佐倉と焦凍と水族館

 じりじりとアスファルトを照らす太陽が、容赦なく肌の色を焦がしていく。天を見上げれば燦々と照り付ける太陽が私たちを見下ろしている。眩しすぎるそれに私は思わず目を細くさせ顔を顰めた。
 たまの休み。焦凍くんのお母さんの所にお見舞いに行った後、私たちは水族館に向かうことになったのだが、道中暑くて首筋に汗が流れ、ハンカチでそれを拭うと鮮やかな水色のハンカチが湿り青に近い色に変った。隣を歩く焦凍くんは涼しそうな顔をしており、何でこんなにも違うんだ。と疑問を持たずにはいられない。男性で筋肉量が違うのだから私よりも新陳代謝はいい筈なのに……。と首を傾げつつ彼の右手に触れるとひんやりと冷たく、謎が解けた瞬間少し面白くて息を吹き出して笑ってしまった。
 そうだよね。焦凍くんの個性なら右側は体温僅かに低い筈だよね。それに無意識に個性を発動させているのか、普段触れている時よりも幾分か低く感じる。

「名前さん?」
「焦凍くんの手冷たくて気持ち良いね」
「そうか?」
「うん。無意識なのかな……いつもより低く感じる」

 そう言うと焦凍くんは軽く触れていた手を指を絡めて繋ぎ直しつつ、何かを考えているのか僅かに視線を上げて空を見つめた。そしてその視線は私の方に向いたが、視線が合わず何処を向いているのかと、焦凍くんの視線を辿ると汗が垂れた首筋で、慌てて汗を隠すように繋いでない方の手の掌を首に当てた。

「恥ずかしいから見ないで」
「名前さんがいつもより体温高いんじゃないか?」
「今日は暑いってニースでも言ってたから」
「そうだったか?」

 無表情に近い何も考えてなさそうな目で見られると、何故か焦ってしまう。何も考えていないようで何か見透かしていそうで目を逸らしたくて堪らなくなる。熱っぽい視線を向けられているわけじゃないのに……。

 窓口でチケットを購入し、館内に入ると薄暗く水槽から零れるライトと足元の誘導光くらいしか光源がなく、日曜日と言うこともあって気を抜いてしまえば焦凍くんと逸れてしまうくらい混雑していた。大きな水族館なだけに廊下は広く人混みで前に進めない。といったことはなかったが、カクレクマノミやイルカにアザラシ、色鮮やかな魚の水槽の前は大変混雑していて、とてもじゃないがその中に割って入ろうとは思えなかった。

「焦凍くん!このお魚にょきって砂からお顔出して可愛いね」
「あぁ」

 人気がないと言ったら言葉が悪いのだが、比較的空いている水槽から順に見ていると館内放送が流れた。あと20分後にイルカのショーをやるようで、私たちは顔を見合わせ頷くとイルカショーが行われる会場に足を向けた。勿論逸れないようにしっかり指を絡めて繋いでいる。斜め前を歩く焦凍くんの背中に視線を奪われつつも、会場に向けて歩いていくと既に座席数が少なくて、そんなに人気なのか。と驚きつつも丁度2人分腰を掛けられそうなところがあり、私たちはそこに腰を落ち着かせた。

「俺イルカのショー見るの初めてだ」
「え?!」
「水族館自体初めてだからな」

 真っ直ぐにこれからイルカたちが泳ぐプールを見つめながら話す焦凍くんの話に強い衝撃を覚えた。水族館なんて子供の頃親に連れられて行ったり、彼女や友達と遊びに来たり等様々な機会で来れるというのに。それでも焦凍くんの生い立ちなら、1度も来たことがない。と言う発言に納得出来る…それどころか納得しか出来ない。だってあの炎司さんに育てられ、今に至るまで復讐することを目的に生きてきたのならこんな浮ついたところなんて目にも入らなかっただろう。
 寂しい幼少期を過ごして来たのかと思うと胸が締め付けられる。でも今は悲しんでいても仕方がない。だって私たちは水族館にデートをしに来たのだから、心から楽しんで欲しい。たま来たいって思えるくらいに。

「だったら今日は楽しまないとね!」
「俺は名前さんの隣なら何時でも楽しいぞ」
「……あ、ありがとう」

 だけどそういう意味で言ったわけじゃないと否定する私の声よりも、ショーを進行するお姉さんの声や、周りの観客の声が会場を包み、釣られるように私の視線は会場の真ん中に位置するプールに向けられた。ヒレを振りながら円状のプールを泳いだり、鼻先にお姉さんを乗せて泳いだり、天井からぶら下がるボールに向かってジャンプしたりと、色んな芸に私たちは感動の声を漏らした。

 10分間のショーはあっと言う間に終わり、気が付けが自然を拍手を送っていて、会場中歓声と拍手に包まれていた。その後すぐに席を人が多く、流れが落ち着いてから会場を出ようと言う焦凍くんの提案で私たちはショーの余韻そのまま席に腰かけさっきまで見ていたショーに感動したね。と話していた。

「迫力あったな」
「うん!前方席なんて水飛沫凄いかかってたもんね」
「名前さんは濡れてねェか?」
「大丈夫だよ!焦凍くんは?」
「俺も大丈夫だ」

 ショーの余韻を僅かに残したまま、人が少なくなった会場を後にしてまだ見てないエリアを中心的に見て回った。その中にはこの水族館の目玉である大きな水槽があり、悠々と泳ぐ魚をただ眺めていた。隣に立つ焦凍くんも何処か羨ましそうに大きな水槽の中で泳ぐ魚を眺めている。その横顔を見つめていると、私の視線に気が付いた焦凍くんが不思議そうな表情で小首を傾げた。

「どうかしたか?」
「ううん。なんでもない」
「……何か自由に泳いでる姿が名前さんに似てんな。あの魚とか特に」

 焦凍くんが指差した小さい魚は確かに他の魚に比べて自由気ままに泳いでいるように感じる。でもなんでぞれが私に似ているのだろうか。と首を傾げずにはいられない。だって私焦凍くんの前で泳いだことはないのだから。

「名前さんが空を飛ぶ時、俺にはこんな風に見える」
「そうかな」
「あぁ。誰よりも何よりも自由で……目が奪われる」

 そんな風に思っているなんて知らなくて、初めて知った焦凍くんからの視線に思わず心が温かくなった。ありがとう。と言うべきなのか、照れる。と言うべきなのかはわからないが、この気持ちを少しで伝えたくて指を絡めて繋ぐ手に力を入れると、焦凍くんは嬉しそうに笑った。
 今日水族館に来てよかった。と焦凍くんに思わせたかったのに、何故か私の方が来てよかったと思ってしまっている。

 水槽から零れる光が優しく笑う焦凍くんの顔を、柔らかく照らしていた。

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