プロローグ

1
ブンちゃん、三十分位遅刻するかもしれません。ごめんね。


***


夕暮れ時の午後五時半。八月と夏真っ盛りの現在はまだまだ明るい。大通りは車の通りが激しく、その上日差しが照っていて見通しが悪い。しかし、そんな中スピードを緩めようとする者はいなかった。気を失ってしまいそうな程の光の中、下げられたバイザーはシート高に対して背丈が合っていないせいか、意味をなさなかった。
稀にしか運転をしない名前である。座席の調節をするはずが無い。というのもまさに今乗車している車は家族のものであったし、今日もたまたま家族に空港まで送るのを"お願い"されて運転しているだけだからだった。
今は家族を送り届けた帰り道中で、いち早く家に到着できるように急いていた。

「家に着くのが六時過ぎ、それから支度をして七時、ブンちゃんのお家に着くのが七時半………ダメだ、間に合わない………」

口に言葉を出しながら時間の計算をする名前は酷く焦っていた。元々今日は恋人との約束があったからだった。特に記念日という訳でもなく、向こうからの誘いにただ乗った、それだけのことだった。約束の七時に間に合いそうもないのは明白でナビの端に映る時刻は名前をさらに焦らせるだけだった。
赤信号で停車した名前はスマホを取り出してメッセージアプリを開いた。恋人とのメッセージを開き、文字を打つ。急いでいる上に、停車中とはいえ車のエンジンがかかっている状態だ。いつもと比べ簡素で短い文章にはなってしまったがそれも致し方ないと送信する。
ちらりと信号機を見上げると、ちょうど信号機は赤から青へと切り替わったところで、慌ててハンドルを握りアクセルを回す。
なぜか、その一瞬の間、車のスピーカーから流れるラジオがなんとなくうるさく聞こえた。
右手でハンドルを片手持ちし、左手でダイヤルを回し音量をゼロにする。
瞬間、鼓膜をつんざく程の大きな音が轟き、そして大きな衝撃が名前の体に走った。今までに聞いた事がないようなブレーキ音、ガリガリとボディを削る音もすれば、エアバッグが出る音もする。
ハンドルを回そうにも、ブレーキをかけようにも、体はシートと車体に挟まれて身動きが取れなくなっていた。四肢はいうことをきかず、名前は強烈な痛みに耐え切れずに意識を手放したのだった。
助手席で鳴る軽快な通知音だけが、どこか異質だった。


『ゆっくりでいいから、気をつけて来いよ』


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