準備室。黙々と彼は漢字の小テストの採点を続けていく。
部屋に入って早10分。ここまで、交わした言葉は、失礼します。と、入れ。だけ。

むすっ。という効果音まで聞こえるような気がする、と綺音は堅い合田の横顔を見る。そのくらいいつも、私はこの人の側にいるのだな、と思い知らされた。

「先生、私、あんな反応されるって思ってなくて」

一部始終を誰から聞いたか、あの教務室爆笑事件は、密かに綺音の中で教務室の悪夢と名付けられた。
あの日以降、完全に彼の態度がよそよそしいというか、鋼、コンクリート、とにかくそんな壁に向かって話し掛けているような気分を味わされているのである。

「ねえ、先生、ほんとに悪かったと思ってるんです。反省してます。許してください」

ソファの、いつもの反対側に座って、綺音は必死に謝り続けている。
週に2回の現代文で、ゆっくり会えるのは、木曜日のお昼休みなのだ。

ここが説得日。覚悟と決意を胸に、準備室へやってきたというのに。

彼とくれば、取り付く島もないといった感じで、誠心誠意こめた謝罪も、黙っていてくれの一言で拒絶されてしまっている。

嫌われちゃった、というよりは、かなり拗ねている、という感じ。

綺音は彼の冷たい態度を物ともせず、ひたすら声をかけ続けている。

15分。綺音はゴリ押し作戦に変更かな、と壁にかかる古びた時計を睨んだ。すると、その時

「まったく、君もよく飽きないな」

心底呆れた低い声が、返ってきた。
白旗は近い。ヤッタネ! と心の中でガッツポーズ。

「だって、私は、先生のことが」

好きだから。言いかけた言葉が、突然、喉につっかえた。

「わかっているよ」

特に不自然には感じられなかったらしい。とりあえず、良かった。

なんでだろう。

"好き"の言葉がつかえる。
今までは、こんなことなかったのに。

まあ、いっか。
気を取り直して綺音は喜びを噛みしめる。彼女の幸せがこぼれるような笑顔を見て、合田は大人気ないことをしたな、と今更反省した。

「せんせー、お詫びに何でも言うこと聞くよ?」

ソファの端から前のめりに近づいて、触れない程度に甘えてみる。

困ったような顔をするのは、やっぱり、女性経験の少なさからなのだろうか。(そもそも、この人、好きになった人なんているのか?) などと、好き勝手に考えながら、綺音は首を傾げた。

はあ、と合田が溜息をつく。
この流れは大体お決まりである。

「何でも、かね」
「なんでもだよ」

では、と合田は短いスカートから伸びる白い足を一瞥した。
最近、ますます短くなった気がする。

「……そうだな、君のスカートだが…」

綺音がすかさず、これ? とスカートの端を掴んでひらりと横に上げてみせる。
不覚にもどきりとして、さっと目線をズラした。

「短すぎないか」

生活指導と称してガミガミ注意できないのは、この学校にきっちりとした校則が存在しないことに由来する。

「え? だめ? 先生のために短くしてたのに」

けろっと、綺音は何もたいしたことではないように、言い放った。途端、頭が真っ白になる。
つまり、こいつは、免疫のない男に色仕掛けをしてやろうと?

ひらひらスカートの裾をいじって遊ぶ綺音を不審をこめて眺めたが、無邪気に遊ぶ彼女からは、計算された色仕掛け、という結論に結びつけられなかった。

「……そういうことを、言うなと」

大丈夫だよ! と綺音は胸を張る。

「あのね」

そして痴女よろしくバッと彼女はスカートをめくり上げた。
大きく狼狽える合田を他所に、綺音は喋り続ける。

「下にスパッツ履いてるから!」

かちん、と合田が固まる。
期待と、失望と、一連の感情に対する落胆と怒り。

「綺音」

一層低くなった声のトーンに、彼女はやば、と首を竦める。

「君は女性だ。今後一切そうしたはしたない行動は慎むように」

威圧感に気圧されて、はい、としょんぼり肩を落として彼女は返事をした。