ある執事の手記 ある日ブルース様とリチャード様が連れ帰った少女は酷い傷を負っておられました。 身体的な外傷は特殊な事情により手当てをするまでもなく治ってしまわれます。 ですが心の傷は別でございます。 ご本人が自覚されていないからこそ、それは深く広く酷いものでございました。 「旦那様、その少女は? なぜ拘束されているのですか?」 「犯罪者だ。あまりにも手強いのでこれから拘束着をつける」 「それはそれは……私の耳が遠くなったのだと思いたいものですな」 「アルフレッド」 「拘束着を用意しました」 「今、ディックが情報を調べている」 彼女は人として当然持っているべきものをなにも持っていませんでした。住むべき場所や戸籍、初等教育は言うに及ばず。友人や知人、名前や親の愛情すらもです。 「正式に手続きをして、私が君を養子に迎える」 まず旦那様が戸籍と名前と、住むべき場所を提供しました。彼女の偽造パスポート(偽造! なんと嘆かわしい)から名前を『白井祐未』と名付け、不確かな年齢を16歳と断定されました。リチャード様同様養子として引き取ったのです。 彼女はリチャード様より年上でしたが、育ってきた環境があまりにも違う為かリチャード様のほうが兄のような振る舞いをしていることも多々有りました。 とにかく彼女は、圧倒的に必要な知識が不足しておりました。6歳の子供が習うような基礎すら彼女は身につけていなかったのです。私やブルース様、稀にリチャード様までもが、彼女に本来身につけているべき教養を教えることになりました。 「読み書きはアルフレッドに教えて貰いなさい。アルフレッド、頼んだぞ」 「畏まりました。では祐未様、アルファベットの練習を致しましょう」 まずは文字の読み書きから。彼女は言葉を話すことはできますが、読み書きはまったくできなかったのです。 ですが本当に深刻なのは初等教育ではありませんでした。私はこの時、哀れな少女は知識さえ身につければ我々と同様の生活が出来ると信じておりました。 とんでもない間違いだと、すぐに思い知らされることになります―― それは私が祐未様を初めてご自身の部屋に案内した時に起こりました。 彼女は案内された部屋をみてとても驚き、ベッドに近寄って遠慮がちに寝具を触っていました。部屋が広いことに驚いたのかと思いましたが、彼女の様子はリチャード様が初めて館に案内された時とは多少違っていました。 「なあ、トイレどこ?」 「お部屋を出て右に進みますとございます」 「……? 部屋、出られるの?」 「……閉じ込められるとお思いでしたか?」 「そういや、ドアにも鉄格子とかなかったよな。自由に出歩いてもいいのか」 彼女の言葉は、まるで鋭いナイフのように私の身体を貫きました。 年老いた身にはすぎた痛みです。彼女は我々を家族とも、同居人とも思っていませんでした。 飼い主だと 彼女の"新しい管理者"だと思っていたのです。 哀れな少女は自身のことを人とは思っていませんでした。 自分は人語を操る獣であり、人と自分が対等になることはないと思っていたのです。 「祐未様……貴方は今後自由を制限されることはございません。貴方の自由を制限できる人間は、この世界に誰もいないのです」 私はかつてこれほどまでに人間の行いをおぞましいと思った事はありません。 今まで彼女の周囲にいた人間は、祐未様の尊厳を根こそぎ奪い取ったあげく、彼女を獣にまで貶めた。 祐未様はそれを疑問に思うことなく過ごし、そして今、初めて人として扱われて戸惑っておいででした。 「そう、か? なんかそんなこと言われても、ピンとこねぇな」 「今はそれで構いません。いつか理解して下されば構いません。明日の朝食は一階の朝食室でお出ししますので、朝の7時にあらためてご案内致します」 「お、おう」 それは人が当然享受するべき権利であるのに、彼女はまるでそれがご自身に相応しくないとでもいうような態度でした。 得体の知れないなにかのように、ご自身の権利と尊厳から距離をとっておられた! 複数人でテーブルを囲み食事を取ること、自由にご自分の望む場所に行けること。夜は眠り、朝は目覚め、他者と会話をし、共に生きること。 全てが祐未様にとっては初めてのことらしく、非常に戸惑っておいででした。 「彼女が人を殺さないよう、訓練をする必要がある」 「……さようで」 すべての権利と尊厳の代わりに彼女が与えられたのは、格闘術や射撃技術、暗殺術や火力支援といったあらゆる戦闘技術。人を効率的に殺す方法でございます。 それしか与えられなかった彼女の技術は非常に高く、旦那様はあらためて彼女に"手加減"の方法を教えねばならぬほどでした。 「祐未、人を殺すな! 急所を狙うな! "殺さなくて済む"場所を狙え!」 今までの祐未様は悪人を生かしたまま捕らえる必要はなく、また殺す相手も悪人である必要はありませんでした。 「自分の身を犠牲にする以外の戦い方を覚えろ!」 そもそもご自身の負傷すら気にかける必要はない。祐未様の異常回復能力といままでの教育は、彼女に捨て身の戦法をとらせるに充分でした。 「アルフ! 大変だ、祐未が! 祐未の腕がとれた!」 「おい、もうくっついているよ」 ある日祐未様がコスチュームを血まみれにして帰ってこられました。なんでもパトロール中銀行強盗に遭遇し、敵に接近して腕を切られたとか。 彼女は片腕のまま悪人を捕らえたそうです。 「なんであんな危険なマネをしたのだ」 「いや、人質とってただろ? ブルースも危ないって言ってたから急いだ方がいいかなぁと思ってさ」 「だからと言って自分の身を必要以上の危険に晒す理由にはならない」 「そうだよ! 自分から敵に腕を差し出すなんて正気じゃない!」 「あたしの腕なら別にほっときゃ治るのだから、早いほうがいいと思ったんだよ」 彼女の右腕には切られたような痕がございましたが、私の見ている目の前であっというまに消えてしまいました。コスチュームのほとんどを赤く染めたというのに、祐未様に疲れた様子はありません。これも異常回復のなせる技でしょう。 その為か、彼女は自分の身を盾とすることになんら疑問も抵抗も持っていないようでした。 そうしなければ生きていけなかったのでしょう。 それが当然であると教えられてきたのでしょう。 まるでリサイクルできるペットボトルのようにぞんざいに乱暴に扱われてきたことは、想像に難くありません。 彼女は"猟犬"であることを望まれ、彼女もその生き方をよしとしてきた。 尊厳も権利も奪われ、正しいことを教えられず、生きる為に傷つき、生きる為に人を殺せと強要されてきた彼女を、誰が責められるでしょう。 世界にはどれだけ彼女と同じ境遇の子供がいるのでしょうか。 祐未様はご自身を"生体兵器"とおっしゃっていました。 ですが私は、彼女は兵器などではないと思いました。 彼女は少女兵です。 自らの意思に反して、奴隷のように兵士として使われ過酷な待遇を受ける子供。 本来なら彼女に"正義の奉仕"をしているひまなどありません。 なによりもまず社会復帰を優先し、尊厳と権利を学び、獣としての生活から脱却しなければならない。 人としての穏やかな生活を手に入れ、幸せになって頂きたい。 "少女兵"として育った子供の穏やかな幸福を、私は望んで止みません。 [しおりを挟む] 目次 戻る |