窓鏡


「僕はこの家を出るよ」

「そうか」

 祐未の返答を聞いて、ディックが少し身じろぎした。部屋の明かりが彼の黒髪を照らしている。
 もうすっかり日が沈んでいるので、窓は鏡のように部屋の中を映していた。
 祐未は入り口近くに立ったままの家族に視線を向けず、ベッドに座って窓を一心に見つめている。
 彼女が見つめる窓にディックが映っていた。弟なのか兄なのか、結局話し合いでは決着がつかないままだ。
 いつのまにか、彼が言ったとおり身長は抜かれてしまった。

「君も一緒にこないか?」

 それは彼にとって、勇気のいる言葉だったのだろう。ゆっくりと吐き出された言葉に祐未は窓を見つめたまま答えた。

「いやーいかねぇ。あたしお前と違って他のチームとかに所属してねぇし」

「君ならタイタンズのメンバーは歓迎すると思う」

「ディック、頼むよ。そういう意味じゃねぇんだ」

「……君は、このままバットマンの元にいるつもりなのか?」

「お前が出てってあたしまで出てったら、ブルースの"世話役"がアルフだけになっちまうだろ?」

 祐未はディックと視線を合わせない。窓の外を見たまま肩を竦めて見せた。

「彼は僕らのことをいつまでも子供だと思ってる。それに彼にとって、町を歩く人間は全員犯罪者予備軍だ」

「たいていの奴にとって年下はいつまでたっても子供だし、後半はあたしもそう思ってるぜ。ブルースほど悲観的じゃあないが」

「君は中庸的なだけだろう」

「どうだろうな。ブルースやお前ほど、犯罪ってのを憎んでないだけかもしれない。あたしはもともとそっちの出だ」

「祐未」

「怒るなよ」

 窓鏡の向こうに、眉を顰めたディックが映っている。

「簡単な問題だ。お前とブルース、あたしがいなくなって負担が増えるのはどっちだ?」

「それが君の意思なら、僕はなにも言わない」

「すっげぇなんか言いたそうな顔してるけどな」

「……でも、何も言わないよ」

 ディックが部屋に背を向けた。祐未はそこでやっと振り向き、男の背中をみる。いつのまにか背も抜かれた。体格も向こうの方が良い。全部昔ディックの言った通りだ。

「たまには戻って来いよ」

「無理だと思うな。君がこっちに顔を出しなよ」

「あーそれもいいけど」

 ブルースには息子が必要だと思うんだけどな、という言葉はディックが怒りそうなので言えなかった。

「ここに僕の住所書いてあるから」

「前見に行ったアパートだろ」

「そう。じゃあ僕、準備があるからこれで」

「ああ」

 ドアが完全に閉まったことを確認し、祐未はベッドに倒れ込んだ。明日にはディックがこの館からいなくなるのだろうか。

「寂しくなるなぁ」

 そう思うのは祐未だけではないだろう。アルフだって寂しいだろうし、ブルースだって寂しいだろう。特にブルース。
 彼にとってディックは親友で相棒で息子だ。代わりなんていない。
 祐未がいたところでディックの代わりにはなれない。一緒に戦えていたとしても、サイドキックなんてたいそうなものにはなれないだろう。
 祐未は自分のことをペットのようなものだと思っている。仲間はこんな考えを知ったら怒るだろうから言わないが、彼らとは根本的に考え方が違うのだ。
 ブルースもディックもバーバラも犯罪を憎んでいるが、祐未はそうでもない。
 犯罪をしなければ生きていけない人間がいることを知っている。
 犯罪すら生きるチャンスになることを知っている。
 強盗も人殺しも窃盗も、生きていくためのひとつの手段だ。そのせいで誰かが苦しんでも、自分が生きていくための犠牲だ。
 だってみんな豚や牛や羊を殺して肉を食うだろう。
 それと一緒だ。
 趣味で犯罪をやってる奴もいるが、人間だって趣味で狩りをするし魚を釣る。キャッチアンドリリースとかバカなことをやっている。
 
 犯罪と食事を一緒に考えている時点で、祐未はウェイン邸にいる資格はない。本当は。

 これほど考え方が違うのだ。ブルースの本当の家族にはなれない。娘と名乗る資格はない。せいぜいペットだ。ペットくらいの距離感で付き合えば、この考え方の相違だって、彼を失望させることはないだろう。

――それに、彼に必要なのは娘ではない。息子だ。

 猟犬ではなく駒鳥が彼の相棒だ。
 きっと祐未が傍にいても、アルフが傍にいてもブルースの心は傷ついたままだろう。父親と息子の関係に入り込めるものはない。

「どっちも頑固だからなぁ」

 困ったな、と呟く祐未の顔が諦めたような笑顔であったのを知る人間は誰もいない。
 暫くしてバットマンは、ジェイソン・トッドという少年を二人目のロビンにすることになる。
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DANGERHAPPY