知ってしまった


 その日の放課後。サムさんが経営している購買部で必要なものを購入し、その足でサイエンス部の部室である魔法薬学室に向かった。使用する時以外は鍵が掛けられているこの教室。トレイが開けておいてくれたのだろう。魔法薬学室の扉は抵抗なく開いた。
 先にサムさんのところで購入した材料を作業用机の上に置いて、白衣が置いてある二年専用更衣室で実験用の白衣に着替えた。

 今日作る魔法薬は二つ。忘却剤と助長剤だ。
 その名の通り、忘れる事が出来る薬だが、禁忌までとはいかなくとも自作する事は認められていない薬だ。
 それもそうだろう。この薬させあれば、黒の犯行も白のものとなってしまいかねない。よって、まず学校では習わない魔法薬だ。
 が、忘却剤のような飲んですぐに記憶がなくなるような薬は身体に負担がかかる上に、作成する事が難しい。よって簡易的な忘却剤を作り、働きを助ける助長剤を併用させる事でアンの記憶を消すつもりだ。
 レシピさえあればボクにだって出来る。流石に忘却剤のレシピは学園に置いているどの魔導書にも記載されていないが、過去に一度、ボクは忘却剤のレシピをこの目にした事がある。

 確か材料は、“人魚の涙”“ウッドホワイトバタフライの鱗粉”“生のマンドレイク”“金の混合水”。本当の忘却剤はウッドホワイトバタフライではなく、蝶の妖精族の鱗粉を使用するのだが、それだと調整が難しくなってしまう上に、アンの身体にも負担が大きい。よって今回は下位互換の蝶の鱗粉を使用する。
 そして、助長剤の材料は“フィフスの実”“黒猫の抜けひげ”“生のマンドレイク”“金の混合水”。授業で習った、栄養剤の上位互換に当たるのが助長剤だ。

 ――確りと、正確に、間違えなく。

 黙々と作り続ける事数時間。二つの小瓶の中にはそれぞれ違う色の液体が入っている。呼吸をする事も忘れていたかも知れない、緊張感の中作り上げた二つの魔法薬。
 ボクは脱力しだらしなくも作業机に額を預けで、身体の力を抜いた。それと同時に身体中の空気を外に出さんとばかりの大きな息を吐けば、漸くアンを助ける為のアイテムが出来上がった実感が湧き出して、唇を噛み締め握り拳を作った。

 一縷の望み。一縷の希望。真っ暗な空間に差し込む一縷の光は、どこに向かえばいいか分からないボクを導くように光る。ソレはボクにとっての望みであり希望であり可能性だった。

 一縷の可能性を制服の内ポケットに忍ばせたボクは、何を作ったか誰にも気付かされないよう、材料を全て破棄し、使用した器材は使用する前と同じ状態に戻した。
 隠蔽工作なんて、このボクがする事になるなんて、一年前のボクは思いもしなかっただろう。

「全く、彼女には振り回されてばかりだね」

 吐き出す息はどこか軽くて、擽ったい。それが妙に心地よくて、このままずっと、何も変わらずに。なんて事ばかり考えている。

 急ぎ足でハーツラビュル寮に向かった。他の生徒よりも寮長は一際大きな部屋を与えられる。それは扉の装飾から違うのだ。
 ドアノブを捻りながら開けると、見慣れた部屋が一つ。真っ先に目が付くのは天蓋付きのベッドだろう。ワインレッドの天蓋カーテンは閉め切られている。風が入るようにと窓も開けているが、今日はそんなに風が強くはなかったようで、机の上に置いてあった書類は風に飛ばされる事なく、そのまま朝と同じ位置にある。
 今も寝ているのだろうアンを起こさないように寮服に着かえてから、天蓋カーテンに手をかけアンの名前を呼びながら開く。丸くなって寝ていると思っていたアンの姿はそこにはなく、不規則な皺が広がっているシーツはアンがこの場にいた形跡しかなく、試しに触れてみたシーツには温度がない。
 元々アンには体温がないのだから、シーツを触ったところで温度はないのは当たり前だ。そんな方法で出て行った時間を確かめても意味はない。

 一体どこに行ってしまたんだ。
 窓を開けて学校に行ったから、その窓から薔薇の迷路に行ったのか? いや、待て。最悪の可能性だってあるんじゃないのか。
 薔薇の呪いが発動してしまったのではないのか? そんな可能性が頭を過ったら最後。ボクは居ても立っても居られず、部屋を飛び出した。廊下を靴音を鳴らしながら走っていると、擦れ違ったエースとデュースが「寮長?!」と驚いていたが、そんな声を気にしていられる余裕はボクにはなかった。
 だってそうだろう。何よりも消えて欲しくないと、誰にも奪われたくないと願っている存在が、ボク以外の手によって消えてしまっているのかも知れないのだから。

 平常心でいられるわけがない。

 全力疾走で薔薇の庭に向かった。大丈夫。いつものように四阿で白薔薇を見ているに違いない。と不安と焦躁で気持ちばかりが逸り息が切れる。芝生に音を響かせながら着いた四阿には求めている人影がなく、寧ろ予想もしていなかったトレイとケイトが白薔薇の手入れをしていた。
 ハァ……ハァ……。と肩で息をしているボクを視界に入れた二人は驚き、目を大きくさせると何事かとボクに近付いて来た。

「ちょっと、リドルくん?! そんなに血相変えてどうしちゃったの?」
「なんでもない! それよりも――っ!」

 女の子を見なかっただろうか。と二人に問いかけようとするも、彼女の姿はボク以外の人間には見えていないのだから、見ていないと言われるに違いない、と口を噤むと、目の前に立つ二人は首を傾げた。

「リド――」
「すまないが、急用があるんだ。失礼するよ」
「ちょっ、リドルくん?!」

 トレイの言葉を遮って二人の間を裂く様に歩くと、ケイトがボクを呼び止めるように名前を言った声が聞こえた。
 だが、振り返る事はしない。ボクは確かめに行かねばならないのだから。
 この手から今にもすり抜けそうになっている存在を、掴みにいかねばならないのだ。

 歩みは次第に早歩きになり、気が付けばボクは再び走り出していた。
 一分でも、一秒でも早くアンの存在をこの目で見たい。まだこの薔薇の庭の中にいるんだと確かめたい。ボクはまだ取りこぼしてなんかいないんだと安心したい。

 薔薇の迷路を抜けた先にある、ハーツラビュル寮の庭としては異色の白薔薇の灌木が鎮座している。その灌木は紛れもなくアンの白薔薇の木であり、灌木に生えている白薔薇は殆ど色をなくし、枯葉色に染まってしまっている。芝生の上には、真っ白な花弁が落ちている。
 アンは何処にいるのだ。と左右に顔を動かして辺りを見ると、急に視界が暗くなった。

「だーれだ」

 瞼の上を覆う人肌の温度。次いで聞こえたのは聞き間違いのないアンの声で、ボクは視界を隠しているアンの手を剥がして後ろに振り返った。

「アン!」
「ふふっ、驚いたかしら?」

 流れるようにアンがボクの首に腕を回して抱き着いて来る。いつもなら支えられる筈なのに、人並の体重が掛かり、予想していなかった重みに反応出来なかったボクは、そのまま後ろに向かって倒れていき尻もちをついた。
 下は芝生故にそこまでの痛みはなかったが、そんな事よりもボクの頭は疑問符で埋め尽くされていた。

 ボクの知っているアンは、たんぽぽの冠毛のように軽く、素肌で触っても体温何て感じないのに……。それに――。

「リドル……誰なんだ。その子は……」
「え? 誰っすか寮長その女子! まさかの女連れ?!」
「いや、リドルくんに限って流石にそれはないでしょ」
「何でこんな所にお、おん……女……が……」

 アンはボク以外の人間の目には見えない筈だったのに、どうして皆の目にも見えているんだ。
 迷路に続く薔薇のアーチで驚愕して立っている四人と、ボクに抱き着いてくるアンを交互に見ていると、彼女は力を抜いて短い息を吐き出した。

「アン……?」
「ごめんね」

 何を、何んで謝罪する必要があるんだ。と言葉にしたくとも、喉が張り付いて上手く声帯が震えない。
 そんなボクを眼前にアンは、芝生に付けていたボクの手を取り持ち上げた。意識すればするほどアンの温もりを感じる。
 これは、間違いなくアイリーン・ランカスターの温もりなのだ。と誰に言われるまでもなく頭で理解してしまった。

 どうして急に、だって昨日までアンの何も感じなかったじゃないか。なのにどうして……。

 アンが両手で掴んでいるボクの手が震えている。止めようとしているのにも関わらず、腕に力を入れても震えてしまっている。そんな震えを止めようとしたのか、アンはボクと掌を合わせて指を絡ませて握ってくれる。
 強く握られれば握られる程、今まで感じなかったアンの体温を感じてしまい、その変化で不安が全身を駆け抜ける。
 これは本当にアンの体温なのか。とボクは空いている方の手袋を取り払う為に、手袋の指先を歯で噛み、勢いよく脱ぎ捨て、祈るような気持でアンの頬に触れた。

 ――ボクの知らない体温がそこにはあった。

「リドル寮長?」

 アンの顔が見ていられなくて顔を俯かせ、目を瞑ると視覚を失った代わりに聴覚が敏感になったのか、デュースの戸惑いの声が耳殻に入って来るも、反応出来ないでいる。
 体温を感じるようになった事、体重を感じる事、ボク以外の人間の目に映るようになった事、それらは全て僥倖と呼べる事柄じゃないのか?
 そう思いたいのに――どうしてキミが全てを諦めてしまったような顔して笑うんだ。
 





Bambi