再会よりも初対面



 並盛高校に入って早二年。それなりに楽しいし、それなりにこの学校のシステムに慣れてきた頃だ。私の住む並盛町には、絶対の支配者がいる。関わらければいい話なのだが、噂では中学の時からこの町一帯を支配していて、裏社会とも繋がりがあるとかないとか……。

 そんなことはどうでもいい。今話すべきはそれじゃない。

 我が家に唐突のお知らせがやってきた。否、正確に言うと我が家ではなく私に、だ。
 母の口から紡がれる言葉は私の頭を駆け巡り、中途半端に吸収され、中途半端に投げ捨てられる。

 ……脳が処理したくないと言っている。

 正直信じられないし、なんて時代遅れな話をしているんだと、母に詰め寄りたいのだが、そうしたところで、この状況が一転するわけがない。母は強しなのだ。

「えっと……え?」
「だーかーら!灯の婚約者に会いに行く事になったからね!」

 私に……婚約者……?
 え?何かの間違いなのでは?と母を見つめるも、母は私の戸惑いに気が付いていない。その証拠に、久々に会うわねー。なんて呑気に笑っている。

「初めて知ったんだけど……」
「やーね!幼稚園に入る前に何度か会ってるわよ」

 この世の中に幼少の頃の記憶を保持したまま、高校生になっている人間は一体どの位いるのだろうか。
 少なくとも私は幼少の頃の記憶なんて覚えていない。

「私に彼氏とかいるって考えなかったの?」
「あんたに男の気配なんてないでしょ」
「く……っ」

 確かに事実だ。事実故に言い返す事も出来なければ、耳も胸も痛い。そんな娘の心境なんていざ知らず、母はとんとんと話を進めていく。

「今度の水曜日学校お休みでしょ?遊びに行きましょう」
「……分かったけど……」

 この時代に婚約者なんて話、馬鹿げてる。時代錯誤にも程がある。見ず知らずの人間と会うと言われても、正直乗り気じゃない。

 抵抗らしい抵抗も出来ないまま、当日を迎えてしまい、私は並盛高校の制服に身を包み、大きな日本家屋の門の前に立っている。

 …お家と表現するよりも、屋敷と呼んだ方がしっくりくる広さに驚きを隠せないが、それよりも驚いたのが、表札に書いてある文字だ。

 雲雀、って……。

 まさかあの雲雀じゃないよね?と不安を抱きながら、門を潜り屋敷の中に足を踏み入れた。緑が左右に広がり、砂利の一本道を母と肩を並べて歩く。
 木造建築の屋敷の玄関前に立ち、母がチャイムを鳴らすと、呼び出し音が静かな空間に響く。その音は私の緊張と不安を加速させる。

 この雲雀という苗字が私の頭の中に浮かぶ、あの雲雀じゃなきゃいい。
 並盛最強の男と謳われる、並盛高校の風紀委員長じゃなきゃいい。どうか、あの男ではありませんように。と俯き祈りつつ、家人が出てくる事を待っていると、ガラガラと引き戸が音を立てて開き、女の人の声が耳に入った。

「はーい……ってお久しぶりねぇ!」
「久し振りね!いつ以来かしら」
「もうかれこれ……って立ち話も何だし、中に入って頂戴な」

 着物を着た黒い髪の女の人が私たちを家に招き入れてくれた。どうやら母の友人らしく、楽しげに話し合っている。出迎えてくれた女性の容姿は端麗で、目鼻立ちがはっきりしているが、濃い琥珀色のたれ目がちの大きな目が印象的だ。

 なんでこんな人がお母さんの知り合いなんだろう……?というか、どこで知り合ったのだろうか。

「灯ちゃんもすっかり大きくなって!」
「……ご無沙汰しております」
「最後に会った時はまだ小さかったのに……!」

 私の肩に手を置いて、懐かしそうに顔を綻ばせながら笑う、目の前の女性に何処か見覚えがあるような気すらしてきた。

「灯ちゃんも並盛高校なの?うちの子と一緒なのね」
「……え?」
「恭弥って言うんだけど、知ってるかしら?」

 お母様。雲雀恭弥と聞いて知らないと答える人間は、多分、並盛にはいないと思います。少なくとも私の通う並盛高校では、権力も地位も欲しいままにし、学生ながらにして、学校を支配している。
 雲雀さんの前で群れようものなら、持ち前の武器であるトンファーに滅多打ちにされ、気が付けば病院にいたなんて話はよく耳にする。

「まさか……!」
「あれ?言ってなかったっけ?恭弥くんがそうなのよ」

 聞いてないよ……。
 そんな重大な事実をなんで言ってくれなかったの?

 そう問い詰めたくとも、母も女性も昔話に花を咲かしている。案内された部屋も外観に沿うように、畳張りの部屋で、漆塗りが施されてる座卓を挟み向かい合い座っている。私は母の隣でフリーズした頭を何とか動かして、現状の把握に努めている。

「ごめんなさいね。恭弥さんったら家にいてって言ったのに、学校に行ったみたいで……」
「風紀委員長だったかしら?治安維持に貢献してるなんて素敵ね」
「子供の遊び程度ですよ」

 お母様貴方の息子さんは、“子供の遊び程度”を通り越した方法で、治安維持を努めてるんですよ。やってる事はヤンキーと変わらないんですよ。
 どれだけそう言えたら良かったことか。私は乾いた笑いを浮かべて、この話が流れるのを只管に願った。

 どのくらいの時間、貼り付けたような笑顔を浮かべていたのだろうか。少なくとも、壁にかけられた時計の長針と短針は一度重なっている。
 出されたお茶とお茶請けはとても美味しくて、最初こそそれを楽しんでいたが、母達の昔話を聞くのも飽きてきた。
 雲雀さんのお母様と会ったような気になっていたのは、お母様の端麗な容姿が雲雀さんの容姿と似ているからだ。

 ……なんで、こんなおっとりしてる人から、あんな鋭い目の子が産まれるかは分からないが、恐らくそれはお父様に似たのだろう。

「あら、灯ちゃんがこんな話聞いても面白くないわね……そうだわ!中庭に行ってはどうかしら」
「ここの中庭はとても綺麗なのよ!行ってきたら?」
「……お言葉に甘えて行ってきます」

 正座しっぱなしで痺れかけている足に力を入れて立ち上がり、お母様に教えられた通りに中庭に抜ける縁側を歩いて行く。鹿威しの音が近くなり、色とりどりの花が見える。
 手入れが行き届いている中庭が見える縁側に腰をかけ、四角い柱に肩を寄せてゆっくりと目を閉じた。

 正直色んな情報が頭の中を駆け巡り、キャパがオーバーしそうなのと、お相手が雲雀恭弥という事実を受け入れたくない。という感情で落ち着かない。

 鹿威しが一定のリズムでカコンと音を鳴らす。すると不思議なもので、酷くゆっくりとだが、心が落ち着いてくるのだ。
 兎に角、この話はなかったことにさせようと、握りこぶしを作り気合を入れると、突然首筋に冷たい何かが触れた。
 音もなく、ただ突然首筋にあてがわれたナニカに驚き、咄嗟に後ろを振り返ると、私を冷たい目で見下ろす、かの有名な並盛高校の風紀委員長の姿があった。

「ねぇ……君だれ?此処で何してるの?」
「……雲雀、さん」
「僕の事知ってるんだ。だったら話は早いよね」

 咬み殺す。それが彼の口癖だ。そして彼の獲物であるトンファーは私の首筋にあてがわれている。まさに、絶体絶命。私は病院に何日泊まることになるのかと、混乱した頭は思考を巡らすことを諦めた。

「本物の雲雀さん……?」
「僕は僕以外の何者でもないよ」
「初めまして…北村灯です」
「自己紹介なんてどうでもいいな」

 トンファーでボコボコにされる前に、取り敢えずこの家にいる経緯だけでも話しておこうと、名前を名乗るも、どうでもいいと一蹴され、首筋にあるトンファーに力を込められる。私を見下ろす雲雀さんの威圧感なのか、どうしようもなく息苦しく感じる。

「間違っても、不法侵入とかでは、ありませんから」

 たどたどしくも伝えた言葉はちゃんと雲雀さんに届いたのだろうか。首の付け根に強い衝撃と痛みを感じたあとの記憶がない。