天の産声を地に這わせる
その日、巫長に神託が降った。
ウルクの民が緑の人が亡くなってしまったと、嘆き、悲しみ、王に憐れみを向けている最中の事だった。
また前のような王様になってしまったら。と絶望に打ちひしがれる者までいた。
「巫女を捧げよ」
巫女処の巫女長は一人の処女を捧げた。女は未婚のまま母となった。
──神の子を宿したのである。
女は神殿の中で隔離され、人との繋がりを断ち、主神アンに毎日祈りを捧げながら慎ましく生きていた。女は人の世と隔離されたにも関わらず、笑顔を絶やすことはなかった。信仰深く、謙虚で、大らかなその姿に、周りの巫女もつられて笑みを浮かべていたのをシドゥリは良く覚えていた。そんな女が子を宿してから一年。神殿の中に赤子の泣き声が響いた。
──それは産声だった。
未婚の母から生まれた子はアンナと名付けられた。
そしてその日、唯一の友を失ったバビロンの王が国に帰って来た日でもあった。
国は民の声となって喜びに溢れた。玉座に座る赤い目の王を前にジグラット内外から「よくぞ、帰って来てくれた」「待っていました」と、喜びの声が風となって吹き荒れる。止むことの風が吹くジグラット内に赤子の声が響き渡った。喜びの渦にも埋もれないその赤子の声に、友を失った王の耳が反応した。
「なんだそれは」
赤い瞳が女の腕に抱かれている赤子を射抜いた。眉間には僅かに皺が寄り、怪訝に顔を顰めている。自分がいなくなった間に、何故赤子がジグラットに入り込んでいるのか。一体誰がそんなふざけたことを許可したのか。
祭祀長であるシドゥリに目を向けたウルクの王。その視線に応えるようにシドゥリは赤子を抱いている女を玉座に座り、民を見下ろす王の前に差し出した。
「王よ。彼女は主神アヌの子でございます。今はまだ幼いですが、いずれ、このウルクに繁栄を齎す都市神となりましょう」
「──ハッ、ハハハハハハッ!! シドゥリ、お前我が暫く留守にしている間に冗談を言えるようになったのか!」
「冗談ではありません。王よ。幼子の名をアンナ」
祭祀長シドゥリが王と言った男――ギルガメッシュはアンナを産み落とした女を一瞥し、女の腕に抱かれ気持ち良さそうに眠っている赤子をじっくりと観察するように見下ろした。
ふむ。確かに神だが、同時に人でもある。ギルガメッシュの視線は再び赤子──アンナを抱いている女に移った。
「そこな女」
「はい。我らが偉大なる王よ」
「この赤子、何処で拾った」
「いいえ。私が産みました。巫女長に神託が下り、この子が産まれました。その記録が粘土板にございます」
玉座に座り、つまらなそうに肘掛けに肘をついて頬杖をしているギルガメッシュは、シドゥリに視線を向けた。その視線を受けたシドゥリは、何かを言われたわけでもないのに、ギルガメッシュが求める粘土板。つまり、巫女長たちが記したアンナについての記録を差し出すと、ギルガメッシュは右手で受け取り、彫られた文字に目を通す。
粘土板には事細かく内容が記されており、女が食した内容までも書かれている。
「確かにそこの赤子はアンの奴が宿した神の子らしいな。だがな、我は神と決別することを選んだのだ。そこな神擬きはその辺にでも捨てておけ」
話は終わりだとギルガメッシュが左手を人を追い払うように動かした。
当然玉座の間にいた人間の間に動揺が広がる。「神を捨てるなんて」「そんなことしてもいいのか?」「一体この方は何をお考えになっているのだ」。そんな声が部屋の隅から隅まで満ちてゆく。
ギルガメッシュが「煩わしい」と一括するよりも早く、女の声が玉座の間に響いた。
「お黙りなさい。不敬ですよ──それはそれとして、王よ。その意見には賛同しかねます」
「なに?」
ギルガメッシュの声は低く、いつだって威圧感を含んでいる。一国を統べる王故に身に付いたものではなく、産まれながらの王であるギルガメッシュは、人々を一声で御する術を誰に言われるでもなく知っていたのだ。
王の帰還を喜び、ジグラット中に響いていた歓喜の声は今はなりを潜め、王の眼前に立つ臣下たちはこぞって身を震わせている。
――何を言っても“死”あるのみなのだから。
深紅の瞳がシドゥリを鋭く見つめている。
女の一挙手一投足を蛇の瞳のように観察している。
殺気とも呼べる視線の鋭さに、並の兵であればその視線だけで腰が抜け、足を震わせ、命を希うかもしれない。
シドゥリが息を吸い込む音が静かに響く。
「最高神アヌの子。その辺に捨て置くことは出来ません」
王の意見に逆らっても死、同意しても死。と恐れられるギルガメッシュを前にシドゥリは物怖じせず、真っ直ぐな瞳でギルガメッシュを見つめている。その淑女然とした立ち振舞いと、一本筋の通った芯のある態度がギルガメッシュに気に入られ、この場に立ち続けている。
そのシドゥリは信心深く、都市神を丁重に扱っているのだ。その点は大いに気に食わないギルガメッシュは、また始まった。と言わんばかりの態度でシドゥリから目を逸らした。
女が話す内容は、耳に胼胝が出来るほど聞いているのだから。
「王よ。都市神アンナは巫女処で身の回りのお世話をさせて頂きます」
「……はぁ……好きにしろ」
おぉ。よくぞあの王を! とギルガメッシュの眼前に並び立つ臣下たちは、内心シドゥリを讃えた。が、それを言葉にすることは決して許されない。ギルガメッシュ王は、自分以外の人間が讃えられることを快く思っていない人なのだから。
シドゥリによって命拾いした神。──神が人の腹に宿した新しい都市神アンナは、無事にジグラット内巫女処で面倒を見てもらえることになった。その経緯をアンナは大人になってからも知ることはなかった。
さて、エルキドゥと共に冒険に繰り出した王が戻ってきたウルクは、漸く王が指揮する都市国家として動き出す。と誰もが期待した。
王よ。王よ。と、臣下がギルガメッシュを求める声が連日続き、ギルガメッシュが「王よ」と求める声が人の鳴き声に聞こえだした頃。玉座にどっしりと腰を掛けているギルガメッシュの元に、臣下でもない一人の女が遊びに来るようになった。
否。女と呼ぶには些か語弊があり、誤解が生まれる。性別こそ女であれど、姿かたちはただの赤子なのだから。
「貴様。誰に触れている」
「あー、あーい!」
神とはいえまだ赤子のアンナは喋ることがまだ出来ない。見た目は人間で言うところの一ヶ月くらいなのだから。むしろ、言葉を話すことの方が驚きなのだ。
人間であれば天才だと褒め讃えられたであろうアンナは神である為に、さすが神だ。と言われるだけに留まるが、ギルガメッシュの反応は違った。
いい方向にではない。悪い方向にだ。
兎にも角にもギルガメッシュはアンナを目に見えない所へ追いやった。
巫女処で育てることを許したのも、玉座から巫女処は遠く、アンナの気配が遠のくからだ。
何もギルガメッシュは子供が嫌いなわけではない。どんなに小さな子供でも、ギルガメッシュは一個人として扱う。
しかしそれは、ギルガメッシュに敬意を持っていればの話だ。この国でギルガメッシュに敬意を払わない人間はいない。誰もが認め崇める。この人こそ国を治める支配者たるや人物だと。本能と言っても過言ではないほど強く感じている。
しかし事アンナにはそんな感情はない。アンナは神であり崇められることはあっても、半神半人のギルガメッシュを崇めることはない。生まれながらにしての神であるアンナはギルガメッシュを認識していた。
「ぎーるぅー?」
「――シドゥリ」
紅葉の手が黄金に輝く履物に触れる前に、ギルガメッシュが足を組み替えた。
兎にも角にも、アンナとは関わり合いたくはない。シドゥリがいなければ今頃殺していたのに。あやつめ。と赤い目がシドゥリに向けられた。
「アンナ様、こちらにどうぞお越しください」
「やーや!」
幼子よろしく左右に首を振るアンナは、その身体を自力で浮かせて宙に浮くと、そのまま、のそのそとギルガメッシュの膝の上に座ろうとした。アンナが何をしようとしているのか分かったギルガメッシュは、すかさず宝物庫から取り出した剣をアンナに向かって放った。
間違いなくアンナに向けられた剣の刃は風を切って床に刺さる。
「忌々しい」
「あーあ、ぎーる」
傍から見れば幼児虐待だが、当たらぬ剣は怖くはない。
幼子でも神は神。ギルガメッシュが放つ剣が一本や二本であれば、防ぎきることが出来るらしい。
勝った。と言わんばかりの笑みを浮かべたアンナはギルガメッシュの膝の上に腰を落ち着かせた。その瞬間、アンナの首根っこを掴んだギルガメッシュがシドゥリに向かってアンナを放り投げた。
放物線を描くようにアンナは宙を舞い、シドゥリの腕の中に納まった。
「ギルガメッシュ王!」
「我の目に触れぬところへ連れて行け」
「ばぁーあっ!」
こうしてアンナの一日が過ぎていった。