わるいこは 一日目

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ホラー
※友人とのプロット交換作品です

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「雨、いつまで続くんでしょうね」
 不意に執務室前の入側で立ち止まった堀川国広が、独り言のようにポツリとそうつぶやいた。彼の視線の先では、もう四日も降り続く雨が地面を忙しなくたたいている。庭にいくつもできた水たまりは底無し沼のように暗く沈み、ガラス戸を伝う水滴は次々に打ちつける雨粒に押されて滝のように流れ落ちる。外気温との差でびっしりと結露が起きたガラスは白く煙り、なけなしの陽光を遮っていた。常ならばまだまだ明るいはずの午前十時、室内は夜のように暗く、鳥肌が立ちそうなほどひんやりと冷たい。あまりの寒さに耐えきれず、季節外れの火鉢を納戸から引っ張り出してきたのは、ついおとといのことである。かじかんだ手を暖めつつ事務仕事にいそしんでいた審神者は、まとめ終わったばかりの五月分の戦績から視線を上げ、一向に止む気配のない長雨に眉をひそめた。
「俺、雨自体は別に嫌いじゃないんだけど、こう続くとね」
「はい、僕も雨は嫌いではないんですけど」
 よいしょ、とかけ声とともに籠いっぱいの洗濯ものを持ち直した堀川もまた、仕様のないこととわかっているのか、苦笑いを浮かべている。
「洗濯ものもなかなか乾きませんし、短刀のみなさんも室内遊びのネタがなくなってきたみたいですよ」
「うーん、そうだよなぁ……」
 普段であれば鬼ごとや影踏みで賑わしい中庭は、今は猫の子一匹いない。それどころか、終わりの見えない悪天候は人だけではなく付喪神の気持ちをも沈ませるのか、本丸御殿の中は常にない静けさである。いつになく気落ちした刀剣男士たちを見て、かわいそうだとは思うものの、審神者とて神ではなし、天候ばかりはどうしようもない。
「兄弟たちは、まあ、大丈夫だとは思いますが」
 続けられた言葉に、審神者は、あー、と声をあげた。
「確かに、山姥切たちなら大丈夫……かなぁ」
 審神者のはじめての刀である山姥切国広は、ちょうど六日前から兄弟刀の山伏国広と二人で本丸裏の山にこもっていた。大阪城地下への定期調査任務が終了したのを見計らったように、山の空気が吸いたい、と言いだしたので、審神者自ら修行の許可を出したのだった。修行といってもこれは極とはまったく関係のない、単なる趣味の外出で、滝行やら火渡りやら護摩祈祷やらを行う、本職の山伏さながらのコースなのである。そのため、少し雨が長引いたくらいのことでは、山伏たちの山籠りは中断されない。さすがに時間遡行軍が本丸御殿に進攻でもしてきたなら、一目散に戻ってくるだろうが、そもそも本丸というのは歴史に影響を与えないよう、時の流れから限りなく切り離された異空間なのだ。時間遡行軍が本丸に侵入できる可能性などは、万に一つ、あるかないかといったところで、だからこそ、こうして只人の審神者が何の憂いもなく暮らしていける、ということでもあった。そんなありえない可能性以外は、雪が降ろうが槍が降ろうが、むしろ修行の一貫だと言って峰から峰を駆け巡り、満足が行けば帰ってくるという調子だから、山伏の修行がいつ終わるかは、三十口をこえた大所帯のなかでも本人たち以外には誰にもわからなかった。
「いっそ、てるてる坊主でもつくるかなぁ」
 ふと口をついて出た言葉に、審神者は内心驚いた。てるてる坊主、なんて、一体いつぶりに口にしただろうか。小学生の頃、遠足の前日に作ったきりで、以来、審神者の人生からはまったく縁遠い存在だったのに、不意にじわりと記憶の底から浮かび上がってきたそれは、思いつきにしてはやけに良い考えのように思えた。
「てるてるぼうず?」
 キョトン、とこちらを見返す堀川に、うん、と審神者はうなずいて、文机横の紙入れから、シュッ、シュッ、とちり紙を二枚抜き取った。言って説明するより作った方が早いだろうと、一つをくるくると丸め固める。もう一枚をその上にフワリと被せて、近くにあった製本用の木綿糸を手にとった。ふくらませた方を包むように糸を一周させ、ギュッと固結びする。そうすると二枚のちり紙は、たちまちのうちに羽根つきの羽根を逆さにしたような形になった。審神者は先ほどまで事務仕事に使っていた細筆を手に取ると、ちり紙でできた細工の上部、丸くなった部分にちょいちょいと墨で顔を描き込んだ。山形の目に、谷形の口元。デフォルメされた笑顔である。
「ほら、できた」
 なかなかうまくできたと思ったが、差し出されたてるてる坊主を見る堀川の反応は芳しくない。はぁ、と気の抜けたような返事をして、困惑した表情を審神者に向ける。
「主さん、これ……」
「子どものおまじないでさ。これを軒先につるしておくと、次の日は晴れるんだって」
 いかにも解せないという顔を崩さない堀川に、鰯の頭も信心からって言うだろ、と笑いながら、審神者はてるてる坊主を手に腰を上げた。グッと背筋を伸ばすと、朝食を食べ終わってからの一時間、座り続けた腰がパキリと小さな悲鳴を上げる。日頃の運動不足を痛感しつつ、キョロキョロと周囲を見渡せば、目的のものはすぐに見つかった。ガラス戸の上、長押に取りつけられたひし形の金の釘隠は木綿糸を引っかけておくのにぴったりだ。畳敷きの執務室を出て入側へと足を踏み出せば、裸の足裏がヒヤリと冷える。
「ただの気休めかもしれないけどさ。せっかく作ったんだし。ほら、てるてるぼーず、てるぼーず、」
 あーした天気にしておくれ、ってな。
 短いわらべうたを口ずさみながら、釘隠の中央に突き出たでっぱりに、てるてる坊主をつり下げる。側面の凹凸が滑り止めの代わりになって、思った以上に具合がよい。これならば側を通るぐらいでは落ちなさそうだと、目線の上をプラプラと揺れるてるてる坊主に幼い日に感じた頼もしさを覚え、審神者はにっこりと笑った、のだが。

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2022/05/30

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