年上の貴女を攻略する方法

 始まりは本当に些細なことだった。俺がいつも利用している電車内で痴漢被害に遭っていたところ、たまたま助けたのが苗字 名前さんとの出会いだった。その時は痴漢に遭って可哀想な人。と言う印象しかなかったが、何かと縁があり会って話す度に、年上らしく余裕そうに笑う所や社会人の癖に少し抜けている所、甘い菓子を食べる時に満面の笑みを見せる所……彼女の色んな面を知る度に惹かれていく俺がいた。

 苗字さんは既に社会人で、俺はまだ学生だ。埋まらない年の差にいつもやきもきさせられる。そんな中職場体験で俺はクソ親父……もとい、エンデヴァーの事務所で勉強をすることになったのだが、普段家にいる時間もこの期間だけはヒーローと共にパトロールとして街中を巡回することになる。そうなれば普段見えない苗字さんの姿を見かける機会が増えた。例えば残業帰りの苗字さん。俺が先に向こうに気が付き話しかけてもいいものか悩んでいると、苗字さんが気が付いてくれ俺の所に小走りで向かって来てくれた。

「焦凍くん!こんな時間に何してるの……ってエンデヴァー?!」
「焦凍。誰だこの女は」
「……先に行っててくれ」

 親父に先にパトロールしているように言って俺は苗字さんの手を腕を掴み歩いて来た道を引き返した。当然ながら親父は俺の名前を叫んでいたが、その声を無視して走ると苗字さんは戸惑ったような声を出しつつ、エンデヴァーに向かって、息子さんお借りします!と大きな声を上げていた。
 俺は苗字さんの家が何処にあるのかは知らねぇが、電車で通勤していることは知っている為、最寄りの駅に向かって小走りし、エンデヴァーが追いかけて来ないことを確認すると小走りしていた足を緩め、ゆっくりと立ち止まった。

「エンデヴァーよかったの?」
「これも一種のパトロールだろ」
「はいはい。言い訳ね」

 言い訳と言われたら流石にそれまでだ。苗字さんは知る由もないだろうが、職場体験中の学生が指導者の元を離れて行動するのは規則違反だから、正確には違反行為、現在俺は非行中ってところだろう。
 親父の職場だったから出来た行為だが、親父の職場じゃなかったから苗字さんに会えなかっただろう。

「で、何で君がここにいるの?」
「色々あって説明してると長くなる」

 駅まで送らせてくれ。と言うと苗字さんは素直に駅に向かって歩いてくれた。俺が何でここにいるのか、親元離れていいのか、色々聞きてぇことはあっただろうに、何も聞かずにただ何気ない話をしてくれた。
 今日職場で何があったとか、何を食べたとか。本当に何気ないこと。
 
 柔らかい声のトーンで語られるそれらは、日頃の苗字さんを知れる情報と共に、俺の腹の奥のものまで包み込んでくれるような気がする。

「送ってくれてありがとう」
「……悪ィ。我儘に付き合わせちまった」
「それがわかったならいいよ」

 人通りの多い駅舎の前。次々と色んな人が駅舎に入っていくのを後目に、俺は苗字さんを見る。本当は手を繋ぎてェ。この両腕に苗字さんを収めてェ。けど、俺たちはそんな関係じゃねェのを、俺が1番よく知っている。

「送ってくれてありがとう。ヒーロー活動頑張ってね」

 苗字さんは手を振りながら俺に背を向け、駅舎の中に入って行く。色んな人に紛れていく苗字さんの後ろ姿に、どうしようもなく焦燥を感じた。
 このまま手を伸ばさなければ何も変わらないまま、距離だけが開いていくんじゃねェか、そんな考えが頭を過ぎり、俺は咄嗟に苗字さんの腕を掴んだ。

「っ!」
「好きだ」

 苗字さんが好きだ。

 引き止めた勢いそのまま口から零れた本心。苗字さんを困らせるだけの言葉の羅列に息が詰まる。それでも1度出た音は戻っては来ない。

「……焦凍くん。私と君何歳差か知ってる?」
「10歳だろ」
「10も違うんだよ。例えば思い合っていたとしても、それは犯罪になってしまうの……私を犯罪者にさせないでよ、ヒーロー」

 苗字さんは振り返ってくれなかった。掴んでいる腕は震え、少し低い声のトーンで淡々と現状を語っていく。確かにそうなんだろう。理解は出来る、が、納得は出来ねェ。他の誰が何を言おうと俺は苗字 名前が好きだ。それだけじゃダメなのか?

「焦凍く……」
「名前?お前まだこんな所にいたのか?」
「あ……っ」

 苗字さんの名前を呼んだ男は、この状況を見て眉を顰め、首を傾げた。コスチュームを着ているとはいえ、学生が大人を引き留めているなんて、普通の光景じゃないのは目に見えてわかる。

「名前?その子は?」
「あ……と、知り合いの学生さん。転けそうになった所を引っ張ってくれたの」
「大丈夫か?家まで送るよ」

 ……ふざけんな。俺が言いたくても言えない言葉を、まるで息をするかのように発した男に腹が立った。
 違う。好きな奴一人満足に送ってやれない、子供の自分にだ。
 苗字さんは俺の方を一瞥し、スーツを着こなした男の方に視線を向けた。あの男の方が苗字さんの隣に立っても違和感がない。

 それでも、この腕は離せねェんだ……!

「お願いしても……っ!」
「すみません。まだ話終わってないんで」
「あっ!ちょっと君!」

 苗字さんの膝裏と背中に腕を回し、そのまま持ち上げた。苗字が短い悲鳴を上げたが、それを無視して男から離れるように背中を向けて走った。
 今日2度目の逃走だ。

「ちょっ!焦凍くん降ろして!」
「無理だ」
「焦凍くん!」

 腕の中で苗字さんが動こうとするから、動かれないように少し腕の力を抜くと、今度は苗字さんが俺の首に腕を回してしがみついた。
 俺が苗字さんを落とすわけねェのに。

 裏路地に入り込み、周りに誰もいないことを確認し、苗字さんを降ろそうとしたが、必死に俺の首に腕を巻き付ける苗字さんを見て降ろすのを止めた。

「焦凍くん……」
「俺がガキだから気持ちに応えてくんねェのか?」

 俺があの男のように大人だったら、違ったのか……?

「そう、だね。君と私とじゃ何もかもが不釣り合いだよ」
「好きなだけじゃダメなのか?」

 それだけじゃダメなのか?
 苗字さんは俺の首に回していた手を解き、俺の唇に人差し指をあてた。

「ダメだよ。君はヒーローになりたいんでしょう?だったら犯罪者を作っちゃダメだよ」

 苗字さんが俺の腕の中にいるのに、こんなにも遠く感じる。苗字は俺の遥か先にいて、追い付きたくて堪らねぇのに一生追いつかない。埋まらない溝。

 俺があの男のように、大人にならないとこの人は俺の気持ちに応えてくれない。だったら応えさせる迄だ。

「焦凍く、んんっ!」

 苗字さんの唇に噛み付く勢いでキスをした。何度か苗字さんが俺の胸を叩いたが、日頃訓練している身としては、痛くも痒くもなく、苗字さんの唇と自分の唇を重ねた。

「ふ、……ん、ぁ」
「名前、さ」

 それこそ息が出来なくなるくらい、深く深く。俺という存在を刻み付けるように。

「っ!何をっ」
「俺が名前さんを迎えに行く!待っててくれとは言わねェ」
「焦凍くん?」
「何処にいても、誰といてもだ」

 掴んだ手を離すのはこの一度きりだ。
 例え誰のものになっていようと関係ねェ。

「そういうところが子供なんだよ」

 そう言った名前さんは、照れたように頬を赤く染めていた。
 どうしたら俺だけのものになるかなんて、考えるまでもない。俺が大人になって、誰からも文句を言われなければいい。

 歳上の名前さんは俺をいつも子供扱いする。けど、完全に脈がないわけじゃないことは俺の腕の中で顔を赤くする名前を見てわかった。
 俺は想像よりも案外小せェ名前さんを強く抱き締めた。
 それこそ、これから離れてしまう分彼女の温もりを、柔らかさを覚えておけるように。
 2人の温度が溶け合うその日まで。
 

戻る