 ヒヒヒ、と独特の笑い声が、喉を震わせ漏れ出でて、
「それに、私のことなら何故私に言わん。貴様の願いぐらい、私が叶えてやる」
 笑いは、すぐに止まった。
 三成も、己で言ってからやっと気がついたように、そうか、私が叶えればいいのだ、と目を瞬かせて呟いた。その様は、ひどくあどけなかった。
「ぬしに叶えられぬ願いなら、なんとする?」
「言ってみろ。聞いてから考える」
「……われの」
 言いかけて、口をつぐんだ。この願いはとっくの昔に捨てたものだ。名医も妙薬も、神仏でさえ、吉継の望んだ奇跡を起こさなかった。三成が、ただの子どもがどうにもできるものではない。
「貴様の、なんだ」
「や、なんでもないわ。なんでも、ナ」
「嘘をつけ!」
 三成が怒鳴った。子どもとはいえ三成の怒鳴り声は大人をもぞっとさせる感情の迸りがあった。感情の起伏が少ない癖、とんだ激情家なのだ。
 突然の三成の怒声に、周りにいた兵士共がちらちらとこちらを気にし始めた。それまでとて密やかな注目を集めていたのが、今やこちらをあからさまに気にしている。不味いことになった、と吉継は心中で嘆息した。その容姿故に他人の耳目を集めることに多少は慣れている吉継でも、いや、慣れているからこそ、このような注目の集め方は、御免被りたいところである。
「三成、落ち着きやれ」
 とにかく落ち着かせようと伸ばした手は、白い頭に届く前にぺちりとたたき落とされた。それはけして強い力ではなかったが、何より拒絶されたという事実に頭で考えるより先に、体がまず、反応した。
「……あ、」
 ぽろり、と瞬きと同時に落ちた涙は、吉継にしてもまるで予想していなかった反応だった。それでもせめて、黙って素知らぬ顔をしていればよかったのに、思わず顔を隠したりすればいかに鈍い三成でも容易に気づく。涙など、顔を覆い隠す晒に染みて、すぐに見えなくなってしまった筈なのに。
 右の手首をぐいと引かれて無理矢理に視界が明るくなる。三成の鮮やかな色の瞳が、今は目に眩しすぎた。
「そら」
 逸らそうとしていた目線が、なぜか浮かべられていた誇らしげな笑みに惹き付けられる。
「泣くほど辛いのだろう。貴様の望みはなんだ、言え」
 これは子どもの傲慢だ。もう子どもではない吉継にはわかる。根拠のない自信、夢見がちな万能感。こんなものでは、己は救われぬ。こんなものでは、
「ちょっと! 痴話喧嘩なんて後でいいから、さっさとお参りしてくれないかい!」
 兵達の向こうから、唐突に半兵衛が怒鳴った。
「半兵衛さま、私は、参拝は」
「形だけでいいんだから、つべこべ言わないで早くする!」
 言い返しかけた三成に、先程より更に大きくなった声が返る。半兵衛、とわずかに聞こえるのは、軍師をたしなめる太閤の声か。それにも半兵衛は、呆れたような、苛立ったようないらえを返す。
「あのねぇ、秀吉。どうせ、願いなんて自分で叶えるものなんだから!」
 あぁ、寒い! と、続いて聞こえてきた声に、兵の間で苦笑が漏れる。神の社で大声で口にするにはあまりに不謹慎な内容ではあるが、それに眉をひそめる者は誰一人いなかった。上役だからと、追従のために浮かべた笑みでもない。
「吉継、話は後だ」
 皆がなにかしらの笑い顔を浮かべている中、やはり三成だけは真面目な顔をして、握ったままの吉継の手首を軽く引いた。三成にとっては、神も仏も、到底己の主とその軍師の威に及ぶものではないのであろう。
「早く済ますぞ」
「あい」
 手首からするり、三成の細い指が晒に肥った吉継の指に絡みつく。しっかりと握られた右手を見下ろしながら、吉継は思う。
 ――われももはや、豊後の大谷吉継ではないのだな。

 びゅう、と風が吹き付ける。晒に覆われた肌には寒風が直接凍みることはないが、それでも後ろから回された腕は吉継を囲いこむようにますますきつく引き寄せる。
「寒くはないか」
「ヒヒッ、心配いらぬ。いくら風が吹こうとも、われはそよとも感じぬわ。ぬしより布一枚は多く着こんでおるゆえな」
 それに馬上は確かに、半兵衛の言った通りに温かかった。当の軍師はといえば、今度は自ら車に籠っているのだが。
「やはり、貴様も車の方が……」
「ぬしはちと過保護すぎよ」
 言って吉継は背後の三成にぴたりと体を寄せた。子どもの癖にたいして温かくもない体温は、暖をとるには不向きである。が、ちらりと見上げた顔の冷めた表情とは反対に、白銀の髪から覗く耳がわずかに赤く染まっているのに気づいて、吉継は柔らかく目元をゆるませた。
「こうすれば、ぬしも暖かかろ」
 あぁ、とか、うん、とか返ってくる不明瞭ないらえに、吉継はひっそりと笑う。普段は憎たらしいくらいすましかえっている癖に、こうして照れる様子は年相応に可愛らしい。
「そういえば、貴様の願いをまだ聞いていない」
 他人が聞けば冷たくも聞こえる声だとて、照れ隠しかと思えば微笑ましさしか浮かばない。
「ぬしもしつこいなァ」
「貴様が素直に白状せんのが悪い」
 前を見たままむすりと返す。ほんにかわゆい旦那様よと、吉継はついつい声に出して笑う。
「何がおかしい?!」
「イヤ、な、ぬしがまことかわゆらしいゆえ、つい」
「聞き捨てならん!」
 上手く話を逸らせたことに安堵しつつ、吉継はそっと目を閉じた。問われても、吉継はきっと答えないだろう。神も仏も当てにはならぬ。
「大体、可愛いというのは、貴様のような者のことだろう、吉継!」
「そんな世迷い事を臆面もなく口にするのは、ぬしくらいのものであろうな」
 願いは自分で叶えるものだというのなら――吉継は、叶わぬ願いは望むまい。それは、けして叶わぬ願いではないはずだ。
 願うのはぬしと共にいる未来だと、そう言ったなら、この年下の夫はどんな顔をするのだろうか。

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おわり

2012/03/17

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