お姫様抱っこと乙女心

 ある日のこと。
 私は今度、仕事でチームアップ予定のヒーローと打ち合わせの為に、先方の事務所へお邪魔していた。会議も終わり、ロビーで挨拶をしていると、備え付けの薄型テレビからニュースが流れてきた。


 "ただいま、吉野川付近でヴィランとの攻防が続いています!怪我人は約三十名と推測されておりー…、"


 「千葉県ですか」
 「そうみたいだね。うわー…、けっこう建物の損壊が酷いな」


 テレビに視線を遣ったヒーローの一人が、テレビに映し出された街の様子を見て、眉を顰める。たしかに街の被害は酷いものだ。コンクリートの地面が陥没し、立ち並ぶビルの窓ガラスも割れてしまっている。暴れ回っているヴィランはビルと同じくらいの背丈がある。サイレンの音がけたたましく鳴っているが、未だ確保には至っていないようで、現場に集まったヒーローたちが苦戦しているのが分かった。と、その時だった。


 「あ、」


 テレビを見ている誰かが声を上げた。

 ビルを破壊しながら逃亡しようとしていたヴィランの巨大な身体を覆うように、出現した真っ白な氷。それはあっという間にヴィランの身体をその場に拘束し、動きを止めた。


 "!!、ヒーローショートです、応援に間に合ったようです!"



 画面に映ったのは、たしかに焦凍くんだった。空中からいったんビルへと移った彼の前髪が揺れて、独特な火傷痕がちらりと覗いた。リポーターの声が一気に明るくなったのが分かる。隣のヒーローが、ほうと感心するようなため息を吐いた。


 「あれ、なまえさんの旦那さんだよね。ショート。」
 「ええ。たしか今日は近くで、この間起きた事件の事故処理にあたっているはずなんです。間に合ったみたいですね、よかった…!」


 テレビを見ているだけの私もほっとして胸を撫でおろす。焦凍くんは、緑谷くんたちと並んで日本のトップヒーローの一翼だ。同じヒーローの仕事をしている者としても、一市民としても、彼が現場に来てくれた時の安心感は大きい。焦凍くんが動きを止めたヴィランに、たたみかけるように他のヒーローや警察の方が拘束を急ぐ。と、


 "あっ、危ない!!!"


 ぐらり。ビルの一部が、崩れ落ちた。
 あ、と思った時には、重たいコンクリートとガラスのブロックが地上へ急激に速度を上げて落下していく。そして、その下には女性がいた。逃げ遅れたのか、脚を引きずっているように見えるその女性の、すぐ頭までブロックが迫った時だった。


 "大丈夫ですか?"


 ガンッ!!!と酷い音を立てて、ブロックは地面へめり込んだ。そこに女性はおらず、少し離れた先に焦凍くんがいて、その腕の中に抱きかかえられていた。
 片膝をつく形で、女性の様子を伺った焦凍くんを見て、はい、と答えた女性の頬が赤くなる。それを見ていたリポーターが、きゃあと色めきだった声を上げた。

 と、隣にいたヒーローが遠慮がちに私を見る。


 「…なまえさんさ、」
 「はい?」
 「いや、…こういうの見たらやっぱり気になるでしょ?」
 「えっ」


 どこか気まずげに言われた言葉に、驚く。気になる?


 (…どうだろう)


 その日の帰路。
 言われた言葉を反芻しながら夕飯の支度をする。言われるまで気にも留めていなかったが、たしかにあれはいわゆる"お姫様抱っこ"と呼ばれるものだ。


 (気にするもなにも、仕事だしなぁ…)


 それにああいうことは、高校に通っていた時も訓練で何度かあった。私だってへまして崖から落ちそうになったときなどでも、クラスの誰かに助けてもらっていたと思う。だが、


 "大丈夫ですか?"


 (……)


 と、その時。


 「ただいま」


 部屋ドアが開き、焦凍くんが帰ってきた。彼の声にハッとして、玄関まで出迎える。


 「おかえり。早かったね。千葉で起きた事件の応援に行ってたんでしょ?怪我はない?」
 「テレビ、見てたのか」


 部屋に入ってきた焦凍くんに訊くと、意外そうな顔をされる。


 「うん。今日行った事務所でね、ちょうどテレビで流れてて」
 「ああ、今度の任務のやつか。チームアップで行うんだったか?」
 「そうそう」


 頷きながら、キッチンへ戻る。「今日はハンバーグなんだよ」などと言いながらも、部屋のテレビをつける焦凍くんの背中をじっと見てしまう。あの時見た光景が甦って、なんと言ったものかと迷っていると、先にこちらの視線に気づいた焦凍くんが不思議そうな顔になった。


 「?どうかしたか」
 「え、……と、あの、……」
 

 まずい。何て言えばいいんだろう。というかこんな下らないこと、わざわざ直接彼に言う必要なんてあるのだろうか。そう思い、言葉に詰まる私を不審に思ったのか、彼はこちらへ寄ってきた。


 「どうしたんだ。仕事でなんかあったのか」
 「え、いや、そうじゃない、けど……」
 「何かあるんだったら話してくれ。俺たち、家族だろ?」


 かぞく。放たれた言葉に、思わず嬉しくなる。そして、恐る恐る口を開いた。


 「…えっと、今日、焦凍くん、千葉の事件に応援に行ったでしょ?」
 「ああ」
 「あの時、逃げ遅れた女性を援ける為に、その……、」
 
 
 そこでまた言葉を濁してしまう。いったん切ってから、


 「おひめさま、だっこを…、」
 「お姫様抱っこ?」


 明瞭な発声で復唱された言葉にひぇっと内心飛び上がる。が、焦凍くんはいまいち合点がいかないような顔で首を傾げた。


 「俺、そんなことしてたか?」
 「し、してたよ。ほら、こう、横抱きにして…、」


 こう、とジェスチャーをしてみるが、だんだん自分のやっていることが馬鹿らしくなってきて、恥ずかしくなってきた。


 「や、でも、他意はないよね…ごめん、急にこんなこと聞いて…。ご飯の支度、してくるね」

 
 焦凍くんは仕事でやってるのに、私はなにを言ってるんだろう。そう思い、話を切り上げてキッチンへ戻ろうとした私の腕が、強く引かれた。


 「要するに、自分にもして欲しいってことか?」
 「えっ、」


 びっくりして振り向こうとしたとき、それよりも先に力強い腕に抱え上げられ、顔を上げたすぐそこに焦凍くんの顔が迫った。焦凍くんの目と視線がばっちり合う。


 (私もして欲しいってことではない、んだけど……)


 顔に熱が上る。今、私の顔はゆでだこみたいに真っ赤に違いない。本で見るようなお姫様抱っこを今自分がされているということに、あたふたとやり場のない腕を動かす。焦凍くんはそれを気にした様子もなく、ぎゅうと私を抱きしめた。「なまえが、」


 「なまえがなにを思ったのかは分からないが、俺はこういうことをしたいと自分から思うのは、お前しかいない。お前が言ってくれれば何でもするし、お前がああいうの見て、」


 ああいうの、と視線をテレビにやった焦凍くんに続いてそちらを見ると、今日私が事務所で見たものと同じニュースがやっていた。そこに映っているのは、女性を抱えている焦凍くんだった。焦凍くんがテレビの中の自分の姿を見て、「あれのこと言ってたんだな」と小さく呟く。


 「ーああいうの見ても、気にすることなんて何もない。だけど、不安なら言ってくれ。ちゃんと説明するから」
 「……うん、ごめんね。ありがとう」


 そう言うと、「うん」と頷いて、焦凍くんは私をゆっくり床に下ろした。


 「…晩御飯、ハンバーグだよ。和風の。前、食べたいって言ってたでしょ?」
 「ああ。なんか手伝うことあるか?」
 「じゃあ、テーブル拭いてもらってもいいかな?」


 布巾を渡すと、焦凍くんが受け取った。渡す一瞬、指先が触れて、彼の体温が感じられた。温かくて、どこか懐かしい温度がした。家族を小さい頃に亡くしたせいか、私はこうやって夕陽が見える時間帯にご飯の用意をしながら、帰ってくる焦凍くんを待っている穏やかな時間がなによりも好きだった。手を繋いだり、キスをしたり、それ以上のことを彼としたときよりもずっと、胸に残るものだった。


 「焦凍くん、」
 「ん?」
 「おかえり」

 
 おかえり。その言葉が言える幸せ、告げられる相手がいる幸せを、ずっと大切にしたいと思った。テーブルを吹いていた焦凍くんは手を止めて不思議そうに目を瞬かせてから、私の気持ちを分かったように目を細めて「ただいま」と言った。柔らかな夕陽の光の中で微笑んだ焦凍くんは、そのままもう一度立ち上がり、そっと優しく私の身体を抱きしめた。寄せた彼の胸の中で、穏やかな鼓動が聴こえてきた。