言葉足らずのち

忙しい。凄く忙しい。毎日毎日敵が街で暴れてる所為でここ最近休みという休みを過ごせていない。同棲中の恋人である焦凍との時間も取れなくて寂しい。違う事務所で働いているから職場で会うこともなければ個性的に現場が被ることもない。私が寝ている時は焦凍は働いてて、焦凍が寝ている時は私が働いている。そんな生活がずっと続いていれば色々と問題が浮かび上がる。

例えば家の事がされていない。とかだ。これはお互い様だと思うけど、少しくらい協力的な姿勢を見せて欲しい。食べたご飯の食器は流し台に置かれたままだし、洗濯も溜めっ放しで洗濯機を回してくれない。そりゃ焦凍の方が忙しいとは思うよ?ヒーロー活動の他にも人気に後押しされて芸能的活動をしているわけだし。だからって毎回こうだと私だってイライラしてくるし、見るだけで精神的にも疲れる。

「疲れた…」

これだったら1人暮らしの方がまだマシな気がする。
溜息を吐きながら家に入りソファに座って背凭れに身体を預けて天井を見上げて溜息を零す。このまま目を閉じたら眠ってしまう。この2日徹夜で敵退治やら報告書作成やら仕事をしていた所為ですごく眠たい。瞼が重たい、身体が重たい。

「…帰ってきてたのか」
「焦凍…お帰りなさい」
「飯あるか?」

私も家に帰ってきたばかりだからまだ作ってないよ。そう言えばいいのに私が口にした言葉は苛立ちを含めたものだった。

「私が家にいたら当たり前にご飯が出てくるって考えるのやめてよ!私だって今帰って来た所なんだから!」
「今から作るんだろ?」
「なんで作ってくれるって考えなの?!自分で作る努力くらいしてよ!!」
「作れねぇんだから名前が作った方が早ぇだろ」

何それ。何それ。なんでそんな事言われなきゃいけないの?
なんでこの人は自力でやってくれないんだろう。

私だってヒーローとして頑張っているのに…どうして、なんで?

そんな事が頭の中を駆け巡っていく。
疲れきった身体がさらに重たくなるのを感じる。いや、それどころか虚無感すらある。もうだめだ、こんな人とは一緒にいられない。

焦凍とこの先一緒にいれる自信がなくなってきた。あんなに好きだったのに、焦凍の顔を見ただけで癒されていたのに、今の冷えきった心では癒されもしないし暖かくもならない。

別れよう。それがお互いの為だ。
今疲れてるだけだから早まった決断をしてはいけない。

2つの気持ちが相反する中、私は口を開いた。

「ねぇ、別れようか」
「は?」
「もう焦凍のこと好きかどうかわかんなくなっちゃった」
「名前何言ってるんだ?」

あぁ、言ってしまった。もう戻れない。でもこれでいいんだ、これで良かったんだ。本当に?本当に別れてしまっていいの?

自分の気持ちなのに1つに纏まってくれなくて、それがとても気持ち悪くて頭が痛む。混み上がってくる何かが着々と私の中を蝕んでいく。

「ちゃんと俺に説明しろよ!」
「説明も何もないでしょ!ここ最近敵(ヴィラン)が暴れてるからって言っても焦凍帰ってくるの遅いし…挙句週刊誌にだって写真撮られてたじゃない!」
「それは…っ!」

図星をつかれたのか焦凍は目を見開き、気まずそうに顔を顰めて俯き、影を落とした。
もうその行動は答えを言っているみたいじゃない。

「…浮気してたんでしょ?」
「それは違ぇ!」

私が焦凍のことを見てられなくなって俯きながら問うと、焦凍は少し声を荒らげながら私の腕を掴んだ。ヒーローとして活躍する成人男性の握力が私の腕を締め付ける。

「っ!離して!」
「無理だ離したくねぇ!お前を、名前を手放したくねぇんだ!」
「何、それ…」

意味がわからない。
一緒に暮らし始めた頃は焦凍だって台所に立ってくれたし、なんなら料理だってしてくれた。焦凍が作る料理は大体が焦げてて美味しいとは間違っても言えない味だったが、それでも作ってくれたという事が嬉しくて食べていたものだ。不器用なりに掃除も洗濯もしてくれてた。洗剤と間違って漂白剤を入れることも多々あったが。
でもここ最近はめっきりそれをやらなくなった。それどころか家に帰ってくるのも遅くて、挙句に週刊誌に写真を撮られてる。

「俺から離れようとしないでくれ」
「離れていったのはそっちじゃない!」
「それはっ!」
「もう焦凍の気持ちはわかったから、離してよ!」

掴まれている腕を振り払おうとしたが、焦凍が私の肩を押して、後ろにあった壁に押し付け奪うようなキスを私にした。突然の事に驚き身体が硬直してしまった。そして見えてしまったのだ。焦凍の苦しそうな表情を。無理矢理キスしてきたくせに唇が触れた瞬間優しく唇を啄む。

「好きだ。俺はお前だけが好きなんだ」

吐息交じりに吐き出される愛の告白に痛いほどに胸が締め付けられる。
苦しくて涙が出そうになる。胸の苦しさから逃れたくて両手で心臓の部分の服を掴むと、焦凍が私の手をそっと掴み指を絡めてぎゅっと握る。私の体温よりも低い焦凍の掌が力強く私の手を握って離さない。

「本当は今言う予定はなかったんだが…」

そう言うやいなや焦凍は私の手を握りなおして片膝を床に着けて跪いた。そして空いている方の手をポケットの中に突っ込み何かを取り出し、私の左指の薬指に填めた。それはシンプルな作りの指輪で息が詰まった。

「な、…に?」
「最近帰りが遅かったりしていたのはこれを作ってもらっていたんだ。一応指輪なんだが名前の個性補助になるようにサポート会社と一緒に作ったんだ」
「そうじゃ、なくて…これ…」
「ん?あぁ、結婚してくれ」

全く持って私の理想としたプロポーズではない。夜景の見えるレストランとか、薔薇の大きな花束をプレゼントとかじゃない。喧嘩して険悪の雰囲気の中の自分の家の中。疲れて帰ってきて化粧だってそこそこに崩れている。笑えるくらい理想と違う。

「ははっ!もう…ムードも何もあったもんじゃっ」
「けど勘違いされ続けられんのは嫌だった」
「うん、勘違いしてごめんね。ありがとう」

きっと週刊誌に撮られた写真もこの指輪の事を相談した人なんだろう。そう考えたらさっきまで怒っていた気持ちの半分が綺麗になくなっていく。
けど、半分だけだ。

「返事は…?」
「昔みたいに家事も手伝ってくれる?」
「…名前前に俺が料理した時不味そうに食ってただろ」
「それで作らなくなったの?」

私を見上げる焦凍はコクリと頷いて気まずそうに顔を逸らした。
そうか、焦凍がご飯を作らなくなったのはそれが問題だったのか。でもだからと言って甘やかすつもりはない。

「家事、手伝ってくれる?」
「努力する」
「さっきの返事は勿論“はい”だよ」

安心したように笑った焦凍は立ち上がり私を優しく抱きしめた。
どんなに嫌いになってもこの人以外の体温に安心することはないんだろう。それくらいに私は焦凍くんの温もりを知りすぎてしまったから、溺れてしまったから。

1年後私たちは青い空の下皆に祝福されながら誓いを立てた。
これからも2人で幸せを作っていく。

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