私の幸せを貴方に捧げよう






 屈斜路湖近くのアイヌの集落で盲目の囚人達の話を詳しく聞き、アシリパちゃんの親戚の家人が、近くに和人の経営する旅館がある。と教えてくれたので、そこに向かい、一晩過ごすことになった。

「尾形様私と同室で良かったのですか?」
「…静かにしろよ」
「騒いだ事そんなにないと思いますけど」

 大部屋を取ったのだが、布団の関係で二人ほど余るとの事で私と尾形様が違う部屋に案内された。与えられた部屋の隅には既に、布団が三つ折りにされた状態で用意されている。
 両肩から下げていた胴乱を畳に下ろして、私もそのまま畳に座り込む。基本的に移動は徒歩で行われるから、足の裏が痛いのなんのだ。脹脛を解そうと親指をツボと言われる所に深く押し込んでいく。痛気持ちい所を探して押し込むと何となく足の疲れが取れるような気がするけれど、ゆっくり温泉に浸かって解した方が効果が出るんだろうが、まだ温泉に浸かれないから今はこれで我慢するしかない。

「……こっちに来い」
「はい?」

 壁に背をつけ、片膝を立てて座っている尾形様が私を呼ぶ。何か用でもあるのかと少し距離を取って正面に座ると、尾形様が手で私を招く。お話が聞こえる程近い距離にいるのに…?と思いつつも拳一つ分更に詰め寄る。

「足出せ」
「…は?」
「早くしろ」

 いやいや何で尾形様に向かって足を出さないといけないんだ。
 不満が思いっきり顔面に出ていたのか、尾形様は面倒くさいといった表情を隠しもせずに私を見ている。
 こんなにも視線だけで人を追い詰める事が出来る人がこの世にいるのだろうか。真っ暗闇のような目が見据えるように私を見る。それだけで尾形様に従わないといけないと思ってしまう様になったのは、何時頃からなのだろうか。
 無言の威圧に負けた私は、おずおずと両足を差し出す。足を伸ばしきるには二人の距離が近すぎるから、膝を立てる形になってしまう。
 一体彼は何がしたいんだと、首を傾げる。尾形様は私の足首を左手で掴み、空いている右手で私の脹脛に手を添え親指を肉に沈める。それはさっきまで私は自分でやっていた行為だ。彼は私の足の疲れを癒そうとしてくれているのか。と意外な行動に驚き一瞬固まってしまったが、男性にこんな事はさせられない、と腕を伸ばして尾形様の手を掴む。

「なんだ。折角の人の行為を邪魔する気か?」
「その好意は嬉しいのですが、男性にこんな事をさせるわけには…!」

 気にするな。と言って尾形様はじっくり丁寧に脹脛の、ひいては足の疲れを解いていく。掴んだ尾形様の手は私の手なんかよりも大きくて硬く、骨ばっていて少しだけ心臓が音を立てた。
 女が足を差し出し、男が黙って足を揉み解す光景は誰がどう見ても異質で、尾形様に触られているだけで心臓が破裂しそうで、頬に熱が集まるのが自分でもわかった。
 傷一つついていない自分の脹脛に、角ばった手が撫でるように滑る。時折親指を沈めては指の腹で撫でるを繰り返している。掠るように撫でては私の反応を見て楽しんでいる。口の端を緩く上げて厭らしく笑う尾形様の手は脹脛から離れない。

 ついに耐えられなくなった私は声を上げた。

「もう充分です!疲れも取れました!ありがとうございます」
「そりゃよかったな。でだ、報酬は勿論あるんだろうな?」
「さっき好意って言ったじゃないですか」

 あれは尾形様の優しさじゃなかったのかと、声を上げると彼は胡散臭い笑顔を浮かべる。

「俺は、俺の行動の邪魔をするのか?って言っただけだぜ」

 そんなの屁理屈だ。と苦情を訴えたが尾形様はそれを受け取る素振りは全く見せず。寧ろ勝手に騙されたんだろ。とまで言って鼻で笑う。結局私は尾形様の按摩をする事になり、うつぶせに寝る彼の上に跨り背中に親指をこれでもかって程沈める。が軍人さんが故に発達した筋肉は予想よりも反発してくる。

「中々上手いな」
「小樽で女将さんにやってましたから」

 もう随分小樽で暮らしていた時の事が遠い昔のように感じる。たかが季節が春から夏に変わっただけなのに。
 もう小樽に帰る事はないのだろう。伯父から逃げ続けるなら小樽にはいれない。それどころか一か所に留まる事すら許されないのだろう。

「終わりましたよ」
「風呂に行ってくる」
「ゆっくり疲れを癒してくださいね」

 温泉に浸かりに行くと言うのに尾形様は肩から歩兵銃を下げている。何時如何なる時も警戒を怠らないのは、初めて会ったあの時から変わらない。だから歩兵銃を持って行く事にも何も言わないまま部屋から出る尾形様を見送った。
 部屋に残った私はというと、やる事もないので時間を潰そうと皆のいるであろう大部屋に向かう。すると按摩さんが大部屋から出ていく所で私に気が付いた按摩さんが瞼を閉じたまま穏やかに笑う。

「お嬢さんも夜の下駄の音に気をつけなさい。盲目の盗賊が近くにいる証拠だ」
「下駄の音ですか…」
「ある晩にあたしも聞いた事があるが、あれは舌の音だ。舌を鳴らして音の反響でものを見る」

 人間五感の何処かが欠けたら、違う器官がそれ補おうと発達すると聞いた事があるが、まさにそれなのだろう。
 アシリパちゃんが按摩さんに舌を鳴らす音はどんな音だ?と聞くと、按摩さんはカンっと甲高い音を舌で鳴らす。それを聞いたアシリパちゃんが弓を持って走り出す。

「アシリパちゃん?!」
「私が後を追います!」
「雪子ちゃん!」

 走るアシリパちゃんの後を追って外に出ると銃声が聞こえた。それと同時にアシリパちゃんを見つけた。彼女は木の皮を丸めそれに火をつけた簡易的な明かりを持っていた。私も懐刀で近くの木の皮を剥いで火を分けてもらい、簡易的な明かりを灯す。
 按摩さんは鳴らした舌の音の反響でものを見ると言っていた。つまりここで声を出そうものなら私達の居場所がバレてしまうと言う事だ。それは成るべく避けたい。アシリパちゃんは金塊に繋がる暗号を解く鍵の一つなんだと皆の話を聞けばわかる。つまり尾形様が必要としている女の子だ。だったら何かあった時私が守らないと。
 そんな気持ちで、真っ暗闇の中頼りない明かり一つでアシリパちゃんの隣を歩いていると、近くの草むらが揺れる音がした。

「杉元?」

 アシリパちゃんが小声で杉元さんの名前を呼ぶが、頼りない明かりに照らされたのは見たことのない男の人だった。咄嗟にアシリパちゃんの腕を引き背中に隠す。そして松明に近づくな!と叫ぶ声が聞こえたと思ったら銃声がなり、目の前の男の頭から血飛沫が舞う。その血飛沫は私の持っていた頼りない明かりを消してしまう。何発もの銃声が辺りに響く。アシリパちゃんの松明も消えてしまったようで、本当に何も見えない。だけど目を凝らせば何とか見える。
 私達の前に表れた男は私達に向かって倒れたって事は、尾形様に後ろから撃たれたって事だ。

 尾形様はこの先にいる。

 アシリパちゃんを連れて尾形様の所まで行けるか不安だが、行くしかない。唯一味方の場所が特定出来そうなのは尾形様だけなのだから。

「アシリパちゃん」
「私は杉元を探す。雪子も一緒に行こう」
「私は尾形様の所に行くよ。杉元さんも私がいたら動きずらいだろうし」

 さっきの乱発が当たっていなければいい。
 
 成るべく都丹庵士とその手下に聞かれないようにお互いの耳元で話す。お互い行き先は決まった。アシリパちゃんは私よりも上手く立ち回れるからきっと大丈夫だろう。

 ゆっくりと、木を盾にしながら進む。さっき何度も聞こえた銃声は恐らく尾形様に向かって撃ったはずだ。運が良ければ木に銃弾がめり込んでいるかも知れない。そんな思いで、木の皮を触りながら移動していると、銃弾を掠った木の幹に触れた。進む方向は間違っていないと言う事だ。更に奥に進もうと歩き出すと腕を引かれ背中から何か暖かいものに包まれる。

「何で来た」

 それは耳に馴染みのある、私が探していた人物の声だった。
 私は向き直り尾形様の身体に手を這わす。触った感じ血は出ていないようで一先ず安心する。

「よかった…」
「質問に答えろ。なんでこんな所にいる」

 流れで。とざっくりとした説明をするが尾形様はその説明では納得してくれるわけがなく、多分睨まれているんだろうが、生憎暗闇で尾形様の表情はぼんやりとしか見えない。それをいいことに彼の肩口に額を擦りつける。

 良かった。本当に良かった。
 尾形様なら大丈夫だろうとは思っていたが、それと同時にもしかしたらを考えて不安が募っていた。

 誰かが雑草を踏む音がすぐ傍で聞こえ、尾形様の腕が私の頭に回り押し付けられる。必死に息を殺して盗賊が去って行くのを待つ。向こうは音で私達の場所を特定出来るが、私達は目に頼って生きている分視界を失われると何の情報も入って来ない。下手に此処で動くよりは、じっと黙って人が過ぎ去って行くのを待つしかない。その間にも銃声が響く。

 早く朝が来れば…!

 雑草を踏む音は次第に遠ざかって行き、尾形様の腕の力が緩まり私は止めていた息を吐き出し深く息を吸う。
 空を見上げるもまだ暫く太陽が顔を出す様子を見せない。普段はこんな事を思わないのに、こんな時ばっかりは早く朝が来てほしいと願うばかりだ。

「朝になれば確実に当てられるんだがな」

 知っている、とも流石です、とも言えなかった。夜が明け始めたら尾形様は確実に盗賊を撃ち殺す事が出来る。つまり銃声を鳴らすと言う事だ。ないとは思うが音で何処からか撃たれるかもしれない。そんな不安がまた頭の中を駆け巡って行く。

「私の寿命をあげるから、どうか死なないでくださいね」
「…お前の寿命は俺が決めてやるぜ」
「そう言う約束でしたね」

 真っ暗闇に僅かな光が差し込み始めた。すると尾形様は素早い動きで歩兵銃を構えて銃声を辺りに響かせる。遊底を操作し装填してまた歩兵銃を構えて撃つ。私からは当たったかどうかわからないが、尾形様にはわかるようで銃を構えながら、もうちょっと明るければ。と言っている。

「ついて来い」
「はい」

 慎重に盗賊を追いかける。彼らは明るくなってきているこの状況を不利だと判断したのか、撃ち返すことなく真っ直ぐ盗賊の拠点に戻って行く。
 待合旅館と書かれた建物の中に入って行く姿は、木の陰から確認できた。アシリパちゃんは杉元さんと無事に合流出来たみたいで、二人一緒に私達と合流出来た。
 尾形様と杉元さんはこのまま旅館の中に突入すると言って、私とアシリパちゃんは外で待機する事になった。慎重に尾形様たちは中に侵入して、奥に進んで行ったが思わぬ事態が発生した。二人が侵入した扉が自動で閉まり開かなくなってしまったのだ。アシリパちゃんは壁を伝い、何処か開いている所はないかと探し、私もその後に続いた。中から銃声も聞こえて来て、心臓が嫌な音を立てる。

「此処から入れるぞ!雪子は外で待っていてくれ」
「…気を付けて」

 私が中に入った所で足手纏いになるだけだ。だから外で皆の無事を祈るしかない。
 アシリパちゃんが中に入って行き、数秒も立たないうちに扉が自動で閉まり開かなくなってしまった。

 本当に私に出来る事はないだろうか。考えろ。今私に出来る事を考えろ。
 見たところこの旅館に窓が一つもついていない。正確に言うと、窓はあるが外からも中からも木の板で塞がれていて窓が役目を果たしていない。光を此処まで遮るなんて…。尾形様たちが不利すぎる。
 だったら外から穴をあけて光を少しでも差し込めばいい。そう思って私は懐刀で旅館の壁を傷つける。何度も何度も振り翳して木の板を傷つける。何度も何度も繰り返しやっと刀が壁に刺さった。刺さった刀を引き抜けば光が差し込むはずだ。

「尾形の子猫は随分主人思いだな」
「土方さん…なんで此処に」
「なに、犬の此処掘れに付き合っただけだ」

 その後、土方さんたちが中に入って行き、暫くすると代わりに歩兵銃を肩から下げた尾形様と血だらけの杉元さんが出てきた。
 杉元さんに対して尾形様は傷一つついていなくて、やっぱりこの人は私の寿命を奪っているに違いない。

 それでもいいから生きていて欲しい。この気持ちをなんて呼ぶのだろうか。
 答えは既に見つかっている。


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