それは、日常を壊す足音
次の授業は何だっけ? 魔法解析学だったかな。
あの授業嫌いなんだよね。だって私魔法使えないんだもん。筆記は出来ても実践が出来ないから、どうしても苦手意識を持っちゃうというか……。
と言うか、未だに魔法とかが存在することに慣れない。いや、慣れたけど、まだ吃驚する事の方が多い。
――ユウは異世界からやってきた凡人である。
元いた世界の学力、体力は狙ったかのように平均で、魔力なんてファンタジーの中でしか聞いたことがない。そんな人間がある日突然、ツイステッドワンダーランドという魔法がありふれた世界にやって来たのだ。
これが自分の意思で世界を渡ったのなら、手放しで喜んだだろうが、生憎ユウは、ただベッドの中ですやすやと寝ていただけで、異世界に行きたいなんて思ってもいないただの学生だった。
ただの……だと少し語弊が生まれる。
ユウは確かに学力も体力も平均だが、頭抜きん出て秀でている能力があった。それは順応力だ。
ある日目が覚めた時、棺桶の中にいて、開けたら異世界だったというのに、ユウは「なるほど」と頷き、与えられたオンボロ寮で慎ましく生活しているのだから順応力が高いと言っても過言ではない。
「監督生ー、昼メシ何食う?」
「まだ二時限目だけど」
「まぁ、俺たち食べ盛りだからな。この時間になると腹が減り始めるんだ」
「そーそー。授業もつまんねぇしさー」
赤いハートの模様を左目の目尻に施しているエースは、頭の後ろで腕を組んでつまらなそうに唇を尖らせている。
ユウの左隣を歩いている、右目尻に黒のスペードを施しているデュースは本当にお腹が空いているのか、右手で数回お腹を撫でた。
「オレ様もう授業飽きたんだゾ〜」
「え?! まだ今日が始まったばかりなのに?!」
「流石に飽きるのが早くないか?」
「グリムお前さー。流石にないわ〜」
足元を怠そうに歩くグリムの尻尾が垂れてしまっている。心なしか耳の中で燃える炎すら元気がないように見えるのだから、今グリムは全力で飽きたのだと表現しているに違いない。とユウは飽き性な相棒を持ち上げ、授業開始のチャイムに遅れないようにと、足を前に動かした。
ユウを挟むように左右に立つマブの一人。エースが足早に歩くユウの口元が僅かに上がっているのを見て、一瞬驚いたようにチェリーレッドの瞳を丸くさせ、面白いものを発見した悪戯少年のような笑みを浮かべた。
「お、何々、監督生はやる気満々じゃん」
「リドル先輩に制服直してもらったからか、最近楽しくて」
片手にグリムを抱き直したユウは、利き腕を伸ばしてブレザーの袖を見た。
そこには、マブたちの所為と言えばいいのか、お陰と言えばいいのかわからないが、制服がダメになってしまったので、たまたま出くわしたリドルに魔法で直してもらった。そのお陰で今まで手の甲まで隠れていた袖がユウの腕の長さにピッタリと合っている。
今までは急ごしらえの制服で、誰かから借りてきた制服という印象を持っていたユウだったが、件の事件のお陰で一気に愛着が湧くようになったのだ。
「あの時は……本当に悪いことをした。やっぱりケジメを付けるべきだと思うんだ!」
「いやいや! デュースの言ってるケジメってアレだろ? 昔ヤンチャしてた時のやつだろ?」
「皆やらないのか? 根性焼き」
「やらないよ」「やんねぇよ」「美味いもんか?」と。一斉に否定されたデュースはピーコックグリーンの瞳を大きくさせ、胸元まで右手を上げて驚いた様子を見せた。
魔法解析学は、文字通り魔法を解析する学問だ。
これは数々の魔法を解析し、新たに魔法を生み出してきた、魔法の父を言われた男——エルトン・ウィズァーが生み出した学問で、年数こそ占星術や錬金術、古代魔法に比べ比較的新しいものの、全ての魔法学の基礎とまで言われている。
この名前はツイステッドワンダーランドに暮らしていれば、例え魔法が使えない者でも知っている。むしろ知らない方がどうかしている。とまで言われる程、この世界に貢献した男の名前である。
そんな男が遺した学問は基礎中の基礎なわけだが、何分、ユウは魔法が使えない身でありながら、ツイステッドワンダーランドにおける二大名門魔法学園の一つ、ナイトレイブンカレッジの闇の鏡に導かれてしまった不幸な人間だった。
勿論、ウォルズ・ディートニなんて男を知っているわけがない。そんな男が定理した魔法解析学なんてちんぷんかんぷんもいいところだったが、なんとなく授業に遅れながらも付いていくことは出来ている。
クルーウェルやトレインといった先生方が、幼稚園児でもわかる魔法入門と書かれた絵本に近い参考書を数冊貸してくれたからだ。
前までにあった苦手意識が、小さな切欠の積み重ねで薄れていく感覚は、元の世界でも経験したことがあるものだった。
とはいえ、ユウが魔法解析学を本当の意味で理解することはない。この学問は魔法が使える者が極めるものであって、使えない者にはほんの少ししか役に立たないのだから。
「監督生が解析学やっても楽しくなくない?」
「エースの言い方はどうかと思うが、僕も魔法が使えない監督生があの授業を楽しいと思える理由が気になるな」
「うーん。全部がわからないわけではないからなぁ……。波動の違いなら分かるし」
「ウゲェ。俺様それが一番わかんないんだゾ!」
「グリムはわかんな過ぎだけど、確かにα波って他の波動と似てるからわかりにくいよなぁ」
魔法を使用する際、属性によって僅かな波動を出している。
その中でもα波と呼ばれる無属性の魔法は他のβ、γ、Δ波に似ている為わかりにくく、誰もが躓く最初の難関だと言われている。それは、この世界に魔法が当たり前に溢れている為、幼い時から微力な波動を感じながら生活している所為で、感覚が鈍くなっているのだ。
逆を言うと、この世界に来たばかりのユウには、その違いが明確にわかるのだ。
とはいえ、これは感覚的なもので、言葉で表現することが難しく、エースやデュースに違いの説明を求められてもユウは上手く答えることが出来なかった。
それ以外はてんでダメなユウだったが、今日の授業で好きになるかもしれないと淡い期待を抱きながら教室に向かっている最中のこと、リブヴォールトの柱の向こうから、ここ最近嫌と言うほど聞き慣れた声が三人と一匹の耳殼を通り抜けた。
「ジェイドぉ〜、次の授業なに〜?」
「動物言語学ですよ。フロイドは確か、錬金術でしたね」
「あ〜そうだっけ? オレ今体動かしたい気分なんだよねぇ」
「おやおや。それは困りましたね」
学園一関わっていいことがない双子が中庭にいる。
あのイソギンチャク事件で痛い目を見たハーツラビュルの二人と、オンボロ寮の一匹はピタリと動きを止めると、何も聞かなかった。何も見なかったと言わんばかりに無言で歩き出した。
今は兎に角、酸素や窒素と一体化しないといけない。と己の気配を出来るだけ殺してそっと立ち去る。そうすればあの双子に見つかることもないし、授業にも遅れない。
あぁ。なんて良いことしかないんだ。と息を殺す二人と一匹を他所に脳天気なユウは横目で双子の姿を見たのだった。
――綺麗な顔をしているな、と。
ユウの周りには顔付きの整った男が多くいる。ユウの左右を挟むエースとデュースもそうだが、仲良くさせてもらっているリドル、トレイ、ケイトも容姿が整っている。
が、その中でもあの双子の人魚は抜きん出ている。とユウは初めて会った日に見惚れたものだ。
容姿端麗とはこの男たちの為にあるような言葉なのだろうな。とも思ったほどに。
今となってはそんなことを気安く双子に話しかけなくて良かった、と思うばかりであるが。
良かった。私がオタクじゃなくて。もし、アイドルやら二次元やらのオタクだったら間違いなく推していたに違いない。
そう思わせる顔立ちにユウはスっと目を細めた。
フロイドはパッと見甘い顔立ちをしているのに対し、ジェイドは涼し気な顔立ちをしている。
どちらも好みの顔をしているなぁなんて、足早に廊下を歩くマブたちに置いて行かれないように必死に足を動かしていた時、双子の人魚がいる中庭からフロイドの声が響いた。
「ジェイドのバカ!!!」
「馬鹿だなんて悲しいです。しくしく」
彼氏に怒っている彼女かな? と思わせる一言であったが、長身の男が発しても可愛くはない。むしろフロイドの機嫌を損ねてしまった所為で周りの人間に被害を被るではないか? とその場にいた誰しも──機嫌を損ねさせたジェイド以外の人間――がそう思っただろう。
「そっくり兄弟が喧嘩したんだゾ……」
「シッ! グリム声を出すなって!」
珍しいものを見たと言わんばかりにグリムがシアンのまん丸な目が、さらに丸くなる。思わず零れた声を取りこぼさぬようエースがグリムの口を塞いだ。
「なにっ、もご! す、もがっ」
「いーから黙っとけって!」
ユウの腕に抱かれていたグリムを抱えたエースは騒ぐグリムを両手で抱えて走り出す。それを横目にユウはフロイドに置いて行かれたジェイドを見ていた。
もしかして――。
「ユウ? どうしたんだ?」
「…………デュース、ごめん。これ持って先に行ってて」
「ユウ?!」
魔法解析学で使う教材をデュースに押し付けたユウは、一目散にジェイドに向かって走っていった。
それは多分。ジェイドが立ち去って行ったフロイドの後ろ姿を見つめていたからだ。
きっと悲しかったのかも。とユウはジェイドの前に立ち、長身の男を見上げると男の目はどこか楽しそうなものを見るように歪んでいた。
「先輩、大丈夫ですか?」
「心配して来てくださったのですか?」
「えぇ。まぁ……けど、大丈夫そうでしたね」
「そんなっ! 僕、フロイドに馬鹿と言われ悲しんでいたところだったんです」
しくしくとわざとらしくジェイドが眉尻を提げて目尻に指先を持っていけば、ユウはあからさまに疑わしい目でジェイドを一瞥すると、小さく息を吐き出した。
「先輩。少し屈んでください」
「はい?」
小首を傾げたジェイドは、ユウに言われるがまま僅かに屈む。それでも小柄なユウには十分に背の高いままだったが、ユウは何も言わずに背伸びをして右腕を伸ばした。
「よしよし」
「――っ!」
精一杯背伸びをして腕を伸ばしたユウは、ジェイドのターコイズブルーの頭を子供をあやすように撫でた。
その現場を見ていたナイトレイブンカレッジ生は「あいつ死にたいのか?」と顔面を青くさせていたが、そんなことを露とも知らないユウは、満足いくまでジェイドの頭を撫で続けた。
もういいか。と自己満足したユウはジェイドの頭から手を離し踵を地面に重ねた。
そこで漸く出過ぎた真似をしたかもしれない。と思い至りジェイドを見上げると、太陽を背負っているジェイドの顔に影が差していた。
あ、それは罵られるかも。なんて瞬間的に覚悟したユウを嘲笑うかのようにジェイドの唇が音を紡いだ。
「監督生さん。僕のお嫁さんになってください」
「――は?」
ユウは学力も体力も狙ったかのように平均である。しかし、そんな彼女は人並みから抜きん出て秀でているものがある。
それはこの世界に来て初めて実証されたもの。――順応力である。
そんなユウですら、なんの脈もない告白には思考が急停止するようで、ジェイドはそのさまを見てニヤリと厭らしく笑ったのだった。