始まりの雨


その日の夜は、ひどく雨が降っていた。


「ヴィンネルちゃん!!今日も良かったよ。」


小さなライブハウスで先程まで観客たちが座っていたパイプ椅子を片付けていた彼女に、オーナーの男が声をかけてくる。


『ジルさん。お疲れ様です。』
「お疲れ。客入りも上場だし、何しろ君自身の評判も上がってきてる。そろそろ本格的に音楽関係者からオファーが来るのも時間の問題だな!!」
『やめてくださいよ。別に私は有名になりたくてハープ弾いてるわけじゃないですから。』
「だけど、有名になったほうが親父さんも喜ぶんじゃないか?」


父親は街外れで小さな楽器店の店主。彼女はその店を手伝いつつ、今日のようにライブハウスやレストランでのハープを演奏し出演料をもらっていた。


『そりゃあ喜んでもらえるのは嬉しいですけど…って、やば!!』
「どうした。」
『もう出ないと最終バスに遅れちゃう!!では、今日はありがとうございました!!失礼します!!』
「外、雨降ってるから気をつけろよ!!」


ジルが何かを叫んでいるように思えたが、焦っていたせいか耳には届かない。しかし案の定外に出るとどしゃ降りに近い雨が彼女を出迎える。


『うわ、うっそ…!?』


一瞬身をひるませたがバスのことを思い出して、着ていたパーカーのフードを頭に被りハープを抱きかかえ勢いをつけて走り出す。この際バスに間に合えば良い、とにかく急がなければ…頭の中にはそれしかない。滝のように留まることを知らない豪雨とフードを被って塞がる耳、狭くなる視野。ただまっすぐ、目的値にたどり着くため彼女は全力で走った……横から大型トラックが迫っていることも知らずに。


『…っ!?』


クラッシュ音と眩しいライトに照らされたときにはもう、遅かった。



◇ ◆ ◇



目の前も、頭の中も、すべて真っ白。これが死ぬということなのか…自分の体は一体どうなってしまったんだろう。これは今、魂だけが抜け落ちて天に向かっている最中なのだろうか。その割には結構意識がはっきりしているような感覚が彼女の中にあった。


「もしもし?…もしもーし。あなた、大丈夫ですか?」


真上から誰かに声をかけられている気がする。もしかして、神様?目を開けてもいいのかな…と、恐る恐るまぶたを開く。


『……』
「お。やっと気がつきましたね。」


目を開けるとそこにいたのは顔に変なお面、頭にはシルクハット、そして両肩には烏の羽のようなものが生えているマントを羽織ったいかにも怪しそうな人物だった。


『うわぁああ!!』
「わぁああ!!」


驚きと恐怖のあまり彼女は思わず飛び起きる。それにつられて彼も声を上げた。


「な、なんですか突然大きな声を出して!!心臓に悪いでしょう!!」
『……え?』


そこでようやく、彼女は気付く。自分の体が傷一つついていないことに。


『え、え、え?なんで?』


手のひらや足元を何度見ても怪我をしている様子はない。だが確かに、ついさっき大型トラックと接触したのは事実…無傷なはずがないのだ。


『あの時確かに事故ったのに…』
「事故?一体何の話です。」
『私、ライブハウスで演奏を終えた帰りで雨の中走って帰ってたらトラックと接触して事故に遭ったはずなんです。』
「……」
『今頃生きてたら重症で間違いなく病院にいるはずだし、死んでたら雲の上なはずなんです!!』
「ふむ…あなたやっぱりどこかで頭打ちました?」
『へ?』


仮面をしていても分かった。相手がキョトンとした顔でこちらを見ていることを。


「今日は朝から雨は一度も降っていませんし、大型トラックなんてうちの学園の、ましてやこんな辺鄙な場所に来ることはまずありません。」
『は!?』
「大体あなたね、ここは我が学園の敷地内ですよ!!いくら厳しい言い訳を並べたところで不審者同然!!今すぐ通報『ちょちょちょちょっと待ってください!!』


彼女はすぐに身を翻そうとした男のマントに食らいつき引っ張って動きを止める。


「んがっ!?なななんですか!!コラ、やめなさい!!」
『さっきから学園学園って、そもそもここどこなんですか!?』
「どこってあなた、それも分からずに侵入したわけですか『いいから教えて!!』
「はぁ…」


彼はため息を一つついた後、ごほん…と咳払いをして再び口を開いた。


「ここはナイトレイブンカレッジ。ツイステッドワンダーランド、賢者の島北部の丘にある魔法士養成学校です。」
『ナイトレ…ツイ…魔法…?』
「やれやれ、我が学園もまだまだ知名度が足りていませんね。」


彼が発した言葉一つ一つが全く理解できず彼女は混乱する。


『(今、"魔法"って言った?)』
「私はこの学園の学園長をしている、ディア・クロウリーと言います。あなた、お名前は?」
『ヴィンネル・クレイモア…です。』
「クレイモアさん。理由がどうあれ、これは立派な不法侵入ですよ。適切な処分を受けてもらうことになりますのでそのつもりで。身分証はもちろん持っていますよね?」
『身分証…あれ、そういえばスマホは…!!』


着ていた服のポケットや辺りを見渡しても財布やスマホ、それに自分の身分を証明するものは何一つ見当たらなかった。あったのは事故に遭う直前まで大事に抱えていたハープだけ。


『…どういうこと?』
「それを聞きたいのは私の方ですよ。なぜあなたがこんなところで倒れていたのか、経緯をちゃんと説明してください。」
『あの…学園長さん。』
「なんです?」
『今から私が住んでいた場所の住所を言うので、知ってるか知らないかで答えてもらえますか。』
「はぁ……また何を言い出すかと思えば。」
『お願いします!!』
「…分かりました。聞くだけ聞きましょう。」


静かになった彼に向かってヴィンネルは自分の暮らしていた住所を伝えた。それを聞いたクロウリーは腕を組んで何やら考え込む。


「んん?おかしいですね。そのような地名は聞いたことがありませんが。」
『聞いたことがない?』
「私が知らないだけかもしれませんが…」
『いやそんなはず…あ、そ、そうだ!!学園長さんスマホ!!スマホ持ってませんか!?』
「もうなんですか次から次へと!!」
『さっきと同じ住所言うので、ネットで調べてみてください!!』


勢いよく立ち上がり詰め寄る彼女にやれやれ…とため息をつきながらも、彼は自身のスマホを取り出して検索エンジンに先程の住所を打っていく。


「検索にもまったく引っかかりませんね。」
『はぁ…!?このスマホぶっ壊れてるんじゃないですか!!』
「コラ、ちょっとやめなさい!!人のスマホを叩かない!!」


ベシベシ叩き始めるヴィンネルを引き剥がしクロウリーはスマホを奪い返した。


『なんで…普通何かしら引っかかるはずなのに…』
「ふむ……考えられる可能性は、一つあります。」
『可能性?なんですかそれって。』


不思議そうに彼女が見つめると、彼は真剣な声色で口を開く。


「クレイモアさん。仮にもし、あなたの話が本当ならば…あなたは恐らく、この世界に存在しない場所からやってきたのかもしれません。」





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