あたしとワルツを

Acrotomophilia


「はっ、ハァッ、ァッ……ハァッ」

 肩で息をする。肺が痛い。背中も痛い。息を吸い込もうにも肺に穴が開いていた。突き立てられていたナイフが引き抜かれる。ズルリと音がして、血とともに肉が引きずり出された。
 身体が痙攣する。口から血を吐き出すと、自分のものよりひとまわり大きな逞しい手が唇に触れた。

「大丈夫? 苦しいだろう、可哀想に」

 金色の目が愛おしげに細められる。長い指が唇についた血を拭う。赤い舌が、黒ずんだ血を舐めた。白い歯がちらりと覗く。

「君は僕らと同じ、生命力の塊だ。どこまで痛めつければ死ぬのか見てみたい気もするけれど、可哀想だからやめておくよ」

 雪のように白い肌。首筋には微かに青い血管が透けている。
 祐未が口の中に残った血を青白い肌に吹きかけた。滑らかな頬に赤い汚れが付く。

「あたしを殺すんじゃなかったのか? 暗殺者さんよ」

 男が笑った。端正な顔立ちの美丈夫だ。
 暗殺者タロン。ゴッサムの影の支配者集団"コート・オブ・オウルズ"の爪。代々暗殺者として支配者たちに仕えてきたグレイソンの最高傑作――ディック・グレイソン。
 ディックの持ったナイフが祐未の顎をなぞり、ゆっくりと胸元に下りてくる。服に切れ込みが入ったところで祐未が笑った。

「ナイフの場所が違うだろ。このままあたしの頭をかち割れば簡単に死ぬぜ?」

「君をこれ以上、傷つけたくない」

 節くれ立った手が肺の穴にいれられた。グチュリと音がして、真っ白な手が赤く染まっていった。祐未の身体にも激痛が走る。
 金色の目が祐未を見た。まるでフクロウだ。暗闇の中で目だけが光る。
 青白い肌が微かに紅潮したように見えた。

「傷が治っていく……凄いね、僕の指を締め付けてる。ああ、温かい……」

「セクハラで訴えんぞ変態サイコ野郎」

 傷口の中で指が曲がる。痛みが走り、祐未の身体が痙攣した。

「ああ、すまない。気を悪くしたかな。あまりにも温かいから、嬉しくて……」

 男の手は驚くほど冷たかった。まるで死人だ。祐未のように地球外生命体にとりつかれて身体が再生するワケでもないのに、殺しても死なない。血の通っていないような肌も相まって、ゾンビのようだった。

「祐未。君に僕を暖めて欲しいんだ。ずっと一緒にいよう。そうすれば僕は君を傷つけなくて済む」

 傷口に手を入れられたままもう片方の手で抱きしめられる。悪い冗談のようだ。ただただ、身体が痛い。抱きしめてくる腕は冷たくて、体温が奪われているようだった。

「僕を暖めて。お願いだよ、祐未。僕を支えて、僕と一緒にいて」

 きっとこの男は奪うことしか知らないのだ。命も体温も愛も自由も奪うことしかしらない。祐未も似たようなものだったが、なぜだかこの男に対してだけは奪われる側になるらしい。才能の差か。気に入らない。

 こんな迷子のような男にあらゆる才能で劣っている。腹の立つことだ。

「祐未、お願いだよ、祐未。一緒にいて。暖めて。支えて。置いていかないで。祐未、祐未、祐未」

 ところでなぜこの男は祐未にこんなに執着するのだろう。彼女はただ、タロンの飼い主が気に入らない人間に金で雇われた傭兵だった。金で命を張り、喧嘩を売って返り討ちになったはずだ。だから汚い路地裏で肺に穴を開けられている。執着される要素がどこにも見当たらなかった。
 名前を知っているのは調べたのだろうということで納得できる。偽名だけれど。彼女に人間らしい名前はない。Y21という認識番号が本当の名前だ。

「お前なぁ、それ……人の傷に手ぇ突っ込んでいうことじゃねぇだろ」

「それは、君がすごく温かいから……好きなんだ。血も肉もすごく温かい……」

「女口説く時のセリフじゃねぇなぁ」

「愛してる」

「だから人の傷に手ぇ突っ込んでいうことじゃねぇだろって」

「なんて言えば一緒にいてくれる?」

「いや、ごめん考えたことない」

 ディックがくしゃりと顔を歪めた。まるで子供だ。

「なら、なら、君の手足を切り取って再生しないように鉄の蓋をつける」

「泣き落としなのか脅しなのかハッキリしろよ」

 服がナイフに切り裂かれていく。身体の中心に赤い線が走った。筋の間から赤い雫が浮き出て広がり、さらに濃い線になる。

「好きなんだ……」

「なんで」

「温かいから」

「そりゃお前、お前に比べりゃ誰だって体温高いわな」

「違うよ」

 また傷口の中で手が動いた。いい加減ひどく痛むのでやめてもらいたい。

「他の人はすぐ冷たくなる。君は、君はずっと温かい」

「あー」

 つまり殺しても死なない人間が好みらしい。なるほど変態サイコ野郎らしい倒錯的な趣味だ。
 多少特殊な条件にはなったが、それでも祐未の他だっていくらでもいる。

「君がいいんだ。君だからいいんだ。温かいから、強いから、優しいから、ずっと、ずっと、一緒にいてくれるだろ?」

 この男は祐未になにを期待しているのやら。温かいも強いも一応当てはまるが、優しいはどこから来たのやら。

「僕に怯えない。この姿の僕を見ても怯えない。祐未は優しい」

「頭が相当イカれてんな」

 ディックの手がまた傷口の中でうごめいた。まさか傷を別の場所と勘違いしているのか。そこまでイカれているとちょっと手に負えない。いや、勘違いしていなくても手に負えない。

「ずっと一緒にいよう。大切にする」

 傷口から手が引き抜かれた。血と肉が引っ張られてズルリと滑っていく嫌な感覚。激痛が小さく詰めた息と苦悶の声を生み出した。
 痛みで動かない身体が宙に浮く。

 血にまみれた逞しい腕が彼女の身体を抱き上げていた。精悍な顔立ちが甘える子犬のように頬へすり寄ってくる。

「大切にするから。僕らの子供は、きっとすごく強い子になる」

 これからどこにいくのか祐未にはわからない。霞んだ視界で下水道と思しき地下通路を見た。

 彼女にわかるのは、おそらくこれから手足を切られるのだろうなということだけだった。
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