Glass1 雨の日のシンデレラ



 ここはとある場所にあるBar. let down。
人に酒を提供する飲食店だ。
Barと聞くと大体は酒とそれに合うつまみ程度の食を提供する場だと思われがちだが、ここlet downは違う。
注文されたものの材料さえあればお客様のご要望に応えるスタイルをとっている。
 今は開店準備中である。
誰も居ないこの空間が後数時間後には(まば)らながらもモノで埋まるのだ。
全体的に薄暗く見える薄く茶の入った黒いフローリングと石畳の壁。使い古した木製のカウンター。何度も色を塗り直している為色味が少々不気味に思えるような暗い木色(もくいろ)
カウンターには丸いクッションの付いた投げ出しの椅子。残念ながら回転はしない。ポールで固定されている。
他にテーブル席が六席。四角いテーブルの四人掛け席が四つ、同じく二人掛けの席が窓側の方に二つ。
カウンター裏、つまりお客様から見て正面には色とりどりのボトルが並んでいる。
見てるだけでも楽しいものだ。人によりけりだが。
 そんな中、人影が一つ。
「……よし、片付けも掃除も材料もチェックは済んだ」
正面から見れば短髪の綺麗な顔立ちの青年が一人呟く。腰を上げ伸びをする。首を引くとするっと肩にかかっていた細く束ねた髪が重力に従って背へと流れ落ちた。

 十七時五十分。
開店準備の最終段階。外のブラックボードにメッセージを書き込み、バッドランプを灯す。
"本日 新規さん歓迎"

 十八時。店内に控えめな音量でBGMが流れる。
開店開始は人はそうやって来ない。まず、大々的な宣伝をしたことがない。なのでここへやって来るお客様は大体噂や行きつきなどの偶然からの来店が殆ど。それでもここ長く続いている店であるのは確かだ。
 十九時、客が疎らにやって来る。控えめな声がお客様を迎える。
「やぁ、また来たよ。いつもの頼むね」
少々毛が薄くなりつつある男がカウンターの左端から二番目の席に座る。
それを横目に他のお客様の行動に目を配らせる。手にグラスを持ち置く。アイスピックで素早く氷を砕き、アイストングでシェイカーへと転がし入れる。ジン45ml、ライムジュース15mlをメジャーカップで入れると素早くシェイクする。氷の小刻みよい音が、店内に響く。
「お待たせいたしました」
「有難う」
濁りある薄黄緑色のカクテルが男の前に置かれた。
テーブル席に座るお客様が手を上げ注文をする。ここには注文を受けに行くことが規定ではない為、聞きに行くのも呼ぶのも自由なのだ。
「ピンク・レディーとマルガリータお願いします」
シェイカーへジンとグレナデンシロップ15mlと卵白を入れ、シェイクする。普段のシェイクカクテルと違い強めにシェイクするのがこのカクテルの作り方だ。グレナデンシロップはその都度微調整をして、色味に気をつけなければならない色味の難しいカクテルである。綺麗なピンク色というのが中々辿り着かないものである。ひとつ注意としては使用する卵白は新鮮なものでないといけない事だ。普通の卵白では生臭さが強いので出来るだけ新鮮なものを仕入れる。無い場合はオーダーをキャンセルしてもらっている。生臭さのある酒は気分的にも落ちるものだから。
 マルガリータはテキーラ45mlとレモンジュース15ml、ホワイトキュラソー7mlをシェイカーに入れて作る。ホワイトキュラソーの代わりにオレンジ風味のリキュールを使ったり、レモンジュースの代わりにライムジュースやその両方を使用することがある。色味は作るバーテンダーに寄るが、明るい光のような色を放つ。白桃色といった具合だろうか。
少々深めのカクテルグラスにそれぞれ注ぐ。マルガリータを注ぐグラスには薄くソルトでグラスの淵を飾る。ピンク・レディーの方にはナイフを入れたカットフルーツの月を飾った。
カウンターから出てカクテルを注文の席へと運ぶ。細く結った黒髪に映える紅い瞳。綺麗な顔立ちの青年に女性客は目を奪われることがしばしば。
 また一人、お客様がやって来た。ドアに吊るされたベルが鳴る。
女性だった。微かに濡れているのが分かる。手元に傘はない。急に降って来たのだろう。
カウンターへと戻ると、カウンター裏からタオルを取り出す。
「いらっしゃいませ、よろしければお使いください」
「……」
無言で彼女はタオルを受け取る。
彼女の姿はまるで中世ヨーロッパのお嬢さんのような雰囲気を漂わせていた。服の所為もあるかもしれないが。
所謂彼女の服装は東京の一部でよく見られるというロリータファッションのようなものだ。紺色のドレスに姫袖と呼ばれる手の甲を扇状に隠すような形の袖。黒い毛先のくるくるしたセミロングの髪に控えめなラインに持ち上がったまつ毛に大きな青い瞳。人形のようにも思えた。
「当店は初めてですよね? 席はご自由に好きな場所にお座りください。注文は随時承っております。伺いに上がったり呼んで頂いたりと特に規定はございません」
すると彼女はカウンター席の方へ進み、カウンターの一番右端の席に着いた。
ちらほらと注文が入る。

 カウンターで注文を受けた物を作っていると視線に気づいた。先程から喋らずカウンター席に座っている彼女だ。
コリンズグラスに氷を重ね入れ、ウォッカ45mlにトマトジュース100mlと絞りレモンを5ml。塩と黒コショウを少々入れ混ぜる。視線は気になったが、注文の品を左の四人掛けのテーブル席へと運ぶ。
「ご注文のブラッディー・メアリーになります。辛いのは苦手という事で、タバスコなどは控えさせていただきました。ゆっくりお過ごしください」
再びカウンターに戻る。彼女は小首をかしげた様子でぼぅっとカウンターの後ろ、ボトルが並べられている方を見つめていた。その顔がやはりこの店には合わないようなそんな雰囲気で、もしかしたら未成年なのではと思ってしまう。それを確認しようと口を開きかけた時だった。
「……サンドリヨン、ください」
息がつまるのを感じた。すぐに微笑んで注文を受ける。
シェイカーに氷、レモンジュース、パインジュース、オレンジジュースを60ml入れシェイクする。カラカラと氷が銀色の器に体を打ち付ける小刻みの良い音が響く。ナイフでオレンジをくし形に切り、レモンをスライスしメロンに細かく切り込みを入れ花を作る。それらを背の高いゴブレットに飾りシェイカーから静かに注ぎ入れた。オレンジ色に呑みこまれたサンドリヨンをカウンターの彼女に出す。
「お待たせしました。サンドリヨンになります」
アルコールが一切入っていないノンアルコールカクテル。何もここに来るモノは酒目当てとは限らない。それでも彼女が気掛かりではあった。仮にアルコールを頼まないにしても、未成年であるなら店に来ること自体が少々問題になるのだ。
 彼女はそれをゆっくりと飲みほしていく。飾りのフルーツをつまむ。
それらを全て納めると、有難うと小さく言って、二千円をカウンターに置いて出て行ってしまう。
サンドリヨン自体はそこまで高いものではない。チャージ料を入れたにしてもおつりが来る。それにBar. let downはチャージ料は取っていないのだ。完全にぼったくり状態にあって、彼は気分が複雑だった。
(次来た時に返さないとな……、それまで覚えてられるか。最近記憶力がな)
今日も静かに夜が更けてゆく、時計は零時を指そうとする。
 外では雨がふわりと降っている。雨の中ぼんやりとした視界で月が浮かぶ、右斜めに傾いた時雨月。
暈をさして浮かぶ柔らかな幻想が空を彩る。








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