待っているから迎えに来て






 アシリパちゃんと杉元さんと白石さんが今日のご飯を狩りに行っている時、私と尾形様は隣に並んで釧路湿原に吹く春の風を受けていた。

 いつだったかにアシリパちゃんが尾形様に好物はなんだと聞いていたが、それに対して無言を貫き、答えなかったのをふと思い出し、隣に座る尾形様にアシリパちゃんと同じ質問をぶつけてみた。

「尾形様の好物ってなんですか?」
「……あんこう鍋」
「私食べた事ないんですが、美味しいんでしょうね」
「どうだったかな」

 確か西の河豚に東の鮟鱇と言われてるくらい庶民的な鍋だと聞いた事があるが、生憎私はどちらも食べたことがない。どんな味かも想像出来ないが、尾形様にとっては母の味なのだろう。

「……冬になると母親が毎日鮟鱇鍋を作ったんだ。俺たちを捨てた父が好きだった鍋で、作ったら食べに来てくれるかもしれないと…毎日毎日、俺が鳥を持って帰って来ても鮟鱇鍋を作り続けた」
「尾形様のお母様は…」
「精神的に壊れていたんだろうな」

 これは私が聞いてもよかった話なのだろうか。尾形様は空を見て私の事を視界に入れない。ただただ単調に淡々とに過去を他人事のように語る。
 自分の事なのに、こんなにも感情を殺して他人に話す事が出来るのはどうしてなんだろうか。

 尾形様の感情は今、何処にあるのだろうか。

「鮟鱇鍋を私が作ったら、食べてくれますか?」
「…毎日は勘弁だぞ」

 垂れた前髪をかきあげ撫でつける。隣に座る私を見て得意気に笑う。そんな未来が来たらいい。その日食べたいものを狩りで捕り、二人で美味しく頂く。

 無い物強請りだとは分かっている。

「幼少期の尾形様はどんな子供だったんですか?」
「愛想のない餓鬼だったぜ」

 それは想像がつきやすい。ここまま背を小さくして、顔も幼くすれば恐らく子供の尾形様の出来上がりだ。

「おぉーい!!」

 白石さんが大きく手を振り、帰ってきた。後ろには丹頂鶴を抱えた杉元さんとアシリパちゃんがいる。五人で鍋を囲み食事をしていると、杉元さんの金塊を狙っている目的の話になった。どうやら戦死してしまった親友のお嫁さんの目の治療の為に、アメリカに連れて行ってあげたいそうで、なんとも優しい杉元さんらしい理由だと思った。

「惚れた女の為ってのは、その未亡人のことか?」

 尾形様の言葉を聞いて、何故か胸が締め付けられた。杉元さんは叶わぬ恋をしていたのかもしれない。と想像すると胸にくるものがある。
 私はそれだけで終わるが、アシリパちゃんはそうではなかったようで、アイヌの模様が入った外套の裾を持ち上げ、羽に見立てバサバサと動かしている。

「アシリパさん?」
「どうしたの?」

 アイヌに伝わる鶴の舞の歌を歌いながら、鶴の動きの真似をしているが、その表情は明るくなく、すぐに察しがついてしまった。

 アシリパちゃんも女の子だもんね。

 ついつい暖かい目で見ていると、遠くの方からアイヌの男の子と、女の人が近寄ってきて、アシリパちゃんを見てやっと見つけた!と声を上げた。
 やっと見つけた!と言った割に歓喜の声よりも焦りの声の方が大きく、どうしたのかと聞くと、“谷垣ニシパが大変な事になった”とアイヌの男の子が切羽詰まったように大きな声で訴えた。

 話によると、この辺りで最近家畜や野生の鹿を斬殺して粗末に扱うらしく、“カムイを殺す人間がいる”と怒った地元アイヌの人が谷垣さんを犯人だと勘違いして殺気立って追いかけている。との事で、杉元さんがその真犯人が網走監獄から脱獄してきた囚人の一人で、刺青を持っているかもしれない。とアタリをつけて、谷垣さんを救うついでに刺青を持っているか確かめようという話になり、谷垣さんを捜索する事になった。
 私は勿論尾形様と行動していたが、普段の尾形様ならやる気のない雰囲気を醸し出すが、今回はどうやら違うようで、生き生きとは迄行かないものの、普段よりは積極的に谷垣さんを探している。

「なんかいつもと違いますね」
「あぁ、状況次第では殺さないといけないからな」
「殺し…私はてっきりご友人なのかと…」

 まさか、殺すなんて単語が出てくるなんて思わなかったから、谷垣さんを探す足が止まってしまったが、尾形様は周りを注意深く探しながら先に行ってしまう。それを慌てて小走りしながら追いかけて横に並び、顔を上げて隣を歩く人の表情を見るが、普段と変わったところはない。
 この人の言動の理由を理解するには、私はこの人知らなすぎる。

 私だってこの人に何も教えてないのに、知りたいと思うのは狡いだろうか。

 尾形様は湖の方に足を進め、私はこれ以上彼の人間関係に踏み込むことが出来なくて無言で斜め後ろを歩く。すると男性の言い争う声が聞こえ、次に銃声が辺りに響く。撃ったのは尾形様で、言い争っていたアイヌの男たちは銃声を聞くとピタリと動きを止めて尾形様を見る。

「久し振りだな。谷垣一等卒」
「尾形上等兵!!」
「谷垣、貴様は小樽にいたはずだ。何をしにここへ来た?鶴見中尉の命令で俺を追ってきたのか?」

 アイヌの服を着た男の人が汗をかきながら、必死に声を上げる。

「俺はとっくに下りた!軍にもあんたにも関わる気はない。アシリパを世話になった婆ちゃんの許に帰す。それが俺の“役目”だ」

 尾形様はそう言いながら、歩兵銃を持ち上げ弾丸を装填する。

「頼めよ。助けてください、尾形上等兵殿と」

 谷垣さんを囲っていた、アイヌの男の人は日本語で銃を捨てろと叫ぶが、尾形様は意に介してないようで歩兵銃を手放すどころか、軽く構え始める始末だ。

「あんたの助ける方法なんて…あんたはこの人達を皆殺しにする選択しか取らないだろう。手を出すな!!ちゃんと話せばわかってくれる」

 皆殺し…?と狼狽えるアイヌの人たちの一人が尾形様に向かって銃を構える。

「俺に銃を向けるな。殺すぞ?」

 殺気立った尾形様が低い声でそう言うと、当たり前だがアイヌの人たちの谷垣さんも警戒を強める。
 一触即発の空気に息を飲み、こんな所で争って欲しくなく尾形様の外套を掴んでみたが意味なんてなかった。結局この刺々しい空気を壊したのはエカシと呼ばれたご老人だった。谷垣さんを近くの集落に連れて行くように言ったらしく、アイヌの男たちは谷垣さんの腕を掴み連行し、子熊用のオリに両手を括り付け、本人の前で殺すか否か、殺さないならどんな罰を受けてもらうかと、堂々と話し合っている。
 谷垣さんが見つかったと知らせを受け、戻って来た杉元さんが発言力のある大柄のアイヌの男の人と谷垣さんの間に入って宥めようとするが、それが気に食わなかった大柄の男の人が杉元さんを殴ってしまう。アシリパちゃんが咄嗟に杉元さんの名前を呼ぶと、彼はアシリパちゃんに向かって手を上げて、柔らかく笑ったと思いきや、思いっきりアイヌの大柄の男の人に向かって拳を振りかざし殴りつけた。流石に立っていられなくなった大柄の男の人は背中から地面に倒れ伸びてしまっている。
 その場にいた人たちが唖然としたが、ネズミ返し付食物庫に座ってる尾形様だけは機嫌よく拍手をしていた。

 杉元さんの説得の御蔭で谷垣さんの刑の執行は三日間だけ待ってもらえるようになった。その間谷垣さんは子熊用のオリの中に入る事になり、尾形様が谷垣さんを守る事になった。

「あの子熊ちゃんを助けて俺に何の得がある?奴は鶴見中尉の命令で俺たちを追って来た可能性が高い。鶴見中尉を信奉し、造反した戦友三人を山で殺す男だ」

 谷垣さんと尾形様の間で何かがあったみたいで、さっき谷垣さんがもう軍の人間じゃないと否定していたのに、尾形様は全くその言葉を信じていないようだった。
 が、杉元さんが三人を殺したのは羆で、自分もそれを見ていたと証言し、アシリパちゃんも谷垣さんがマタギに戻りたがっていたと言うと、何を考えているかわからない表情でアシリパちゃんを見下し、その視線を受けたアシリパちゃんは息を飲んでいる。

「言っとくが…俺の助ける方法は選択肢が少ないぞ」
「…頼んだぞ」

 念を押すようにアシリパちゃんが尾形様に頼み、杉元さんと二人私達に背中を向けて歩き出す。
 さっき尾形様はアシリパちゃんを脅すようにあぁ言っていたけど、この人はちゃんと誰かを傷つけないで守る事が出来る人だ。それを私は知っている。だからそれだけでも伝えようと小走りで二人を追いかけた。

「雪子ちゃん?」
「尾形様は、あぁ言ったけど谷垣さんの事はちゃんと守ってくれるから安心してね」
「…雪子は尾形を信用しているんだな」

 多分私は一緒に行動している人達の中で、誰よりも尾形様に信頼を置いている。それは一番一緒にいる時間が長いからとか理由はあるんだろうけど、一番の理由は私なんかと結んだ約束を律義に守ろうとしてくれている事を知っているからだ。

「うん」
「雪子ちゃんはよく尾形と一緒にいれるね…俺は何かあっても尾形にだけは頼みたくないや」
「ははっ…辛辣だね」

 気を付けて!と待っている。を最後に伝えて二人を送り出し、尾形さんの所に帰ると彼は外套を頭からすっぽり被り、歩兵銃を肩にかけていた。

「随分信頼がないようで」
「知ったこっちゃねぇよ」
「尾形様らしいですね」

 不貞腐れたような表情を私に向けるが、すぐに子熊用のオリに目を向けじっと谷垣さんの様子を見ている。私はというとアイヌの人たちの様子をぼんやりと見る事にした。すると、若い男の人が近づいてきて家の中に入るように言ってくれた。確かに夕方も近づいて来て外套を羽織らないと肌寒くなってきた。

「俺はいい」
「だったら私も…」
「お前は中に入ってろ」
「…はい」

 尾形様が外に残るのなら私も残ると言いたかったが、それを遮り中で寝るように言い尾形様は話は終わったと言わんばかりに胡坐をかき銃を抱え丸くなる。離れる前におやすみなさい。と声をかけるも返事はなく、私は若い男の人に案内されるまま彼の家の中に入り、今回の経緯を少しばかり知ることが出来た。
 家畜や野生の鹿は汚された後に斬殺されているようで、鹿は神様の贈り物だと信じているアイヌの人達からすると考えられない行為だと言う。
 アイヌの人じゃなくとも考えられない行為だが、それを言ったところで谷垣さんの疑いが晴れるわけじゃない。早く真犯人が見つかる事を祈るばかりだと、夜を過ごした。

 アシリパちゃん達が真犯人を探し始めて二日目。早朝から雨が降り、目立った動きがないまま時間だけが過ぎていく。せめて食糧庫に座って動かない尾形様が濡れてしまわないようにと傘を差してやるが、彼は邪魔だと言ってそれを受け取らなかった。

 三日目。真っ暗な空間が広がり、アイヌの集落の人達が寝静まっている中、私はそっと抜け出し尾形様が座っている食糧庫に向かった。何時行っても同じ体勢で座り続けていた尾形様は、食糧庫から籠やらを持ち出して自分がそこに座っているかのように偽装している最中だった。

「谷垣さんを連れてきます」

 食糧庫から目と鼻の先にある子熊用のオリに近寄り、静かに丸太を退けて谷垣さんに小声で話しかける。ここから出るようにと話しても谷垣さんは混乱するばかりで、一向に出てきてくれる気配がなかったが、偽装の準備が整った尾形さんが谷垣さんの名前を呼べば、子熊用のオリに入っている谷垣さんは何かを感じ取ったのか、素直にオリから出てくれた。

「このまま三人でこの集落を抜け出すは簡単でしょうが、そうするともしもの時杉元さんたちの立場まで危うくなってしまいます」
「だったら俺が外に出るのは拙いんじゃ…」
「もう三日経った。それでも見つけられんようなら自分で見つけに行った方が早い」

 私もその意見には納得だ。だからこの時間に起きてきた。尾形様の方に顔を向けるとすぐに目が合う。
 言葉には出さないが、彼はこう言いたいのだ“人質として此処に残れ”と。
 私は黙って頷き、尾形様に向かって両手を差し出す。此処で人質になるのも厭わないが、タダでとは言わない。

「尾形様の制服を残して行ってください」
「…お前こそ俺を信用してないだろ」
「まさか!ちゃんと約束を果たしてくれると、必ず迎えに来てくれると信じていますよ。ただ私が安心したいだけです」

 近くに尾形様がいると安心したいだけだ。
 尾形様は仕方ないと言わんばかりに溜息を吐き、聯隊番号が入っている上着を脱いで投げつけるように私に渡してくれた。谷垣さんは最後まで戸惑っていたが、尾形様が歩き出すのを見ると、谷垣さんも歩みを進めた。二人の姿が見えなくなるまで見送り、投げつけられた軍服の上着を肩に羽織る。

 大丈夫。尾形様なら私を必ず迎えに来てくれる。

 太陽が昇り、私を家に招いてくれた若いアイヌの男の人が朝ごはんを持って食糧庫に座る尾形様に近寄り声をかけるが、なんの反応もない尾形様に疑念を抱き、尾形様を覆うように羽織っていた外套を剥いだ。そこには尾形様の姿はなく、子熊用のオリの近くに座り込む私に詰め寄る。

「あの男はどこに行った!!」
「真犯人を探しに行きました。人手は多い方が良いですし、逃げていないと言う証拠に私を置いて行きました」
「捨てられたかもしれないだろ!」
「いいえ。彼らはちゃんと戻ってきます」

 目を逸らすことなく、私に詰め寄る男性に負けじと見つめ返すと、私じゃ話にならないと判断したのか近くにいた仲間に声をかけ、銃を背負って数人の男たちを連れて集落から出ていく。残った男たちは私の手首を縛り、自由を奪い不審な動きをしたらすぐに撃てるようにと、銃を持った男が私の左右に立っている。
 そんな警戒しなくとも私は動かないのに。と言いたいが彼らは日本語がわからないようで、何も言わないで黙って彼らの帰りを待つことにした。

 日が暮れる前に尾形様たちは帰って来てくれた。真犯人は亡くなってしまった為連れて帰って来ることは叶わなかったが、野生の羆を汚すその瞬間を尾形様達を追いかけて出て行ったアイヌの男の人達が見たとの事で、谷垣さんの疑いも晴れて、私も人質としての役目を終えた。
 手首を縛られている私を見た尾形様は、一瞬温度のない冷たい目で私の左右に立つ男の人達を睨むが、何か言う訳でもなく無言で私の目の前まで歩いて来て、人を揶揄うような目で私を見下ろす。

「良い眺めだな」
「趣味悪いですよ」
「何とでも言えよ。子うさぎちゃん」

 子うさぎと私を揶揄う尾形様は目線を私に合わせるようにしゃがみ、腰に差した銃剣で手首を縛っていた縄を切ってくれた。左右に立っていた男たちは私を見張る必要がなくなった為か、いつの間にかいなくなっていて私と尾形様しかこの場にはいない。
 皮膚の上から縛られていた所為で、手首が赤くなってしまっている。縄を切った尾形様は銃剣を腰に仕舞い、私の手首を軽く握って自身の親指の腹で赤くなってしまった箇所を労わる様に撫でる。優しい手つきに胸が締め付けられる。何度か赤くなっている箇所を往復するように撫でると、立ち上がり行くぞ、と言った。

「軍服返せ」
「似合いませんか?」
「似合わん」

 私の手首を撫でてくれた尾形様の表情は、どことなく寂しそうで私を見ているようで何処か遠い所に目を向けているようにも感じた。
 私を見てくれたらいいのに。いつからかそんな事を願うようになっていた。


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