75.選択


ちゃんと向き合わなきゃならないこと。

うん…ちゃんと、わかってるから。






『見上げれば同じ空。<75>』






「…はぁ〜…」

草の上に腰掛けて、流れていく雲をいくつも数えた。
この世界に来て、初めて風にも色んな表情があることに気がついた。
向こうではビル風だったし、忙しい毎日の中ではそんなことに気が付く間もなかったっけ。
今まではこっちの世界に慣れることに必死で…それ以外は考える余裕すらなかった。
でも、ブルマさんの言葉を聞いてからここ数日は…ずっと色んなことを考えている。



そういえば、会議で使うって言ってた書類出しっぱなし…OK出たかな?…とか。



向こうではどのくらいの月日が流れてるのかな…家賃滞納になってたりして…とか。



あたし、行方不明みたいになってるのかな…捜索願とか出ていたら笑えないな…とか。



考えるのは、元いた世界のことばかり。
帰りたいのか…って言われたら、帰りたい…んだと思う。
だって家族だっているし、友達だっているし、きっとみんな心配してる。
だけど…

「はぁぁっ!!」

辺りを見回すと少し離れたところで悟空が気功波を打つのが見えた。
胸がズキッと痛むのがはっきりとわかる。
この世界で得たモノ全てを投げ打って、元の世界に帰れるほど…あたしはきっと強くない。
ふぅ、と小さく息を吐いたその時だった。

「どした?」
「わっ…!?」

ちょっと前まで離れたところにいたはずの悟空がいきなり目の前に現れて、思わず後ろに倒れ込みそうになる。
こればかりは…いつまでたっても慣れそうにない。
ふぅ、と小さく息を吐くあたしの隣に悟空は「よっ」と言いながら腰を下ろす。

「何だよ〜、そんな驚くことねぇだろ?」
「びっくりするよ…悟空って全然気配がない時あるんだもん」
「そっかぁ?」

頭を掻く彼に「そうだよ」と即答して、あたしはまた空を眺めた。
その時だった。
いきなり横から両肩をガシッと掴まれたかと思ったら…

「え、なにっ…きゃぁ!!」

そのまま悟空によって後ろに倒された。
感じるのは背中に柔らかい草の感触。
何事かと思って顔を横に向けると、あたしの両肩から手を離しながら嬉しそうに笑う悟空の顔。

「空見んならよ、こうしたほうが良く見えっぞ」
「え?」

ほら、と言った悟空が空へと指をさす。
その指先を追うようにあたしも視線を上げた。
目に入ってきたのは一面の青と、ところどころに浮かんでいる白のコントラスト。

「わぁ…」

空と雲以外、何も目に入って来ないこんな景色…初めて見た。
向こうの世界から空を見上げれば絶対に無機質なビルが目に入る。
この世界と向こうの世界は空一つを取っても、こんなにも違う…

「名前」
「なに?」
「おめぇ…何かあったんか?」
「え…?」

視線を空から戻すと、横にいる悟空が真剣な表情をしている。
悟空って、たまにこうやってものすごく鋭い時があるんだよね…
何でもない、と言いかけたけど前に悟空から「名前はそればっかだ」と言われたのを思い出して、口を噤んだ。

「ん〜…ちょっとね、考え事」
「考え事かぁ…おら、苦手だぞ」
「あははっ、大丈夫だよ。ちゃんと考えがまとまったら悟空にも話すから」

「その時は聞いてね」と続けると悟空は「もちろんだ」と言って笑った。
悟空はきっと知らない。
この時、あたしが泣きそうになるのを必死に抑えていたこと。
彼のこの笑顔が見られなくなるかもしれない…そう思っただけで、あたしはこんなにも泣き虫になってしまいそう。

「悟空って、たまにものすごく鋭いところ、ついてくるよね」
「そっかぁ?でもよ、名前のほうから修行に付いて来てぇって言うなんて珍しいじゃねぇか」
「そ、そうかな?」
「あぁ。はじめは遂におめぇも武道をやる気になったんかなって思ったけど、そうじゃねぇみてぇだし、ため息ばっかついてるしよ」

悟空にそう言われてハッとした。
そういえば、自分から修行に一緒に付いて行きたい、と言ったのは初めてかもしれない。
それだけ…彼と一緒にいたい、と心のどこかで思っていたのかもしれない。
そう思うと、何だか自己嫌悪。

「…未練だらけ、じゃない…」

思わず、そう呟いていた。

「ん?何がだ?」
「あっ…」

そう…悟空がものすっごく耳が良いのをすっかり忘れていた。
もはや地獄耳って言って良いレベルの聴力には、今のあたしの独り言は完全に聞かれていて。
隣の悟空が身を乗り出してくる。

「え、と…」
「また、“何でもねぇ”か?」
「えっ…その、う〜ん…」

困り果てるあたし。
今はまだ、悟空の答えを聞くのはあたし自身望んでいないし…何より、怖い。
『ここにいろ』と言われるのも、『帰れ』と言われるのも…

「ちょ、っと…悟空?」

あれこれ考えあぐねている間に、悟空は何故かあたしの身体の上に圧し掛かってきて…あたしの顔に彼の影が落ちる。

「ちゃんと話すまで、離してやんねぇかんな?」
「なっ…!?」

そう言って笑った悟空の顔を見て…直感した。
これは…この顔はっ…

「悟空っ!からかってるでしょ!」
「ははっ、まぁな」
「ちょっ…は〜な〜し〜て〜。からかわれてる場合じゃないんだから!あたしはっ、真剣にっ」
「でもよ、今みたく怒ったり笑ったりしてる方がおめぇらしいぞ?」

そう言いながら笑う悟空。
たまに、悟空にはあたしの心の中が読めるんじゃないかって思うことがある。
今だってそう。

「…わかってる、よ」

その証拠に、胸の中がすっと軽くなっている。
何がしたいのか…どうしたいのか…
素直に言ってもいいのだとしたら…

「あたし…まだ、悟空の側にいたい」

あたしの顔に影を落としている悟空が一瞬キョトンとした顔をする。

「おめぇ、何言ってんだ?そんなこと言わねぇでも、おらが離す訳ねぇじゃねぇか」
「あ、ははっ…ありがとう」
「名前ってよ、たまに変なこと言うよなぁ」
「そうかなぁ?」

静かに笑う悟空の唇があたしの額に降りてくる。
小さなリップノイズを聞きながら、あたしは潤んだ瞳を隠すように瞳を閉じた。






この判断が…後に一つの波乱を巻き起こすことになるなんて、この時のあたしには知る由もなかったけれど…

例え、この先どんなことが起こっても…悟空の傍にいるって選択したこと、あたしは後悔しない。

…絶対に…