佐倉とミラーの気持ち

ある日の夜俺はドアのノック音で目を覚ました。ぼんやりとした頭で起き上がり半分寝ぼけたままドアを開けると名前さんが立っていた。夜もいい時間だ。なんでこんな夜更けに名前さんが…。と驚き急に頭が覚めた。

「名前さん…?」

名前を呼んでも名前さんは俯いたまま俺の事を見ねぇ。どうかしたのかと名前さんの頬に手を当てるとやっと名前さんは顔を上げる。何故か名前さんのが潤んでいて大きな目から一滴の涙が頬を伝う。その涙を指で拭ってやると名前さんが俺の掌に頬を擦りつける。

何か怖い夢でも見たのかと、俺は一先ず室内に名前さんを入れると大人しく部屋の中に入ってくれたが、問題はここからだ。なんでこんな時間に俺の部屋に来たのか、なんで一言も話してくんねぇのか。

「何かあったのか?」

そう聞いても名前さんは首を横に振るだけで何も答えてくれねぇ。カーテンの閉め忘れた窓から差し込む淡い月明かりが涙を零す名前さんを照らす。彼女は窓を指差し俺は後ろにある窓を見たが何かがあったわけでもなく、もう1度名前さんに向き合うと彼女はもう部屋のどこにもいなかった。

「名前さん…?」

最初からこの部屋に名前さんは来ていなかったんじゃねぇか、と錯覚してしまうほどに静かな空間が広がっている。俺は夢を見ていたんじゃねえか。そう思ってしまう程の静けさの中俺は不思議と嫌な感じがなくもう1度眠りについた。明日の朝直接本人に聞けばいい。そう思って俺は眠りについた。

「焦凍くんおはよう!」
「あぁ、名前さん夜中に俺の部屋に来たか?」
「へ?行ってないよ」

夢でも見たんじゃない?と笑いながら話す名前さんに思わず首を傾げた。あれは夢だったのだろうか。だが掌に感じたものは確かに名前さんの感触だった。一体何だったのだろうか。と俺は頭の片隅に昨夜の出来事を思い浮かべながら1日を過ごした。そして夜。また昨日と同じような時間帯に不意に目が覚めた。ぼんやりとした寝ぼけ眼で辺りを見ると不思議な事に名前さんが俺の部屋の中に居たが、俺はなんの恐怖も感じず、寧ろまた名前さんが泣きそうになっている事の方が気になって、上半身だけ起こし腕を軽く広げ名前さんの名前を呼ぶが彼女は戸惑い中々俺の腕の中に来てくれねぇ。

「名前さん。来い」

そう言うと漸く名前さんがおずおずと俺の腕の中に収まってくれた。何回か頭を撫でると泣きそうな顔から一転し口の端を緩く上げ笑う。笑顔を見せてくれた名前さんは俺の肩を軽く押しまた窓に向かって指差した。そして俺が窓を見た瞬間に部屋から消えてしまった。

「名前さん、ちょっといいか」
「どうしたの?」

俺は名前さんを呼び出し、ここ数日で起こった何とも不思議な現象の話を聞いてもらうと、名前さんは暫く考え込んだあと、恥ずかしそうに笑って口に人差し指を立てた。内緒だと言わんばかりのポーズに俺は首を傾げると名前さんは俺の手を握って自身の頬に俺の掌をあてる。

「名前を呼んであげて」
「名前さんってか?」
「ううん。本当の名前を」

本当の名前も何も名前さんは名前さんだろう。喋る名前さんと喋らない名前さんとの明確な違いはなんだろうか。そう考えていくうちに夜が更けまた名前さんがやって来た。

「名前さんじゃねぇのか?」

すると名前さんは驚いた表情をして1度だけ首を縦に振った。
そうか、彼女は名前さんそっくりだが名前さんじゃねぇのか。

それからというもの、名前さん(仮)は昼夜問わず表れるようになった。不意に俺を後ろから抱き締めたかと思うといなくなったり、俺の頬にキスをしたりするようになった。他の女だったら不快感があるが名前さんに似ている彼女の事はどうも跳ね返す事が出来ず、それを本物の名前さんに見られては浮気?と揶揄われた。

「焦凍くんの浮気者ー」
「…悪ィ」
「ふふっ、名前わかりそう?」
「いや、さっぱりだ」

名前さん(仮)の本当の名前はなんて言うのだろうか。
恐らく名前さんのカード何だろうが、俺はカードについて緑谷程詳しくはねぇからな。考えなきゃなんねぇ。
名前さんと同じ姿形をしている。“双(ツイン)”か?アレは確か対象物を2つにすることが出来るんだっけか…いや、“鏡(ミラー)”って線もあるな。
そう考えていると、背中から温かいものが触れる。

「名前さん?」

彼女は何も言わずに振り返った俺の肩に手を置いて背伸びをして掠るようなキスをした。花が咲くように笑った名前さんは俺に背中を向けてどこかに行ってしまった。今のはどっちの名前さんだったのだろうか。
そしてその日の夜俺はドアのノック音で目が覚めた。名前さん(仮)が来たんだと思ってドアを開けると案の定そこには名前さん(仮)が立っていた。俺は何も言わず部屋の中に入るように促すと、彼女は大人しく部屋の中に入ってくれ畳の上に座った。

「お前は名前さんじゃないんだな」

何の反応もない彼女に向かって俺は恐らく彼女の本名である単語を口にした。

「お前は“鏡(ミラー)”なのか?」

そう言うや否や名前さん(仮)は眩しい程の光を放ち本来の姿であろう着物を着た女の人の姿になった。両手に鏡を持つ彼女は俺に向かって笑った。その顔は名前さんに似ても似つかない。彼女はまた窓の方に指を差して俺に後ろを見るように促しその通りに窓を見ると、本物の名前さんが背中から真っ白な羽を生やして両腕を広げていた。

「名前さん…」

俺が名前さんを見ていると頬に柔らかい感触がして、振り向くと“鏡(ミラー)”が笑って俺を見て名前さんに向かって片手を伸ばした。すると“鏡(ミラー)”の身体が崩れていき窓ガラスを通り越しカードとなって名前さんの手に収まる。

俺は窓を開けると名前さんが照れたように笑いながら指でカードを挟む。

「汝のあるべき姿に戻れ。なんてね」
「カードに戻ったのか」
「うん。きっと私の気持ちとリンクしちゃったんだろうね」

どんな気持ちがリンクしたんだろうか。と尋ねたら彼女は答えてくれるんだろうか。いや、答えてもらわないと困るな。だって“鏡(ミラー)”が初めて俺の部屋に来た時泣いていたんだからな。

「訳を聞いてもいいんだろ?」
「…笑わない?」
「当たり前だ」
「単純に焦凍くんに会いたかったんだよね。恋しくなっちゃって」
「泣きたくなる程にか?」
「そうなのかも」

そんなのはお互いさまなんだろう。
俺だってあの日名前さんの夢を見ていたなんて言ったら彼女は笑うんだろうか。
俺の好きな花が咲いたような笑顔で。

戻る