あたしとワルツを

ハートに火をつけて


「ただいま」

 白い手が扉を開ける。ギィイ、と軋んだ音がした。ベッドの上に座っていた女が顔を上げる。

「おう、おかえりー」

 それだけ聞けばなんてことない会話だろう。ただいまと言われたから、おかえりと挨拶した。それだけだ。
 女の手も足も切断され、血の滴る傷口に鉄の蓋を付けられていることをのぞけばなんてことない日常の風景だ。
 シーツも身につけている白いワンピースも血で汚れていたって、それは日常の風景だった。
 出迎えられたほうが顔を綻ばせる。白い肌はロウのようで、金色の目が嬉しそうに細められた。鍛え抜かれた身体に端正な顔立ちの男。黒髪の美丈夫だ。
 彼は軽い足取りでベッドに駆け寄ると、女の頬を撫でた。

「祐未、遅くなってすまない。今、食事を用意するから」

「おう、悪ぃな」

「気にしないで。今日はマカロニチーズだよ」

 男が部屋の外へと出て行く。再びベッドに置き去りにされた女は手足がない以上なにもできず、窓の向こうに広がる空を見上げた。
 欠損した身体は不便だ。ベッドの上から動けないし、暇つぶしも満足にできない。出血が止まらないのでベッドも服もすぐ汚れてしまう。
 脳に寄生しているニナズのお陰で死ぬことはないが、むしろそのせいで手足を生やそうともがく傷口がいつも痛んでいる。
 今日はやけに傷口が痛むので、もしかしたら明日は天気が崩れるのかもしれない。
 祐未がぼんやり空を眺めていると、そのうちまた扉が開いた。
 黒髪の男が笑顔で部屋に入ってくる。

「おまたせ」

 手に持っているのはマカロニチーズの乗った皿だ。彼はベッドのすぐ隣にある椅子へ腰掛けた。

「後でシーツを取り替えて着替えよう。今日の分は明日洗っておくよ」

「着替えるっつったっておんなじ白いワンピースだろ。どうせ汚れるんだから黒とかのほうがよくねぇか」

「僕がその服好きだからそれでいいんだよ」

「ふーん」

 長い指がフォークに刺さったマカロニを持ち上げる。祐未が口を開けると、フォークがそっとマカロニを放り込んだ。

「美味しい?」

「うん」

「よかった」

 微笑んで、またチーズマカロニを祐未の口に運ぶ。どうやら彼は先に食事を済ませたらしい。
 男――ディック・グレイソンはゴッサムの支配者組織"梟の法廷"に所属する暗殺者である。
 本人なりのサイコパスな理論で異常回復能力を持つ祐未に興味を抱き、四肢を切断して監禁していた。
 祐未は1度彼との戦いに負けていたので、逃げるのは諦めている。殺されないだけマシだと思っていた。
 ディックがおかしいとはわかっているものの、別に嫌悪感などはない。
 むしろ(彼が祐未の四肢を切断したとはいえ)面倒を見て貰って悪いなとさえ思っていた。
 出来れば食事の支度と洗濯掃除くらいはやってやりたいのだが、以前それを提案したら逃げる気だと勘違いされ、半狂乱の男に首を絞められたので諦めた方がよさそうだ。

「ディック、明日も仕事か?」

「呼び出されるかもしれないけど、仕事ではないな。明日はずっと一緒にいられるよ」

「じゃあ映画見ようぜ。お前のオススメでいいよ」

「そっかー、なにがいいかなぁ」

 ディックの持つフォークが祐未にマカロニを運んでくる。女の口の端にチーズがついた。

「ついてる」

 呟いて、男の顔が近づいて来る。赤い舌が口の端を舐めた。
 祐未は淡々とマカロニを租借したあと、嬉しそうに笑う男を見つめる。

「お前こういうプレイ好きよな」

「プレイって言うなよ」

 ディックの手が祐未の頬を撫でた。女が目を瞑ると、瞼に冷たい感触がある。男の顔が至近距離にあって、今度は頬に冷たい感触があった。わざとらしいリップ音と共に口づけの位置が喉へと下りてくる。

「待てよ。バカ野郎、まず飯食わせろ」

「えー」

「えーじゃねぇよ腹減ってんだよ。もともとこの身体は燃費が悪ぃんだ。この状態でテメェみてぇな絶倫変態野郎の相手したら本当に死んじまうだろうが」

「それは困るな」

 ディックがチーズマカロニをフォークで刺した。それを自分の口に含み、少し租借した後祐未に口付ける。
 舌がマカロニを押し込むついでに歯列をなぞり上あごを撫でた。
 祐未は顔をずらしてキスから逃れる。まだ追ってくるディックの唇を無視してマカロニを飲み込んだ。
 すると、すぐに新しい食事が口移しで与えられる。

「これ食いづらいんだけど」

「そう?」

「え、今日こういうプレイでいくつもりかよ?」

「だからプレイって言うなよ」

「プレイだろこれ」

 腹は減っているのでマカロニは食べる。1度スイッチの入ってしまったディックは、口移しで祐未にマカロニを与えながらそっと女の首筋を撫でた。
 背後に回された手がワンピースのファスナーを下げる。

「だから飯食った後にしろっつってんだろ」

「ああ、わかってるよ」

「どうだかな」

 身をよじると傷口がジクジク痛んだ。身体が血で汚れたベッドに押し倒される。
 手足さえあればシーツも服も汚れないし、首にすがりつくことだって腰にしがみつくことだってしてやれるのにと思った。
 その手足を切断したのは目の前の男だというのにおかしな話だ。

 こういう感情を"ストックホルム症候群"と言うらしい。知り合いの神父がいつか話していた。

「なにか別のこと考えてるだろ?」

 金色の目がめざとく祐未の変化を察知し、拗ねたような声を出す。祐未は自分から首の角度を変えて男にキスをねだった。

「腹減ってるっつってんのにヤる気満々なお前が悪いんだろうが」

 ディックが笑う。金色の目に祐未が映っていた。

「じゃあ、はやく食べて」

「お前最低ー」

 食事を口移しで渡される。大人しく租借し、口を開くとまた口移しされるの繰り返し。大きな手に身体を弄られながら目を瞑る。
 耳元で楽しげな声がした。

「明日見る映画、"ショーシャンクの空に"にしようよ」

「いいんじゃねぇの」

 また、傷がじくじくと痛んだ。
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