完全週休二日制。
仕事となると、契約はきっちりと線引きをして結ばれた。
晴れて一味の末端として、事務作業ができることになった。
奴隷であることに、変わりはないが。





朝。千代里は決まってパーク内の海水プールで1000メートルは泳ぐ。
泳ぐことをやめてはいけないと、記憶の奥で小さな自分に嘆願されている気がして。

蒼く透き通った水は、潜れば潜るほど心を癒してくれる。

太陽光を反射してキラキラと輝く、色とりどり魚の群れを追いかけたり、どこまで潜っていられるか試してみたり、泳ぎのほかにも数時間、水の中にいる。

さみしいと特に、水の世界に閉じ込められていたいと思う。
身体が軽く、どこまでも自由で、宇宙にたゆたうようなこの海に。

ぷは、と海面に顔を出す。
休憩でプールサイドに身体をあげると、水に慣れた身体がズシリと重く感じる。
ぽたりぽたりと、地面に水滴が落ちる。
膝まで水に浸からせたまま、ごろんと仰向けに寝転がる。

空が青い。雲が流れていく。
遥か上空は地上の穏やかさには比べ物にならないくらい、風が強いのだろうか。


「本当、泳ぐのが好きなんだな」


チュッ。リップ音が響いて、視界の上からチュウが顔を出す。


「…好きなわけじゃ、ないよ」
「それにしては毎日、泳ぎに来てる」


さらりと、彼の髪がなびく。
魚人は水に強い髪質なのが羨ましい。

少し伸びた髪が鎖骨に触れるのを、後ろに流して、起き上がる。


「お父さんが教員で、水泳部のコーチだったの」


口が、勝手に喋る。
なんでだろう。昔から当たり前のようで、なのに今まで、思い出すことすらできなかったのに。


「へえ、それじゃ、親父さんの影響なのか?」
「影響……? あんなの」

心の奥で、鍵の外れる音がする。

「父親だなんて思いたくもない」


オドロオドロしい感情が、記憶とともに一気になだれ込んでくる。


「クズ、出来損ない、恥晒し、ゴミ、カス、穀潰し……顔を見れば悪態ばっかりつくような人で」
「…ふうん。お前の様子からは、とてもそんな育てられ方をしたように見えなかったけど、わからないもんだな」
「そう、かな」


笑ってみせる千代里の口角が歪む。
確かに、あまりにも淡々と侵略に協力する態度は、命が惜しいだけではないような気はしていた。
それだけに、リーダーが入れ込んでいるのを含めて、警戒していたわけなのだが……


「とんだ食わせもんだ、お前。心配して損した」


野望がないヤツは危険視する価値もない。
まったく、素性の知れないミステリアスな女ときて、もしやと思うこともあったが、えらく毒気を抜かれてしまった。


「で、結局、お前はどこから来たんだ?」


どこ……? 実家の父親が瓶を振り上げる。高速で過去が千代里を通り過ぎていく。
帰宅路、暗い夜、街灯に群がる羽虫、夏の青臭い緑の匂い。プール、学校、成績表。

遠く、耳鳴りが千代里を襲う。白いフラッシュが目を焼く。

キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!






「覚えてないかな?あなた、ずっと意識がなかったのよ」


えっ……と目の前の看護師を見て、白い壁とカーテンの中で瞬きする。

「え、ここ、…えっ?」

手のひらを何度も結んだり開けたりして、管ののびる右手を蛍光灯にかざす。
髪をいじる。短い。

今までのは、夢?


「やだ、あたし、そんな」
「待って、落ち着いて。いま先生呼んでくるから。その様子だとまだ記憶障害があるみたいね。可哀想に…」


嘘。嘘だ。
布団をめくって、震える手で、病衣をめくる。

太ももに、あの人の印。
夢ではない。とりあえずの安堵。
夢では、なかったのに。


「嘘だ…! いやだいやだいやだいやだいやたぁああああああ!!!!」


足音がする。
死刑宣告に等しい現実の音。

父親の声。
大人の男の声と一緒に、媚びへつらって他人にばかり印象の良い、ヒトの面の皮を被った悪魔がやってくる。


「千代里、目が、覚めたんだな」


カーテンの影が揺れる。
手が伸びる。

フラッシュバックする、酒ビンが振り下ろされる瞬間。こめかみがキレて血だらけになった畳。みぞおちに走る衝撃と、吐瀉物。

助けて。神様。
あのひとのところに、私を返して。