甘い時間を過ごそう

 天井から一滴の雫がタイルに向かって落ちていく。
 乳白色のお湯が張られた湯舟に浸かっているのだが、全く持って身体が癒されない。心臓は早鐘のように忙しなく動き、彼の気配を感じている背中が熱を帯びる。

 何でこんなことになったんだっけ……。

 確か、今日は勝己くんとお出かけしていたら急な雨に降られて、それで一番近い勝己くんの家に来たんだけど、2人共雨でびしょ濡れでこのままだと風邪をひいてしまうということで、お風呂をお借りしてゆったりと身体を温めていると何故か腰にタオルを巻いた勝己くんが入って来て、抵抗虚しく一緒にお風呂に入ることになってしまったんだった。

「あの……」
「ンだよ」
「狭くない?」
「こんなモンだろ」
「そっか」

 普段よりもずっと会話が続かない。
 何か話そうにも、背中に感じる勝己くんの気配に意識がいってしまいしどろもどろになってしまう。そんな私を見かねた勝己くんが後ろからそっと私を抱き締めた。

「ンな固くなる必要ねェだろ」
「いやだって、こんな裸で、密着なんて……っ!」
「おら落ち着け」

 背中が隙間なく密着し、お互いの熱を共有するが恐らく私の熱量の方が勝己くんよりずっと高い。視界には勝己くん首筋越しに浴室の扉が見える。
 酷く優しい手つきで後ろから抱き締める勝己くんの腕に、更に心臓が高鳴り早鐘を打つ。

 どうかこの心音が伝わって、と願う気持ちと、伝わらないで。と願う矛盾した気持ちを抱えたまま、視線を彷徨わせる。

「落ち着いたか?」
「落ち着くわけがないっ!」
「ちったァ落ち着けよ」

 心音は忙しなく鳴り、勝己くんの落ち着けと言う言葉に素直に従えない。背中に伝わる体温が普段感じる温度よりずっと高い。どうやって少し距離を空けようかと思案していると、お腹に勝己くんの腕が回った。力強く引き寄せられ元々ゼロ距離だったのが更に密着してしまった。

 水面が揺れ波紋が広がり大きくなる。

「か、勝己くん!」
「ンだよ」
「あのっ、本当に近い……っ」
「いいだろーが。別に」

 いいのだろうか?いやいや!いいわけがない。

 今にも私の心臓は肉や皮を破り、外に飛び出さんばかりだ。否、心臓が口から出そうなのかもしれない。どちらにしろ心拍数が上がりきってきて、入ったばかりだと言うのに既にのぼせそうだ。

 ……のぼせそうなのであれば、いっその事温まったと言ってお風呂から出てしまうのもいいのではないか?と作戦を立てた私は勝己くんの方へ視線を向けた。

「私、もう温まったから出るね」
「あぁ?」
「温まった所か顔が熱い」

 視線を向けたはずなのだが、顔が見れるわけでもなかった。見えるのはほんの僅かな金色の毛先と、湯船から出た逞しい腕だけで、勝己くんの表情所か顔の一部だって見れていない。だが、それがよかったのだ。私は本当に照れ屋で交際経験等皆無に等しい。付き合った人なんて勝己くんが初めてで、異性の身体なんてまともに見たことがない。

 それだと言うのに……。

「なァ名前。そりゃ本心じゃねェだろ」
「っ、」

 私を抱き締めている腕には力なんて最初っから入っていない。ぴったりと勝己くんに張り付いた背中は何時でも浮かす事は出来る。出来るのに私はそうしなかったのだ。
 心臓が飛び出そう、とか、口から出そう、とか言っておきながら。
 血液が沸騰しそうなのに、私は勝己くんの体温を背中に感じでいたのだ。

 耳元で、いっそ清々しい程に言い当てられたそれは、ダイレクトに脳内に伝わり言葉に詰まった。

「こっち向けよ」
「む、無理……っ!」

 首を横に振り、振り向く事を拒否すると、耳元で勝己くんの甘い、至極甘い声が聞こえた。

「名前」

 あぁ、この人はどう言えば私が従順に動くかをもうわかっているんだ。名前を呼ばれただけなのに、私の身体は考えるよりも先に上半身を捻り勝己くんを正面から見つめた。

「顔真っ赤じゃねェか」
「だからっ、のぼせそうって……」
「あァ、のぼせそうっつてたなァ」

 勝己くんは指の腹で私の頬を撫で、濡れている髪を掌で撫で、項を上から下へ酷くゆったりとした手つきで指の腹で撫でる。

「名前」

 項に回っていた手が私を引き寄せ、勝己くんとの距離が一気に近づいた。その距離は少しでも動けば唇が触れてしまいそうなものだった。
 恥ずかしさに震える私を勝己くんは何も言わずに、ただじっと見つめている。その視線さえも恥ずかしくてギュッと瞼を瞑った。

「名前」

 天井から落ちる雫の音、揺れる水音。浴室に反響する私の名前を呼ぶ勝己くんの低い声。
 全てが敏感に聞こえる。

 いつまでも瞼を開けない私に痺れを切らしたのか、勝己くんは乳白色のお湯に浸かっている私の腰を撫でた。するりと撫でられた私は驚ききつく瞑っていた両目を開けるた。そしてそこには勝気に笑う勝己くんの真っ赤な瞳と、唇に感じた柔らかさ。

「ん、」

 啄むようなキス。あぁ、これじゃ本当にのぼせてしまいそうだ。
 それを伝える為の唇は勝己くんの唇と重なり、とてもじゃないが伝えられそうにない。

 あぁ、どうしよう……。

 そう思いながらも私は瞳を閉じて、勝己くんから与えられる熱と幸福に身を委ねた。
 

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