#1:Dirty work 暗闇の中に波の音がする。潮の匂いが漂っていた。遠くに街の光が見える。大きな船が何隻か泊まっており、海を眺めるようにして倉庫がいくつも建ち並ぶ。 ここはゴッサムシティの工業湾。0時過ぎに大規模な取引が行われる予定の場所。コスプレ自警集団が名物のアメリカ中でも、一際忌々しい蝙蝠の巣。 大量の荷物に囲まれて眠っていた少女が、粗暴な男の声に寄って目を覚ました。 「仕事の時間だぞ! とっとと起きろ!」 言われた少女はゆっくりと目を開け立ち上がる。黒い髪に黒い目。象牙のような肌は彼女が東洋人であると知らせていた。顔立ちだけならどこにでもいる大人しそうな少女だが、首から下は鍛え抜かれたマラソン選手のような体つきをしている。 彼女は緩慢な動きで首を横に振った。 「もうそんな時間かよ。もうちょっと寝かせてくれてもよかったのに」 「無駄口叩いてねぇで働け! でねぇとお前の頭が吹っ飛ぶぞ」 男の言葉に少女が苦笑する。 「流石にご遠慮願いたいぜ」 男が少女を一瞥し貨物室を出て行く。彼女は近くの木箱にひっかかっていたナイフホルダー付きのベルトとショルダーホルスターを身につけると、男同様外に出た。 入れ違いに数人が貨物室に入ってきて荷物を運び始める。港にいくつも立ち並ぶ倉庫のひとつが開いていた。おそらくそこに運び込むのだろう。 少女の仕事はこの取引が無事終わるように見張ること。特にこのゴッサムシティを縄張りにする蝙蝠が取引をかぎつけてきた時妨害する役目を担う。 荷物の中身は武器や火薬だ。所謂密売で相手はマフィア。それ以上のことは知らされていない。 ただ取引を見ているのも暇になった彼女は軽く地面を蹴って電柱を駆け上がる。コンクリートの柱を蹴り、品物が入った木箱を蹴り、ボールのように飛び跳ねながら倉庫のてっぺんへとたどり着いた。周囲を見回しても今の所不審な人影はない。 彼女の姿を見て、マフィアのボスらしい男が口笛を吹いた。 「素晴らしい身体能力だ。あれも貴方がたの商品ですかな? おいくらで取引を?」 「ええ。ですが生憎あれひとつしかなくてレンタル専用なのです。貴重な生体兵器ですから、少々お値段が張りますよ」 マフィアは提示された金額を見て目を逸らす。 「……さすがに法外ですな」 「軍やレジスタンスの方にもご愛用頂いておりますので、スケジュール調整が難しく必然このような値段に」 「なるほど」 「品質は保証します。ご機会があれば是非一度弊社の"ウリディンム"をご利用ください」 「金額さえクリアできれば、ぜひ利用したいですね。蝙蝠退治なんかにとても役立ちそうだ」 荷物は粛々と倉庫へ運ばれていく。働き蟻が巣に餌を運んでいるような絵面だ。少女――ウリディンムはしばらく取引の様子をみていたが、やがて退屈になって空を見上げる。 対岸の街も明るいし、港にも街頭がともっているため星はあまり見えなかった。風が生臭い。工業湾独特の妙な臭いだ。 「あーひまー」 数十分してとうとう手持ち無沙汰になった少女が腰のホルダーからナイフを取り出しくるくると回し始める。彼女が今回の取引に動向したのは、蝙蝠退治をしたい連中に生体兵器を売り込むためだ。スーパーヒーローとかいうコスプレ集団をどうにかしたい連中は世界中にごまんといる。 少しだけヒーローたちの映像をみた少女は、どれだけ金を積まれても割に合わない仕事だと思った。 もっとも彼女の場合、その積まれた金は自分の手元にくるわけではないのでどんな仕事にしろ"割に合わない"と言えば、合わないのだが。 それにしたって危険すぎる。 自分たちを売り込みたい連中は金さえ手に入れば少女がどれだけ危険な目に陥っても構わないのだろう。なにせ彼女はウリディンムという名前の生体兵器。ただの商品だ。 ナイフで遊んでいた少女だったが、ふと手を止めて顔を上げる。 「ん?」 耳が妙な音を拾ったのだ。風を切るような音がふたつ、接近してきている。 すぐに動けるよう立ち上がって腰を低く落とす。 音の原因はすぐに見つかった。 どうやっているのか、まるで空中ブランコのようにワイヤーで街の上空を移動する2人組。 話に聞いて居た蝙蝠と小鳥だ。 少女がホルスターから銃を引き抜き、構える。同時に下の連中に知らせるため声を張り上げた。 「おい! イカれたサーカス連中のお出ましだ!!」 マフィアたちが俄にざわめく。少女の飼い主は苛立った様子で声を荒げた。 「始末しろ! お前の仕事だ!!」 「あぁそうだったなぁッ!!」 引き金を引くも蝙蝠の腕が弾丸をはじいた。おそらくケプラーだろう。赤いベストを着た小鳥に至っては銃のような機具から新しいワイヤーを出し器用に方向転換している。 二手に別れられては厄介だ。ウリディンムはもう一発蝙蝠に受けて銃弾を放つと、地上に降り立ったロビンに向かって二度発砲する。小鳥は憎たらしいことに側転で軽々と銃撃を避けた。 「銃避けんじゃねぇよッ!!」 彼女がロビンを狙い撃っている間に、蝙蝠のほうが少女に接近し、容赦なく屋根から蹴り落とす。 「撃たなければ避けないさ」 「ぶっ!」 くぐもった悲鳴をあげて少女が転がり落ちた。地面に激突する寸前一回転して衝撃を殺し、片膝を立てて着地する。 「それじゃあ意味ねぇだろバァーカ!!」 「弾の無駄使いはしなくてすむだろう」 蝙蝠男も優雅に地面へ降り立った。ロビンが近くにいた男をひとり蹴り飛ばし、移動にもつかっていたワイヤーで縛り付けている。蝙蝠が低い声で言った。 「気をつけろ、ロビン。ひとり手強い奴がいる」 「さっき銃を撃ってた奴?」 マスクをつけた少年が少女に目を向けた。彼女がナイフを取り出すと小鳥が大げさなまでに目を見開く。 「子供じゃないか!」 少女は眉を顰め、ナイフの切っ先を少年に向けた。他の連中は既に倉庫か船に避難したようだ。しばらくすれば武器を持って蝙蝠狩りに出てくるだろう。 それまでは彼女がふたりを足止めしていれば良い。 この、犯罪者を何人も精神病院送りにしてきたコンビを。 なんて割に合わない仕事だろう。 [しおりを挟む] 目次 戻る |