《本当のあなたは、どれ?》
彼が手首にこれを付けていないとなると、自分の目を盗んでどこかへ向かった可能性がある。その状況に彼女は焦り始める。
『(どうしよう…!!でもあの人の言葉を信じるなら、浴室に向かったはず…!!)』
風呂を洗ってくる。という彼の言葉を信じ浴室に向かおうとした夷隅だったが…
『ちょっと待って。浴室って、どこ…?』
よくよく考えれば赤井からこの家の案内は何一つされていない。
『赤井さん?赤井さん!?赤井さん!!…っつあぁもう、この家やたら広いし部屋多すぎ!!』
予想以上に広い家である上に、どこに何の部屋があるのか全くわからない。結局一部屋一部屋を扉を開けながら確認しなくてはならなくなってしまい、無駄に労力を消費していく状況に。
『まさか本当に、どこかにいなくなって…』
焦る気持ちに体中に汗がにじむ。万が一、任務初日早々に監視対象が姿を消し例の組織と接触して命を落としてしまったら、大事なFBIの切り札をみすみす手放してしまった代償は遥かに大きくなる。責任問題どころではない。それは絶対に避けなければならない事態だ。
『私が…私がなんとかしなきゃ…!!』
すると近くで水が流れるような音が聞こえているのに夷隅は気づく。
『ここだ、あかいさっ…』
「ん?」
『あっ!?』
扉の向こうにいたのは、半裸状態で今にもズボンを脱ごうとしていた赤井の姿だった。予想打にしていなかった状況に彼女は開いた口が塞がらなくなる。そして、
『ぎゃあああぅふっ…んんっ…!?』
「shhh..」
思わず大きな声をあげようとした彼女の口を右手で塞ぎ、静かにするようにと彼は自分の口元に人差し指を立てた。
「大きな声を出すな。誰に聞かれていたらどうするつもりだ。」
『んー、んんー!!』
分かったらからこの手をどけろ!!と言わんばかりに頬を赤らめた夷隅が赤井の手をペチペチと叩くと、彼の力が緩んだところですかさず彼女は脱衣所の外へと出て赤井に背を向ける。
「…俺に用があって来たのか。」
『じゃなきゃ来ませんよ!!あなた私にはスマートウォッチつけるように促してたくせに、自分は付けてないじゃないですか!!』
「あぁ、そういえば付けるのを忘れていたな…なるほど。それで俺が逃げたと思って慌ててここへ確認しに来たというわけか。」
『なのにあなたに部屋の案内も何一つされてなかったから、一部屋一部屋ノックしながら駆け回るはめになったんですよ!?この広い家中を!!』
「それはかえって悪いことをした。ちなみにここが浴室だ『そんなの見れば分かります!!事後報告が過ぎますよ!!』
「悪かったと思ってる。そう怒らんでくれ。」
その声色に少し元気がなくなったように思えた夷隅は少し間をおいて咳払いをする。
『……それで?』
「ん?」
『それは一体、どういう状況なんですか。』
扉を開けた瞬間の彼の姿が脳裏に焼き付いている夷隅にとっては、触れたくなくとも触れなければならないとその話題を出した。
「あぁ、これか。実はさっき浴槽を洗った後にシャワーで流そうとしたところ、蛇口側にしていたのを忘れていて、蛇口から水を出したままシャワー側に切り替えたら頭から思い切り水をかぶってしまってな。」
『(え、何?この人見かけによらずドジなの…?)』
「…聞いているか。」
『あ、はい…聞こえてます。』
「とりあえず着替えてから湯を張るから、もう少しだけリビングで待っていてくれるか。」
『分かりました…』
とりあえず見つかってよかった…彼女はふらふらとリビングへ行き、ソファに座ると一気に安堵と疲れで睡魔に襲われ、ゆっくりと目を閉じた。
『(筋肉ムキムキで顔もよくて、その上頭の切れる凄腕スナイパーで…なのにあのギャップじゃあ…モテモテだろうなぁ……色男めぇ…)』
そんなことを考えているうちに彼女はそのまま寝息を立て始める。しばらくして赤井が戻ってくると、うたた寝をしている夷隅を見つけてその肩を小さく揺らす。
「起きろ。風呂が沸いたぞ、もう入れる。」
『……』
「オイ、起きてくれ。」
声に気づいたのか、彼女が目を開けると至近距離の赤井とバッチリと目が合う。彼の瞳は今にも吸い込まれそうな、エメラルドのような色をしていた。
『きれいな…瞳…』
「っ、」
そう小さく呟き顔を向かい合わせて数秒間があった後、彼女が我に返ったように目を覚まし赤井と距離を離して立ち上がる。
『……はぁっ!!ご、ごめんなさい!!今のはちょっと、ね、寝ぼけてたので!!あの本当、気にしないでください!!』
「…風呂が沸いた。入ってくるといい。」
『はい!!いただきます!!』
恥ずかしそうに夷隅はそそくさとその場を去っていく。一人残された彼は一息ついてから腕を組み、先程まで彼女が座っていたソファに座りこむ。
―きれいな…瞳…―
「フッ…それを言うなら君の方が俺より十分、無垢で澄んだ瞳をしているじゃないか。」
そう言いながら目を細め、片方の口角を上げた。その頃、隣の阿笠邸では…
「…ねぇ、博士。」
「ん?どうしたんじゃ哀くん。」
「さっき隣の家から、女の人の声が聞こえなかった?」
「えぇ?いやぁワシは聞いとらんが…昴くんがお客さんを連れてきとるんじゃないかのう。」
「(まさかあの人、仮住まいの人の家に女連れ込んでるわけじゃないでしょうね…)」
隣の家で目を光らせている人物がいるとも知らず、こうして夷隅の工藤邸での生活が始まったのだった。